...重立つ人々の指圖を待つて居る...
伊藤左千夫 「古代之少女」
...この句集は生前に芥川から頼まれてゐたので指圖に從つてつくつたが...
小穴隆一 「二つの繪」
...鹿島兩神の雄圖を偲び...
大町桂月 「北總の十六島」
...生きて回天の雄圖を成し...
高山樗牛 「人生終に奈何」
...」「まあ、圖々しい...
太宰治 「お伽草紙」
...相圖につれて、一行は皆な其處此處から集つて來た...
田山花袋 「歸國」
...あなたの指圖通りに一生懸命に働く決心だから……』と申しますと喜んでうなづきました...
土井八枝 「隨筆 藪柑子」
...すると又(また)不圖(ふと)眼(め)が開(あ)いた...
夏目漱石 「門」
...聲は高くすれば聞えるくらゐの遠さだつたが、向うの看護婦とこつちの武井さんが時にはわざとらしく半布(ハンケチ)を振つて、相圖をし合つて、無聊を慰めるやうな笑ひを洩らし合つたりするのであつた...
南部修太郎 「病院の窓」
...毎晩合圖をしては...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...往來の人へ合圖をする者があつたら...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「此處へ斯う大黒頭巾か何んか冠つて後ろに千兩箱を杉なりに積んだ圖は惡くありませんね...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...建てた棟梁は必ず寫しの繪圖面を持つて居る筈だ...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...南部系圖には、甲斐源氏として同族なる武田晴信の晴の一字を請ひ受けたと記し將軍義晴の一字を賜はつたことをば唯別説として記してあるが、却へりて公儀日記の方には、此度偏諱を賜はり度いとて上洛して居る南部といふ者は、奧州でも聞ゆる豪の者であるから、望み通り與へられて宜しからうと評議一決したことが載せてあつて、晴の字が將軍の偏諱であること紛れもない...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...「先生のお指圖(さしづ)通りに...
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」
...やはり同じ更級郡にあつて昔小長谷山(をはつせ)といはれてゐた山(現在の參謀本部の地圖には篠山と記載せらる)であつたらしいと云ふ...
堀辰雄 「姨捨記」
...なんだかウヰリアム・ブレイクの繪の或る複雜な構圖と同じやうな不可解さをもつて彼に迫りながら...
堀辰雄 「恢復期」
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水上滝太郎 「大阪の宿」
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