...広告「侏儒(しゅじゅ)の言葉」十二月号の「佐佐木茂索君の為に」は佐佐木君を貶(けな)したのではありません...
芥川龍之介 「侏儒の言葉」
...支那に関することでは儒者の学問がそれであった...
津田左右吉 「〔『支那思想と日本』初版〕まえがき」
...清家及び地下(じげ)の儒者相混ずるなり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...即ち儒家が學問を統一しない時の學問を根柢として西漢の學を疑ふ樣になれば...
内藤湖南 「支那古典學の研究法に就きて」
...郡山(こほりやま)藩の儒者だつたからであるし...
直木三十五 「貧乏一期、二期、三期」
...ニイチェの侏儒よりもドストエフスキーの幻はもっと痛く...
中井正一 「探偵小説の芸術性」
...侏儒多シ」「長者モ三尺余ニ過ギズ」「長者モ三尺余ニ過ギズ」「市(う)ラレテ矮奴(わいど)トナッテ年々(としどし)ニ進奉セラル」「弁信さん...
中里介山 「大菩薩峠」
...儒者(じゅしゃ)と違って...
中島敦 「李陵」
...独り男女両性の関係に就ては旧儒教流の陋醜を利用して...
福沢諭吉 「新女大学」
...医者が憎ければ儒者までも憎くなって...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...ペルリが浦賀へ来た時代に大儒息軒先生として知られ...
宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
...渋江氏は世(よよ)儒を兼ねて...
森鴎外 「渋江抽斎」
...儒学は江戸の昌平黌(しょうへいこう)で古賀同庵(どうあん)につき...
山本周五郎 「新潮記」
...李儒の首を刎(は)ねて...
吉川英治 「三国志」
...大儒の業は、まず志を一国の本(もと)におき、人倫の道を肉づけ、文化の健全に華をそえ、味なき政治に楽譜を奏(かな)で、苦しき生活にうるおいをもたらし、暗黒の底に希望をもたらす...
吉川英治 「三国志」
...何が与えられてあったろうか!侏儒が黒布を解いたせつなに...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...藩の抱え儒者、卜幽人見又左(ぼくゆうひとみまたざ)と辻了的(つじりょうてき)のふたりは、ある折、(どうだ、おん身方も、せっかくの学問を、この大業にうちこめば、死しても、本望であるまいか...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...嫡子(ちゃくし)も嫡子、殿も殿かな――と、ふたりの儒臣は、ここにいたって、もう何をいう勇気も失っていた...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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