...曲学阿世(きよくがくあせい)の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう...
芥川龍之介 「或旧友へ送る手記」
...ただ皇室中心主義では曲学阿世の徒にも常套の言葉だし……」松村が首をひねった...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...各其國の用を爲してゐる間に自然に曲學阿世の風を生じたものと看るのである...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...單に公孫弘が武帝個人の意を迎へたのが曲學阿世であるのみならず...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...漢代に於て此の如く曲學阿世の風が行はれ...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...曲学阿世の学者が無理やりに過去の日本歴史から造り出した教訓的臭味を感じさせない...
永井荷風 「海洋の旅」
...曲学阿世の風が盛であつた宝暦の時代にも馬文耕といひ志道軒といふが如き畸人が現れた...
永井荷風 「来訪者」
...少しく自分の説と異なればただちに曲学阿世(きょくがくあせい)だとか...
新渡戸稲造 「自警録」
...学者は一人残らず曲学阿世の徒でさあ...
三好十郎 「廃墟(一幕)」
...論議のために論議のみして日を暮している曲学阿世(きょくがくあせい)の仲間から逃げたのである...
吉川英治 「三国志」
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