...彼は南都北嶺の恐るべき勢力たるを看取し...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...南都北嶺の反心によりて...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...たうとう南都北嶺の嫉視を招き...
太宰治 「右大臣実朝」
...不日南都へ行幸の上御軍議あるべきにつき...
中里介山 「大菩薩峠」
...父清盛の命によって南都を攻め...
中里介山 「法然行伝」
...山梨県南都留郡中野村平野...
三浦環 「お蝶夫人」
...叡山系の法師、南都の僧侶...
吉川英治 「私本太平記」
...南都に遊び洛内に住(じゅう)し...
吉川英治 「私本太平記」
...――南都も深く宮方に契(ちぎ)りおるもの...
吉川英治 「私本太平記」
...南都の東大寺に秘蔵伝来されている蘭奢待(らんじゃたい)の名香(めいこう)を截(き)るおゆるしをうけた...
吉川英治 「新書太閤記」
...「南都の大伽藍(だいがらん)を焼き払ったり...
吉川英治 「親鸞」
...南都にも聞えた秀才であったが...
吉川英治 「親鸞」
...もちろん、ここにも、叡山に加担する公卿(くげ)や、南都の云い分や、明慧(みょうえ)上人の学説に共鳴する者は少なくないので、二つの思潮は、二つの政治的な分野にもわかれ、いつも、激論に終ってしまった...
吉川英治 「親鸞」
...南都も、それを伝え聞いて起った...
吉川英治 「親鸞」
...彼が南都の東大寺を焼き払ったことなども...
吉川英治 「随筆 新平家」
...「失礼ですが、それまでに、貴公はどこでどういうご修行をつまれたので……?」「修行などというほどなことはしておりませんが、養家(ようか)の貧(ひん)したため十五歳で京都の妙心寺(みょうしんじ)に小僧にやられ、名を十竹(じっちく)ともらい、笈(おいずる)を負うて、若いあいだ、南都(なんと)、高野(こうや)、諸山を遍参(へんさん)して、すこしばかり仏法をかじったり、一切経(いっさいきょう)を読んでみたり、また論語(ろんご)にしがみついたりしましたが――ふと、国学にはいって、この皇国(みくに)の真髄を明示されてから、断然、髪をたくわえて、江戸にのぼりました...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...白鳳天平時代の仏教思想については南都六宗における熱烈なる学問的研究を理解するを要する...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...数世紀の間人心を支配した南都北嶺の教権は...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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