...弘仁年間(こうにんねんかん)に藥師寺(やくしじ)の僧(そう)景戒(けいかい)が著(あらは)した「日本靈異記(にほんれいいき)」が最(もつと)も古(ふる)いものであらう...
伊東忠太 「妖怪研究」
...そして此の律宗獨特の作風がすぐあとにつづく弘仁の密教的佛像に影響を與へてゐる點もおもしろい...
高村光太郎 「唐招提寺木彫如來形像」
...遂に次代弘仁期の木彫全盛に及ぶ...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...弘仁貞観から寛平に至る大宗教時代は日本木彫史上の壮観である...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...弘仁年間には文室綿麻呂の遠征があり...
太宰治 「津軽」
...弘仁ぶりの柱と長押が...
中里介山 「大菩薩峠」
...『弘仁式』にあった祝詞をその中に収めたのではないかと思います...
橋本進吉 「古代国語の音韻に就いて」
...陵前(左方)に立つてゐる弘仁十四年九月の「たまおどんのひのもん」には...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...弘仁元年に三十七歳とは誤写で確か七...
南方熊楠 「十二支考」
...(昭公二十八年)攝陽群談一二に嵯峨の弘仁三年六月岩氏人柱に立つたと見え...
南方熊楠 「人柱の話」
...相模湾から発する大地震過去において相模湾から発現し、関東全域に被害を生じたと推定される大地震は、(一)弘仁九年、(二)永仁元年、(三)永享五年、(四)元禄十六年及び、(五)大正十二年の五回である...
武者金吉 「地震なまず」
...弘仁・永仁両地震の間に洩れた地震が一回あったのではあるまいか...
武者金吉 「地震なまず」
...また弘仁内裏式五月六日の観馬射式の条...
柳田國男 「地名の研究」
...弘仁(こうにん)九年の戒告のごときはきわめて猛烈なものである(日本逸史)...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...とにかく天平中ごろの僧尼の気風と弘仁期のそれとの間には著しい相違があるのである...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...文芸としては弘仁の特性を現わしている...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...しかし天平時代末期から弘仁初期へかけての変遷は...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...天平様式より弘仁貞観様式への推移において...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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