...また別に侍中の共有の貯蓄があって...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...遺詔(いじょう)によって侍中奉車都尉(じちゅうほうしゃとい)霍光(かくこう)が大司馬(だいしば)大将軍として政(まつりごと)を輔(たす)けることになった...
中島敦 「李陵」
...秦主苻堅(ふけん)猛を侍中とせし時猛に譲れり...
南方熊楠 「十二支考」
...「侍中(じちゅう)周(しゅうひ)! 校尉伍瓊(ごけい)! 議郎何(かぎょう)! ――」と...
吉川英治 「三国志」
...兄の子の董(とうこう)を侍中(じちゅう)として...
吉川英治 「三国志」
...侍中(じちゅう)蔡(さいよう)であったから人々はみなびっくりした...
吉川英治 「三国志」
...「陛下」侍中郎(じちゅうろう)の楊(ようき)がそっとお耳へささやいた...
吉川英治 「三国志」
...侍中郎の楊(ようき)が...
吉川英治 「三国志」
...侍中太史令(じちゅうたいしれい)の王立(おうりゅう)という者が...
吉川英治 「三国志」
...漢朝の廷臣や彼の侍中...
吉川英治 「三国志」
...侍中の劉(りゅうい)...
吉川英治 「三国志」
...孔明はふと眉を曇らせたが、なお将士の歓(かん)を興醒(きょうざ)めさせまいと、何気ない態で杯をかさねていると、侍中の一士が、「ただ今、趙雲(ちょううん)の子趙統(ちょうとう)と趙広(ちょうこう)が、二人して参りましたが、これへ召しましょうか」と、取り次いできた...
吉川英治 「三国志」
...侍中の劉曄(りゅうよう)に諮(はか)った...
吉川英治 「三国志」
...いずれにせよ、黒木の御所へ最後の夜まで通っていたのは、三人の典侍中、ひとり小宰相だけだった...
吉川英治 「私本太平記」
...三人の典侍中では年上であり...
吉川英治 「私本太平記」
...――侍中(じちゅう)へ」と...
吉川英治 「新書太閤記」
...馬印は、勝助の乞いにより、勝助の手へ投げ与えられたものだが、その折、勝家のことばのうちに、――侍中へ...
吉川英治 「新書太閤記」
...侍中へたのむぞ、という意味であり、勝助と共に、死地にのこる者達への、思い遣(や)りもあったにちがいない...
吉川英治 「新書太閤記」
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