...さうかと思へば Cercidas と云ふ所謂(いはゆる)犬儒派(けんじゆは)の哲学者は「蕩児(たうじ)と守銭奴(しゆせんど)とは黄白(くわうはく)に富み...
芥川龍之介 「澄江堂雑記」
...焼肴(やきざかな)は右か左か7・18(夕)「金(かね)は篠(しの)詩は三本木(ぼんぎ)書は貫名(ぬきな)学は猪飼(ゐかひ)に粋(すい)は文吉(ぶんきち)」とは儒者中島棕隠(そういん)が...
薄田泣菫 「茶話」
...儒者先生たちのせっかくの教訓も...
太宰治 「惜別」
...儒教を受け入れていた昔からの因襲だからである...
津田左右吉 「陳言套語」
...その意味からも儒教の思想と礼とをとり入れることはできなかったのである...
津田左右吉 「日本歴史の特性」
...漢代に這入って制定された儒教が正にそうだ...
戸坂潤 「日本文化の特殊性」
...儒者となるには学問が足りない...
中里介山 「大菩薩峠」
...七尺去つて師の影を踏まずと云つたやうな儒教的道徳は...
南部修太郎 「猫又先生」
...荀子三十二篇は周の戰國時代最後の大儒であつた荀況の著作である...
服部宇之吉 「荀子解題」
...といって士道実践の規範たる儒学にもさほど執心しているわけでもない...
久生十蘭 「うすゆき抄」
...他に侏儒と背高男の掛軸...
久生十蘭 「玉取物語」
...儒者(じゅしゃ)ともつかず俳諧師(はいかいし)ともつかぬ奇妙な髪...
久生十蘭 「平賀源内捕物帳」
...時に文林儒流の磊落(らいらく)を学び...
福沢諭吉 「日本男子論」
...佐川には儒者が多く出たので「佐川山分(さんぶん)学者あり」と人がよくいったものである...
牧野富太郎 「牧野富太郎自叙伝」
...孝霊皇帝眉寿(ビジュ)ノ祚(サイワイ)ヲ究(キワ)メズ早ク臣子ヲ棄給(ステタマ)ウ皇帝承(ウ)ケツイデ海内側望ス而シテ天資軽佻(ケイチョウ)威儀ツツシマズシテ慢惰(マンダ)凶徳スデニアラワレ神器ヲ損(ソコナ)イ辱(ハズカ)シメ宗廟ケガル太后(タイコウ)マタ教(オシ)エニ母儀ナク政治(マツリゴト)統(スベ)テ荒乱衆論ココニ起ル大革(タイカク)ノ道李儒は...
吉川英治 「三国志」
...「李儒(りじゅ)はいないか」と呼び立てた...
吉川英治 「三国志」
...お目をさまして下さい」李儒(りじゅ)は...
吉川英治 「三国志」
...侏儒(こびと)の妖怪(ばけもの)よりゃあ...
吉川英治 「宮本武蔵」
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