...この阪東(後改め)大村村右衛門でした...
淡島寒月 「江戸か東京か」
...舞踏会の才子佳人はあたかも阪東武者に襲われた平家の公達上のように影を潜めて屏息した...
内田魯庵 「四十年前」
...阪東妻三郎の映画のタイトルの中に...
太宰治 「狂言の神」
...ひろびろとしてまことに阪東(ばんどう)太郎の名にそむかぬほど大河(たいか)のおもむきをなしていた...
田山花袋 「田舎教師」
...昔から阪東男(ばんどうおとこ)の元気任せに微塵(みじん)になる程御神輿の衝撞(ぶつけ)あい...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...特に吾が国に於ける代表的な四大新聞――大阪東京両朝日・大阪毎日・東京日日――が少なくとも外見上政党色を持たなくなっているという事実から...
戸坂潤 「現代哲学講話」
...阪東秀代が江戸から流れて来たのは弘化三年...
中里介山 「大菩薩峠」
...流名を以て言えば篠塚流と、阪東流と、西川流とが、幕末及び明治にかけての名古屋舞踊の三大潮流をなす...
中里介山 「大菩薩峠」
...阪東秀代は舞踊に於て...
中里介山 「大菩薩峠」
...阪東派の盛んなのを見て...
中里介山 「大菩薩峠」
...踊の名取りが阪東桂八(ばんどうけいはち)さ...
長谷川時雨 「市川九女八」
...二銭団洲とは、下谷の柳盛座(りゅうせいざ)で、二銭の木戸銭で見せていた、阪東又三郎が、めっかちではあるが団十郎を真似て、一生の望みが叶(かな)って、歌舞伎座の夏休みのあきを借りて乗り出したことがあったのを、いかもの食いの見物が、つねづね噂(うわさ)に聞いた二銭団洲を見にいった...
長谷川時雨 「市川九女八」
...その隣りに阪東三弥吉という女の踊りの師匠がいた...
長谷川時雨 「旧聞日本橋」
...阪東百代(ばんどうももよ)という踊りの師匠のお母さんになったのだ...
長谷川時雨 「神田附木店」
...先々代圓蔵が得意とした「派手彦」で白鼠の番頭さんが阪東なにがしという踊りのお師匠さんを病気になるほど思いつめ...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...鎧は阪東(ばんどう)の小山(おやま)...
南方熊楠 「十二支考」
......
山中貞雄 「なりひら小僧」
...わっしは大阪東奉行所の手先です...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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