...ただ船上山(せんじょうせん)の方の手配をすぐたのむと...
吉川英治 「私本太平記」
...船上山(せんじょうせん)老人のつねで梶岡の永観入道もきまって夜半に厠(かわや)に通う...
吉川英治 「私本太平記」
...目標のお人は早や船上山の上らしいのだ...
吉川英治 「私本太平記」
...船上山の東方へはや兵をすすめていた...
吉川英治 「私本太平記」
...ために船上山攻めは...
吉川英治 「私本太平記」
...船上山へむかって...
吉川英治 「私本太平記」
...なによりは船上山そのものが天与の地の利であったとおもう...
吉川英治 「私本太平記」
...祖先の船上山の功を誇りにしていたとのことだ...
吉川英治 「私本太平記」
...――遠くから望んでも船上山の春は...
吉川英治 「私本太平記」
...船上山の上に後醍醐がおちつかれたのも...
吉川英治 「私本太平記」
...船上山の詔は九州だけでなく...
吉川英治 「私本太平記」
...船上山からの密詔と錦旗をうけていた者だし...
吉川英治 「私本太平記」
...はるか伯耆(ほうき)船上山(せんじょうせん)の行宮(あんぐう)からも...
吉川英治 「私本太平記」
...伯耆の船上山の御座(おまし)には...
吉川英治 「私本太平記」
...伯耆(ほうき)船上山の行在所(あんざいしょ)――すなわち後醍醐(ごだいご)のみかどのもとへ――ここの大戦捷を...
吉川英治 「私本太平記」
...さきに伯耆(ほうき)の船上山(せんじょうせん)を立たれた帝の瑶輿(ようよ)(こし)は日をかさねて...
吉川英治 「私本太平記」
...当年――元弘三年三月に起った博多合戦とその前後のことは――もう先に“船上山”の条(くだり)から“博多日記”のあたりで一おう書いておいた...
吉川英治 「私本太平記」
...名和長年(なわながとし)が船上山(せんじょうせん)に拠(よ)る経緯をつづってゆく...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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