...豊太閤が朝鮮半島に用いた勢力の余波は間もなく慶長十四年の琉球征伐となってあらわれました...
伊波普猷 「琉球史の趨勢」
...そして、ジンギス汗等は、豐太閤と等しく、義雄の主張する自己充實に於いて殆ど遺憾がなかつた...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...先づ伊藤公の略歴から初め、公を以つて現代の豐太閤と爲し、公と時代思想との關係を説き、わが國將來の戰爭と發展との根本的性質に及び、歐米諸國の僞文明を排して實力を尊ぶ野蠻主義の必要を述べ、藤公の一缺點はその野蠻主義を押し通す勇氣に乏しかつたところにあり、また、豐太閤と同樣、心に餘裕、乃ち、ゆるみを生じたのが間違ひであつたと評し、生々、強烈、威力、悲痛、自己中心の刹那主義を説いて結論にした...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...5太閤記を見ると...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...されども太閤の高恩を忘れ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...少くとも太閤の疑惑を招くには十分であって...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...幼少の頃から豊太閤(ほうたいこう)と淀君(よどぎみ)が好きなので...
谷崎潤一郎 「細雪」
...「私が其昔大阪で淨瑠璃を稽古した時に太閤記十段目をお師匠さんに教はつて...
土井八枝 「隨筆 藪柑子」
...太閤秀吉の偉いのとは違いましょう...
中里介山 「大菩薩峠」
...太閤殿下のお賞(ほ)めにあずかるというところで幕...
中里介山 「大菩薩峠」
...太閤伝来の大分銅(だいふんどう)を目にかけて...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこは豊太閤及び加藤肥州の生れた故郷とかねて承っておりまするところから...
中里介山 「大菩薩峠」
...豊太閤そのものを怖れずして...
中里介山 「大菩薩峠」
...龍之助と名乗る男「あれが太閤道の辻堂で御座ろうな」旅の雲水空善(くうぜん)は頭の上を振り仰ぎました...
野村胡堂 「大江戸黄金狂」
...太閤の征韓の役を想え...
山本周五郎 「新潮記」
...もう故太閤殿下の朝鮮役が...
吉川英治 「大谷刑部」
...自分の近著「太閤記」を課題として...
吉川英治 「折々の記」
...わけても玉日は、いちばんの末娘ではあり、他の姉はみな嫁(とつ)ぐべき所を得ているのに、この姫(むすめ)だけが、とかく幾ら縁談があっても、(まだ――)とか、(あの一族の家(とこ)では)とか、容易に嫁ぐといわないでもう世間なみからいえば、遅い婚期になっているのでもあるが、せめてこの姫(むすめ)一人だけは、老(お)いの身の側から離したくない気もするしで、盲愛といってもよいほど、父の禅閤の君は、この姫が、可憐(いじら)しくて可愛くてならないのであった...
吉川英治 「親鸞」
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