...両々相調和し親昵(しんじつ)し行くところに...
大隈重信 「永久平和の先決問題」
...即ち両々相対して...
大隈重信 「勢力の中心を議会に移すべし」
...両々相対峙(あいたいじ)して譲らず...
太宰治 「惜別」
...その広場に出ようとするところの左側にその時分評判だった紅葉の『伽羅枕』と露伴の『ひげ男』とが両々相並んで『読売』紙上に載せられるという大きな広告の絵看板が出たことを記憶している...
田山花袋 「日本橋附近」
...日本の風景と寺院の建築とは両々(りょうりょう)相俟(あいま)って全く引離すことが出来ないほどに混和している...
永井荷風 「日和下駄」
...この出鱈目(でたらめ)が両々...
中里介山 「大菩薩峠」
...両々の興味が加わって...
中里介山 「大菩薩峠」
...徳川家康でさえ、あの時に京畿の間にいたんですが、手も足も出ない、それを、あの秀吉が疾風迅雷で中国からかけつけて、ぴたぴたと形(かた)をつけてしまったんですからな、あれは天才ですから」「しかし、あの時の家康は裸でしたから、手も足も出ないのが当然だが、勝家が近畿にいたら、あんなことはありますまい」こんなことを語り合って、いざや両々、これでお別れという時に、青年が、「僕、お別れに詩を吟じましょう、今のその渝州(ゆしゅう)に下るを一つ……」峨眉(がび)山月、半輪ノ秋影ハ平羌(へいきやう)、江水ニ入(い)ツテ流ル夜、清渓ヲ発シテ三峡(さんけふ)ニ向フ君ヲ思ヘドモ見ズ渝州ニ下ル青年は高らかに、その詩を吟じ終ったが、自分ながら感興が乗ったと見えて、「もう一つ――陽関三畳をやります」渭城(ゐじやう)の朝雨、軽塵を(うる)ほす客舎青々(かくしゃせいせい)、柳色新たなり君に勧む、更に尽せよ一杯の酒西の方、陽関を出づれば故人無からん「無からん、無からん、故人無からん」を三度繰返された時、誰もする別離の詩ではあるけれど、今日の兵馬の魂がぞっこんおののくを覚えました...
中里介山 「大菩薩峠」
...「頼むから医科へ行け」「文科ならゆきます」両々...
野村胡堂 「胡堂百話」
...両々相譲らざる二大勢力...
久生十蘭 「魔都」
...既に二つの生活趣味は両々相対立し...
柳田国男 「木綿以前の事」
...両々の体が相迫っている機をすかさず...
吉川英治 「江戸三国志」
...両々相俟(あいま)って...
吉川英治 「大岡越前」
...やがて両々鼓角(こかく)を鳴らして迫りあうや...
吉川英治 「三国志」
...陸地同日に御進発なりしばしがほどは両々...
吉川英治 「私本太平記」
...石秀(せきしゅう)と孫立とはただちに鎗(やり)を合せ、両々譲らず、火をちらし、鎗身(そうしん)を絡(から)みあい、激闘数十合におよんだが、勝負、いつ果てるとも見えなかった...
吉川英治 「新・水滸伝」
...両々こう二者のかけひきは...
吉川英治 「随筆 新平家」
...将門の父良持の健在だった頃には、まさに、常陸源氏に応ずる“坂東平氏(ばんどうへいし)”の概(がい)を以て、両々、相ゆずらない対峙をもっていたものであったが、いつのまにか、良持亡きあとは、叔父三家とも、護の門に駒をつないで、常陸源氏の下に従属してしまった――おそらくは、そうして辛(から)くも、旧門旧領を、保ち得てきたものにちがいない...
吉川英治 「平の将門」
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