...裏丹波の三草(みくさ)へとった...
吉川英治 「私本太平記」
...彼が三草(みくさ)越えの途で詠(よ)んだ歌として歌集「等持院殿(等持院は尊氏の院号)百首」のうちに載っている一つである...
吉川英治 「私本太平記」
...おもうに三草の山間のまだ残雪もまだらな道を疲れた馬にゆられつつ行く途中でふと矢立の筆をとってたれかに示したものではないか...
吉川英治 「私本太平記」
...すべて三草越え以後のこととしているのである...
吉川英治 「私本太平記」
...老坂や三草(みくさ)の丹波堺(ざかい)をふりむくと...
吉川英治 「新書太閤記」
...三草などのいわゆる丹波路の裏を歩いてみたい考えである...
吉川英治 「随筆 新平家」
...篠山(ささやま)と通過し――篠山から西南の三草越(みくさご)えをさして急ぎに急いでいた...
吉川英治 「源頼朝」
...三草山をこえて、播磨境(はりまざかい)にはいり、印南野(いなみの)を南へ南へと下がってゆくと、やがて、馬蹄の下に、一ノ谷がのぞかれる...
吉川英治 「源頼朝」
...平資盛(すけもり)がかためておる三草山の砦(とりで)がある...
吉川英治 「源頼朝」
...三草山の塁をふみ破って...
吉川英治 「源頼朝」
...この三草山の向う側――西の麓にものものしく塁を築いています...
吉川英治 「源頼朝」
...三草山の東麓にある将士は...
吉川英治 「源頼朝」
...三草山のてまえでも...
吉川英治 「源頼朝」
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