...彼の気質の中には政治家の泣き言の意味でない本来の意味の是々非々の態度を示そうとする傾向があった...
太宰治 「ロマネスク」
...例えばそこには純理派の「是々非々主義」――之は非を是とし是を非とすることの告白に外ならないが――がある)...
戸坂潤 「現代哲学講話」
...やむを得ず是々非々主義の類で態度を曖昧にしていなければならなくなっている次第だ...
戸坂潤 「近衛内閣の常識性」
...是々非々式にこれにのぞめばよいのです...
三好十郎 「恐怖の季節」
...世評是々非々春日山へ総引揚げの後も...
吉川英治 「上杉謙信」
...当時からすでに喧(やかま)しい是々非々(ぜぜひひ)が取交わされていたらしい...
吉川英治 「上杉謙信」
...國歌君ヶ代の是々非々論をあちこちに見かける...
吉川英治 「折々の記」
...暖衣飽食(だんいほうしょく)しながら是々非々(ぜぜひひ)論じたところで...
吉川英治 「三国志」
...孔明を是々非々してみる必要はないじゃないか――と世の理論好きに一句止(とど)めをさしたものといえよう...
吉川英治 「三国志」
...故等持院殿(ことうじいんでん)(尊氏の法号)どのに関する思い出や世評是々非々(ぜぜひひ)にたいする検校の意見なども伺い...
吉川英治 「私本太平記」
...しぜん尊氏にたいする功罪論の是々非々(ぜぜひひ)だの...
吉川英治 「私本太平記」
...叡山焼討ちという曠世(こうせい)の大猛断をやったことが、その是々非々、ふたつに分れて、暴風のような批判を天下にまき起した結果であることはいうまでもない...
吉川英治 「新書太閤記」
...世の是々非々、あらゆる嘲罵(ちょうば)にも、まるで耳のないような人――山中鹿之介は、その妻子や一族郎党と共に、周防(すおう)の任地へ導かれて行った...
吉川英治 「新書太閤記」
...それがしが旗挙げの儀か」「えらい事をやられたな」「世間は何といっておる」「是々非々か」「まちまちだろう...
吉川英治 「新書太閤記」
...光秀の是々非々などくり返していると...
吉川英治 「新書太閤記」
...義経の蝦夷(えぞ)亡命説や、義経ジンギスカン説などは、以前、その是々非々で、史学界を賑わしたものである...
吉川英治 「随筆 新平家」
...例のごとく名古屋文化是々非々談...
吉川英治 「随筆 新平家」
...愛宕山の連歌の会では、紹巴(しょうは)の次韻(じいん)をうけて、時は今天(あめ)が下知る五月哉(さつきかな)と、詠(よ)まれたそうで、後では皆が、すでにその時の会には、光秀様の胸の深淵に、恐ろしいぬしが叛逆の口を怒らせていたのじゃと、是々非々、噂し合ったが、それもこれも、及ばぬ後の事でしかない...
吉川英治 「茶漬三略」
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