...更(さ)らに二氏の答書を促(うなが)したる手簡(しゅかん)ならびに二氏のこれに答えたる返書を後に附記して...
石河幹明 「瘠我慢の説」
...このたびの御手簡には...
太宰治 「虚構の春」
...日本中に類のない愚劣頑迷(がんめい)の御手簡...
太宰治 「虚構の春」
...二つの手簡を持って往かすことにした...
田中貢太郎 「蛇性の婬」
...李克用は親類の手簡を見て護送人に飯を喫(く)わし...
田中貢太郎 「蛇性の婬」
...文壇の各方面に原稿の寄稿依頼の手簡を出したが...
田中貢太郎 「変災序記」
...二つの手簡(てがみ)を持って往かすことにした...
田中貢太郎 「雷峯塔物語」
...その手簡の一つは...
田中貢太郎 「雷峯塔物語」
...鎮江の親類へ手簡を書いて...
田中貢太郎 「雷峯塔物語」
...李克用は親類の手簡を見て...
田中貢太郎 「雷峯塔物語」
...手簡といったたぐいのものがオランダや伊太利で出版されだした...
久生十蘭 「フランス伯N・B」
...それは一八四二年に法王庁領チヴイ・タヴェッキヤで出版された四折版、百二十一頁の小冊で、扉の上端に Les manuscrits indits という文題が薔薇の木の唐草模様で囲まれ、その下にラテン筆記体で sur la seconde-vie de N. B. とあって、「聖ヘレナ島司ハドソン・ロオとの対話」「脱島人、サウル・ランボオよりの聞書」「一八一六年六月、メジューズ号にたいするエークス島民の風説」「運送船マサニエル号船長の目撃したる一八一九年七月二十二日、ロング・ウッド、N・B邸の火災及びその顛末」こんなふうに日記、手簡、備忘といった小記録が豊富に蒐集されているが、専門の歴史家のお家芸である全体的な叙述や広汎な綜合はいっさいやっていない...
久生十蘭 「フランス伯N・B」
...(下略)しかるに翌年の四月アレキサンドル帝はオーストリヤのヴィーン市より手簡をベンサムに贈ってその厚意を謝し...
穂積陳重 「法窓夜話」
...『白石先生手簡』...
柳田国男 「山の人生」
...袁譚から手簡を受けた...
吉川英治 「三国志」
...それは曹操の幕下で日常顔を見ている張允(ちょういん)の手簡ではないか...
吉川英治 「三国志」
...「五郎の手簡など...
吉川英治 「新書太閤記」
...武蔵の自筆の手簡や文書などには...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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