...御台所厳閤の薨去に依りて...
太宰治 「右大臣実朝」
...「太閤と利休の関係は...
太宰治 「庭」
...後に殿より太閤殿下へ差上げた品でござりましたから...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...それで毎日毎晩太閤記十段目をやつた...
土井八枝 「隨筆 藪柑子」
...一條禪閤の如きも當時の亂世の後に結構な時代が來るとは豫想しなかつたのであります...
内藤湖南 「應仁の亂に就て」
...何か太閤常勝軍の標幟となつた千生り瓢箪のモツトーがほしいものだと誰も考へる...
長岡半太郎 「大阪といふところ」
...不幸にしてその時は、あんまり坊主の当り年でなかったと見え、武田入道が亡くなる間もなく上杉入道がなくなった」「謙信が死んで悦(よろこ)んだのは織田公だが、信玄が亡くなって運が開けたのは家康公だ、謙信あるうちは信長公の志は遂げられなかったように、信玄存する間、家康公も実際手も足も出せなかった御様子だ」「しかし、信長公も家康公も、信玄、謙信とはともかくも手合せをしておられるけれど、太閤だけは、ついぞ張り合ってみたことがないようでござるが、あの太閤の軍(いくさ)ぶりと、信玄、謙信あたりと掛け合わせてみたらどんなものであったろう...
中里介山 「大菩薩峠」
...太閤のような派手師にとっては...
中里介山 「大菩薩峠」
...「新婚太閤記」だ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...豊太閤(ほうたいこう)が朝鮮(ちょうせん)を攻めてから...
森鴎外 「佐橋甚五郎」
...水呑み百姓から太閤(たいこう)殿下といわれるまでになった...
山本周五郎 「花も刀も」
...秀吉になり太閤になり...
吉川英治 「小説のタネ」
...ひとり秀吉だけの行動を主とする太閤記でもありたくなかった...
吉川英治 「新書太閤記」
...後にやがて子が太閤(たいこう)となったときは大政所(おおまんどころ)とあがめられたひとである...
吉川英治 「新書太閤記」
...どれほどこの事実が禅閤の信仰を強固にしたか知れなかった...
吉川英治 「親鸞」
...すっかり禅閤が諒解をとげてきてあるので...
吉川英治 「親鸞」
...太閤丸の広縁の板じきを与えられ...
吉川英治 「宮本武蔵」
...人物を描けば、我々の目前に生きている人ではなくて、豊太閤である...
和辻哲郎 「院展遠望」
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