...吾儕幸得此埔遊(わがさいさいはひにえたりこのほのいう)」と云ふが如し...
芥川龍之介 「骨董羹」
...「路旁生命水清流(ろばうのせいめいみづきよくながる)天路行人喜暫留(てんろのかうじんよろこびしばらくとどまる)百果奇花供悦楽(ひやくくわきくわえつらくにきようす)吾儕幸得此埔遊(わがさいさいはひにえたりこのほのいう)」――大体こんなものと思へば好(よ)い...
芥川龍之介 「本の事」
...安南及び東埔塞の統監を廢し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...安南及び東埔塞の統監を廃し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...能高郡守小笠原敬太郎がわざわざ埔里(ほり)の町から出張に及んで会に臨席していることも...
中村地平 「霧の蕃社」
...埔里(ほり)武徳殿や...
中村地平 「霧の蕃社」
...吉村視学は蕃人蜂起のことをすぐに電話で埔里(ほり)郡役所に伝えた...
中村地平 「霧の蕃社」
...埔里郡役所から事件の報告を受けとった台中州庁では...
中村地平 「霧の蕃社」
...警察隊と軍隊とは相協力して、埔里、能高、ビヤナンの三方面より霧社を挟撃しようというのである...
中村地平 「霧の蕃社」
...これを焼きはらい埔里方面に進出しようとする態勢を示した...
中村地平 「霧の蕃社」
...埔里盆地の中央に在り...
中村地平 「霧の蕃社」
...水越台中州知事とは埔里で会見...
中村地平 「霧の蕃社」
...その尖(さき)を見て向う所を占う(アイモニエー『柬埔寨人風俗迷信記(ノート・シユル・レ・クーツーム・エ・クロヤンス・スペルスチシヨース・デ・カンボジヤン)』)...
南方熊楠 「十二支考」
...ムラの『柬埔寨王国誌(ル・ロヨーム・ジュ・カンボジュ)』二に...
南方熊楠 「十二支考」
...かの像竹から地下へ抜け失せしまうという(『仏領交趾支那(コシャンシン・フランセーズ)雑誌』一六号に載ったエーモニエの『柬埔※(カンボジヤ)風習俗信記』一三六頁)...
南方熊楠 「十二支考」
...ムーラの『柬埔※(カンボジア)誌』一巻一五七頁参照)...
南方熊楠 「十二支考」
...柬埔寨(カンボジヤ)...
吉川英治 「新書太閤記」
...黄埔(おうほ)軍官学校の軍艦飛鷹から飛行機が一台...
吉行エイスケ 「地図に出てくる男女」
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