...按ずるに、蛾蛾同韻(ががどうゐん)(五何反)なれば相通(あひつう)じて往々(わう/\)書見(しよけん)す...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...按ずるに淀君はそれより五年前...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...かのウィーンの条約〔按ずるにウィーンの条約は一八一五年欧州諸国の仏国と講和の条約〕以来戦争に死したる者大約三百万人に及べり...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...拒婚の字義を按ずるに拒は強請せられて後これを防ぐの意...
永井荷風 「偏奇館漫録」
...按ずるにこれはいつか中国へはいった外国産であろうと思う...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...然るに弘按ずるに左までは近かるまじきやに思ふ...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...按ずるに古くは子(ね)の権現といえりしを...
南方熊楠 「十二支考」
...按ずるに榊原主計は当時無職の旗本であつたであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「信恬按ずるに、此両記幽斎紀行は天正十五年勝俊は天正末つ方也...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに孫思(そんしばく)は旧新唐書に伝がある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」按ずるに桂とは巌桂(がんけい)を謂ふのであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに所謂評判は団十郎去後の評判でなくてはならない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに正教の死は棠軒の福山を発する前にあつて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに後年蘭軒の姉正宗院の寿宴のとき...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに徴と孫とは皆榛門にゐたのに...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに岡西養玄は己巳に一たび岡待蔵と称し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...按ずるに、いま陸口(りっこう)(湖北省、漢口の上流)には、呉の呂蒙(りょもう)が大将となって、一軍団を屯(たむろ)させています...
吉川英治 「三国志」
...按ずるに将軍は今から後...
吉川英治 「三国志」
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