...酉剋に至つて和田四郎左衙門尉義直さまが討死をなされ...
太宰治 「右大臣実朝」
...御幼少の頃より和歌に親しみ、古写本の断片などに依り少しづつ本格のお手習ひをはじめ、十四歳の頃にはすでにお傍の人たちを瞠若たらしむるほどの秀歌をおよみになつて、さらにそのとし、内藤兵衛尉朝親さまが京都よりの御土産として新古今和歌集一巻を献上なされ、しかもその和歌集には御父君、右大将家のお歌も撰載せられて居りましたので、御感激もひとしほ強く、その和歌集に就いていよいよ歌道にはげみ、御ところの風流人を召集めて和歌の御会などもおひらきになり、たまたま御気色を蒙つた御家人が、和歌一首たてまつつたところ、たちまち御宥免になつたとかいふ事さへあつたほどで、承元二年、十七歳の御時に清綱さまから相伝の古今和歌集の献上があり、末代までの重宝とおよろこびになつたのは前にも申し上げました事で、その翌年には御夢想に依つて住吉社に二十首の御詠歌を奉り、事のついでに、京極中将定家朝臣に御初学以来のお歌の中から三十首を選んで送り、ほどなく、定家卿からその三十首のお歌にそれぞれお点をつけて返進してまゐりまして、それ以来、定家卿について更に熱心に歌道にはげまれ、「詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬまでも高き姿を願ひて、」などといふ定家卿のお教へに従ひ、翌々年の七月には、時ニヨリ過グレバ民ノ歎キナリ八大竜王雨止メ給ヘといふ堂々たるお歌をお作りになられ、もはや押しも押されもせぬ古今独歩の大歌人たる御品格をお示しになり、さうして、その十月には鴨の長明入道さまにお逢ひになり、稲妻の胸にひらめくが如く一瞬にして和歌の奥儀を感得なされ、それ以後のお歌はことごとく珠玉ならざるはなく、いまは、はや御年二十二歳、御自身も、このとしをもつて、わが歌の絶頂とお見極めをつけられた御様子でございまして、御詠歌の数もおびただしく、深夜、子の剋、丑の剋まで御寝なさらずにお歌を御労作なさつて居られる事も珍らしくはなく、そのやうな折にはお顔の色も蒼ざめ、おからだも透きとほるやうなこの世のお方でない不思議の精霊を拝する思ひが致しまして、精霊が精霊を呼ぶとでも申すのでございませうか、御苦吟の将軍家のお目の前に、寒々した女がすつと夢のやうに立つて、私もそれは見ました、まざまざと見ました、あなやの声を発するいとまもなく、矢のやうに飛んで消え去りましたが、天稟の歌人の御苦吟の折には、このやうな不思議も敢へて異とするに足らぬのではなからうかと、身の毛もよだつ思ひに震へながらも私はそのやうに考へ直した事でございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...相剋(そうこく)争闘の爆音のほうが古典的和弦(かげん)などよりもはるかに快く聞かれるのであろう...
寺田寅彦 「カメラをさげて」
...事実近衛内閣によって「国内相剋」は多少とも緩和された...
戸坂潤 「近衛内閣の常識性」
...それを剋伏しようとして努力した...
レオ・トルストイ Lev Nikolaevich Tolstoi 森林太郎訳 「パアテル・セルギウス」
...下剋上の世の中でありまして...
内藤湖南 「應仁の亂に就て」
...静かなのは相剋(あいこく)する血と骨の...
夏目漱石 「思い出す事など」
...「夫(おっと)を剋(こく)する顔だ」と主人はなお口惜(くや)しそうである...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...この人間性の覚醒と行動の抑制との相剋があらゆる方面にあらわれていたルネッサンス時代に...
宮本百合子 「現代の主題」
...芸術的意図と経営的必要との相剋は...
三好十郎 「俳優への手紙」
...闘争あり悪人善人相剋して筋をなす...
山本周五郎 「新潮記」
...各藩における新旧二派の拮抗相剋...
山本周五郎 「新潮記」
...肉体のご困憊(こんぱい)には剋(か)ちえない...
吉川英治 「私本太平記」
...禅律師(ぜんりつし)下剋上(げこくじやう)する成り出者器用の堪否(かんぴ)...
吉川英治 「私本太平記」
...これらの下剋上(げこくじょう)を急にし出した原因の一つには...
吉川英治 「私本太平記」
...主人の剋(か)ち獲(え)たその尊い「生」をなぐさめようと争い努めたのはむりもない...
吉川英治 「新書太閤記」
...それに打ち剋(か)ち...
吉川英治 「新書太閤記」
...同族の相剋(そうこく)やら...
吉川英治 「親鸞」
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