...巫倡の業をも行つたらしいことが記録されてゐる...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...巫倡の徒が上古以來特殊な部落を作つてゐたことは史上に明かである...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...木屋町の倡家で「幾時頃だらう」とある客がたづねたら傍の舞姫は「待つてお居やすや」と言ひながら靜かに立つて露臺へ出て川向ふの寺を見てゐたが「お寺の門が閉つたさかい五時頃だすやろ」と言つたといふ...
竹久夢二 「砂がき」
...倡女(しょうじょ)群ヲ成シテ扁舟(へんしゅう)ニ棹(さお)サシ...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...天下の政治を人気商売として優倡(ゆうしょう)の徒に委するに似たり...
中里介山 「大菩薩峠」
...処が建暦元年夏の頃上皇が八幡宮に御幸のあった時一人の倡妓があって...
中里介山 「法然行伝」
...「鞭ヲ鳴ラシテ酒肆ヲ過リ服ヲアザヤカニシテ倡門ニ遊ブ――」他の者は世話ものを歌つたが...
牧野信一 「淡雪」
...「倡門ニ遊ブ――か...
牧野信一 「淡雪」
...曰く(略)其角を尋ね嵐雪を訪い素堂を倡い鬼貫に伴う...
正岡子規 「俳人蕪村」
...曰く(略)其角(きかく)を尋ね嵐雪(らんせつ)を訪ひ素堂(そどう)を倡(いざな)ひ鬼貫(おにつら)に伴ふ...
正岡子規 「俳人蕪村」
...『松屋筆記』六五に『二十二史箚記(さっき)』三十巻、元の順帝の至正十一年、〈韓山の童倡(とな)えて言う、天下大いに乱れ、弥勒仏下生すと、江淮(こうわい)の愚民多くこれを信ず、果して寇賊蜂起し、ついに国亡ぶるに至る、しかるにこの謡は至正中より起るにあらざるなり、順帝の至元三年、汝寧(じょねい)より獲るところの捧胡を献ず、弥勒仏小旗、紫金印の量天尺あり、而して泰定帝の時、また先に息州の民趙丑斯(ちょうちゅうし)、郭菩薩等あり、謡言を倡え、弥勒仏まさに天下を有(も)つべしという、有司以て聞す、河南行省に命じてこれを鞫治(きくち)せしむ、これ弥勒仏の謡すでに久しく民間に播(ま)くなり、けだし乱の初めて起る、その根株を抜かず、ついに蔓延して救うべからざるに至る、皆法令緩弛の致すところなり云々〉...
南方熊楠 「十二支考」
...陛下の倡優(しょうゆう)を以(もっ)て遇する所か...
森鴎外 「かのように」
...魚家もその倡家(しょうか)の一つである...
森鴎外 「魚玄機」
...倡優(ショウユウ)...
吉川英治 「三国志」
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