...櫻島の海岸には往々岩骨峩々として削壁を爲せる所あり...
石川成章 「櫻島噴火の概況」
...地方には今北洪川、西有穆山(にしありぼくざん)、由利滴水、橋本峩山、新井日薩、七里恒順、などという人々がおった...
井上哲次郎 「明治哲学界の回顧」
...かくて佐助は晩年に及び嗣子(しし)も妻妾(さいしょう)もなく門弟達に看護されつつ明治四十年十月十四日光誉春琴恵照禅定尼の祥月命日(しょうつきめいにち)に八十三歳と云う高齢(こうれい)で死んだ察する所二十一年も孤独で生きていた間に在りし日の春琴とは全く違った春琴を作り上げいよいよ鮮(あざや)かにその姿を見ていたであろう佐助が自ら眼を突いた話を天竜寺(てんりゅうじ)の峩山和尚(がさんおしょう)が聞いて...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...峩山(がざん)と云う坊主は一椀の托鉢(たくはつ)だけであの本堂を再建したと云うじゃないか...
夏目漱石 「虞美人草」
...遙かにこしかたを見かへるに山又山峩々として路いづくにかある...
正岡子規 「かけはしの記」
...保昌(やすまさ)が力引くなり胴ふぐり其角(きかく)宝引や力ぢや取れぬ巴どの 雨青時宗が腕の強さよ胴ふぐり沾峩(せんが)などいふ句は争ふて縄を引張る処をいへるなるべく宝引やさあと伏見の登り船 山隣といふ句は各が縄を引く処を伏見の引船の綱を引く様に見立てたるならん...
正岡子規 「墨汁一滴」
...あるいは衣冕峩冠(いべんがかん)す...
南方熊楠 「十二支考」
...祖父峩斎(がさい)はかつて筆札(ひっさつ)を高頤斎(こういさい)に受けて...
森鴎外 「渋江抽斎」
...峩斎、通称は仙右衛門(せんえもん)、その子を仙蔵(せんぞう)という...
森鴎外 「渋江抽斎」
...頤斎の弟子(ていし)が峩斎(がさい)である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...峩斎の孫が東堂である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...「峩(たか)い冠をいただいて...
吉川英治 「三国志」
...峩冠(がかん)をいただき...
吉川英治 「三国志」
...北は峩々(がが)たる山険を負う...
吉川英治 「三国志」
...抑(そも/\)燧山は岩代国に属(ぞく)し巍峩(ぎが)として天に秀(ひい)で...
渡邊千吉郎 「利根水源探検紀行」
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