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石川啄木 「一握の砂」
...凌雲閣には餘り高いのに怖氣(おぢけ)立つて...
石川啄木 「天鵞絨」
...その噴火口は波状の平原に連(つらな)れるが、摺鉢(すりばち)の如くには深く陥(おちい)らず、大皿の如くにて、大雪山の頂上は南北三里、東西二里もあるべく、その周囲には北鎮岳、凌雲岳、黒岳、赤岳、白雲岳、熊ヶ岳、など崛起(くっき)し、南に連りて旭岳孤立す...
大町桂月 「層雲峡より大雪山へ」
...平安朝時代の詩文の集は凌雲集...
内藤湖南 「平安朝時代の漢文學」
...当時凌雲閣の近処には依然としてそういう小家(こいえ)がなお数知れず残っていたが...
永井荷風 「寺じまの記」
...その随行としては杉浦愛蔵、保科(ほしな)俊太郎、渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作(みづくり)貞一郎、山内元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、それぞれの人材が出かけることになりました...
中里介山 「大菩薩峠」
...黒岳小屋は高距およそ千五百メートル、黒岳、凌雲、北鎮、北海などの峰々が緩く波打つ間の盆地にあって、あたりは広い雪田と花野で眼ざましくいろどられ、大雪山上の概貌はほぼ得られるのだが、実は大雪火山群の北東の一部にすぎず、最高峰の旭岳(二二九〇メートル)はじめ白雲岳以南、忠別、トムラウシ、化雲(ケウン)から石狩岳へかけての広大な領域は視野の外にある...
中村清太郎 「ある偃松の独白」
...凌雲閣(りょううんかく)へのろうが...
夏目漱石 「坊っちゃん」
...「凌雲閣(りょううんかく)登壇人(未来の天狗(てんぐ)木葉武者(こっぱむしゃ))ってのがあるわ...
長谷川時雨 「田沢稲船」
...この凌雲閣の登りかたで...
長谷川時雨 「田沢稲船」
...宇治の鳳凰堂(ほうおうどう)のような五層楼――凌雲閣を睨(にら)む人に正直正太夫(しょうじきしょうだゆう)の緑雨醒客(りょくうせいきゃく)のあるのも面白い...
長谷川時雨 「田沢稲船」
...すなわち一は凌雲の大竹にして一は矮形の小竹なり...
牧野富太郎 「植物記」
...この団扇の画は浮世絵で浅草の凌雲閣(りょううんかく)が画いてあるので...
正岡子規 「病牀六尺」
...凌雲閣はとても絵になるべきものとは思はれんのであるが...
正岡子規 「病牀六尺」
...それは凌雲閣を少し横へ寄せて団扇いつぱいの高さに画いて...
正岡子規 「病牀六尺」
...これも凌雲閣といふ突飛な建物に対して...
正岡子規 「病牀六尺」
...凌雲閣を材料として無理に絵を画くならば...
正岡子規 「病牀六尺」
...凌雲(りょううん)の気 堂々の男誰とかなす押牢(おうろう)の蔡福(さいふく)なれ青鸞(せいらん)の帯無角(むかく)の頭巾(ずきん)歩むところ 草木おののき声きけば哭(な)く子もやむ名(つ)けたりな そのアダ名も鉄臂膊(てっぴはく)とはこれは兄の方だが...
吉川英治 「新・水滸伝」
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