...(勿論「俳諧師」の作家高浜氏の小説の上に残した足跡は別に勘定するのである...
芥川龍之介 「文芸的な、余りに文芸的な」
...ぞろぞろ一団(かたま)りになつて高浜氏をその旅宿(やどや)に訪問した...
薄田泣菫 「茶話」
...昭和十八年五月十九日鎌倉草庵にて高浜虚子註 改造社発行拙著『五百句』の百六十一頁「天の川」の句は取消す...
高浜虚子 「五百五十句」
...河東さんや高浜さんはおいでになって居るが...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...高浜といったところでその地名と私の姓とは何の関係もある訳ではない...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...夏目金之助高浜清様○明治三十九年四月三十日(封書)啓一金参拾八円五拾銭也一金壱百四拾八円也計壱百八拾六円五拾銭也右は「吾輩は猫である(十)」及び「坊っちゃん」の原稿料として正に領掌仕候也...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...十七日夏目金之助高浜清様○明治三十九年七月十九日(ハガキ)昨日は失敬...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...七月十九日夏目金之助高浜清様○明治三十九年八月三日(端書)拝啓 碧梧桐の送別会へはついに出られず失敬致候...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...夏目金之助高浜清様○明治四十年一月十八日(封書)「縁(えにし)」という面白いものを得たから『ホトトギス』へ差し上げます...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...夏目金之助高浜清様○明治四十年五月四日(葉書)「花瀬川」はものにならず...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...高浜へ着いたのは十一時近かつた...
種田山頭火 「松山日記」
...高浜さんには礼を失した点も多かろうと思うが昔に免じて御宥恕(ごゆうじょ)を願いたい...
寺田寅彦 「高浜さんと私」
...先生の「猫」のつづきを朗読するのはいつも高浜(たかはま)さんであったが...
寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
...藩主と世子はその軍艦の高浜港に繋いであるのを見分に行かれた...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...ちょうど高浜虚子氏及その兄池内信嘉氏も帰県していて一緒に見た...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...宝塚百人一首から生れ久良伎そのころの宝塚少女歌劇は「雲井浪子」「篠原浅茅」「高浜喜久子」「秋田露子」「笹原いな子」「高砂松子」「高峰妙子」「有明月子」「天津乙女」と云つた風に...
正岡容 「大正東京錦絵」
...そして高浜虚子が私と同じ名の清だから...
三木清 「読書遍歴」
...印度洋で、高浜虚子氏は、印度洋月は東に日は西にという句をつくられたが、この句ほど下手な句はないにも拘らず、この幼稚な平凡さに落ち込んだ所に、名手でなければ落ち込み難い、外国という越ゆべからざる穴がある...
横光利一 「欧洲紀行」
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