...それでせっかくの苦心のこの案も慎重居士の緒方副総理の容れるところとならず...
犬養健 「“指揮権発動”を書かざるの記」
...私と緒方氏とは、ほんの二三度話合っただけの間柄ではあるが、よい小説家を、懸命に努力した人間を、よほどの不幸の場所に置いたまま、そのまま死なせてしまったという事実に就いて、かなりの苦痛を感じている...
太宰治 「緒方氏を殺した者」
...信子の父の緒方久平氏に歎願したことは...
豊島与志雄 「道化役」
...また緒方洪庵が教育家として辣腕を揮ひ...
長岡半太郎 「大阪といふところ」
...その松崎と云う男が九州から出て来て緒方の塾に這入(はい)り...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...緒方先生の深切夫(そ)れから私はその時に今にも忘れぬ事のあると云うのは、緒方先生の深切...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...毎日朝から夕刻まで緒方の塾に通学して居ました...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...元来緒方の塾と云うものは真実日進々歩主義の塾で...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...緒方の塾風左様(そう)云(い)えば何か私が緒方塾の塾長で頻(しき)りに威張(いばっ)て自然に塾の風(ふう)を矯正(きょうせい)したように聞(きこ)ゆるけれども...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪(しちりん)もあれば鍋もあって...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...中には火消(ひけし)の黒人(くろうと)と緒方の書生だけで大(おおい)に働いた事があると云(い)うような訳(わ)けで...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...殊(こと)に漢医書生は之を笑うばかりでなく之を罵詈(ばり)して少しも許さず、緒方塾の近傍、中ノ島(なかのしま)に花岡(はなおか)と云う漢医の大家があって、その塾の書生は孰(いず)れも福生(ふくせい)と見え服装(みなり)も立派で、中々以(もっ)て吾々(われわれ)蘭学生の類(たぐい)でない...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...私は少年の時から大阪の緒方の塾に居るときも...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...緒方(おがた)という...
堀辰雄 「幼年時代」
...私は横浜から父の買ってきてくれた立派なナイフをもっているところをその緒方に見つかった...
堀辰雄 「幼年時代」
...緒方の出してきた袋の中から自分のもらうベイを選んでいる間も...
堀辰雄 「幼年時代」
...ベイを選ぶのはいつか緒方自身に任せながら...
堀辰雄 「幼年時代」
...緒方正清博士「支那および韓国の去勢について」)...
南方熊楠 「十二支考」
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