...然れどもその偽(いつわり)なるは地図を按ずるまでも無之候...
芥川龍之介 「雑信一束」
...かのウィーンの条約〔按ずるにウィーンの条約は一八一五年欧州諸国の仏国と講和の条約〕以来戦争に死したる者大約三百万人に及べり...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...また初めて電線を水底に敷設せしは一八五〇年ドーバーとカレイ〔按ずるにドーバーは英にありカレイは仏にあり〕間の電線となす...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...按ずるに此たけしまは近江なる湖中に有多氣島のことをよみしものか...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...按ずるに三止女は南天竺の國名...
南方熊楠 「女順禮」
...また按ずるにホワイトの『セルボルン博物志』に牛が沢中に草食う際...
南方熊楠 「十二支考」
...これは拠って按ずるに...
南方熊楠 「十二支考」
...按ずるに孫思(そんしばく)は旧新唐書に伝がある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに成美は出仕を命ぜられた後に...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに斎は識語を作るに当つて名(めい)を其子に藉りたのであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに蘭軒と斎とは見る所を同じうしてゐたのであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに蘭軒の歿前一二年間の事は...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに文政己卯は柏軒甫(はじめ)て十歳で...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに蘭軒の女(ぢよ)は文化乙丑に長女天津(てつ)が夭し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...今按ずるに、安石の生年文政七年より推せば、志保は文政六年の頃綿貫が許にゐて、七年に安石を生み、中二年を隔てて、十年に榛軒に嫁したのであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」按ずるに枳園養竹は早く致仕し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに改暦後、月を変へて日を変へずに五月二十三日とし、所謂夜(たいや)に客を招いたのであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに、いま陸口(りっこう)(湖北省、漢口の上流)には、呉の呂蒙(りょもう)が大将となって、一軍団を屯(たむろ)させています...
吉川英治 「三国志」
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