...鈴鹿山脈は、自然が豊かで美しい場所として知られている...
...四日市市の観光地としては、鈴鹿サーキットや鈴鹿山脈があります...
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高浜虚子 「俳句への道」
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種田山頭火 「其中日記」
...東から鈴鹿山脈を横斷して南畫めいた溪山の間を入つて來るのも興が饒(ふか)い...
近松秋江 「伊賀國」
...眺め飽かぬ鈴鹿山脈の溪谷を横斷して汽車が伊賀の國境を踰えると...
近松秋江 「伊賀國」
...鈴鹿山脈の峰峰が連っている...
外村繁 「澪標」
...それから第二冊目の「鈴鹿山の巻」に取りかかったのである...
中里介山 「生前身後の事」
...つい近日田島幽峯君が突然持ち込んで来た「鈴鹿山の巻」の一冊は確かにその手製本にまぎれもないから早速証明文を巻頭へ書きつけてあげた...
中里介山 「生前身後の事」
...そのうちに、一時中休みをした都新聞紙上へ松岡俊三君の斡旋でまた書き出したように覚えている、それはもっと前であったか、どうか時と日のところは後から考証して埋め合せる、そのうちに前の赤い裏衿のかかった四六版型ではどうも調子が変だから、これを組み替えてもいいからもっと気の利(き)いたものに改装して出したいという相談の揚句にフト調べて見ると組み版が前に云ったように美濃紙の手引へ四頁組み込んだのが原型になっているから、普通四六版組よりはずっと小さくなっている、そこでそのままそっくり菊半截型(きくはんさいがた)の書物の中に納まるのである、それを発見して神田君がこれは妙々菊半截へおさまるおさまるといってよろこんだ、そこで版をわざわざ組み直さないで、その紙型のままで縮刷本が出来ることになった、最初に出来たのは朱の羽二重に金で縮冊大菩薩峠と打ち出し、倶梨迦羅(くりから)剣や、独鈷(とっこ)の模様を写し出したものと覚えている、そこで、その縮冊で四冊今までの分が完結して発行され、引続きなかなかよく売れたものである、その四冊は第二十の「禹門三級の巻」で終っている、つまり、あの縮冊本の紙数にして四冊全体で二千頁から三千頁の間であり、ここまでがつまり都新聞紙上に掲載したものである、念の為にその巻々の名を挙げて見ると、一甲源一刀流の巻、二鈴鹿山の巻、三壬生と島原の巻、四三輪の神杉の巻、五竜神の巻、六間の山の巻、七東海道の巻、八白根山の巻、九女子と小人の巻、十市中騒動の巻、十一駒井能登守の巻、十二伯耆(ほうき)安綱の巻、十三如法闇夜の巻、十四お銀様の巻、十五慢心和尚の巻、十六道庵と鰡八の巻、十七黒業白業の巻、十八安房の国の巻、十九小名路の巻、二〇禹門三級の巻...
中里介山 「生前身後の事」
...「うーむ」血走る眼に鈴鹿山を睨(にら)めて...
中里介山 「大菩薩峠」
...でも、毒蛇はいない代りに盗賊が――ああなるほど、それは一応は尤(もっと)もなお心づかいでございますが、この胆吹山や、伊勢の鈴鹿山が、名ある盗賊のすみかであったことも、もはや過ぎ去った昔のことでございます、今日では誰も左様なことを噂(うわさ)にさえ申しませぬ...
中里介山 「大菩薩峠」
...いま鈴鹿山脈の上...
久生十蘭 「ノア」
...鈴鹿山(すずかやま)の難路(なんろ)などがございますので……」と...
吉川英治 「神州天馬侠」
...鈴鹿山と思える空の落日がまだ遮(さえぎ)る物なく地上を茜(あかね)にしていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...鈴鹿山、関附近の山地から、伊賀へかけても、平家の一族は、多かったらしい...
吉川英治 「随筆 新平家」
...鈴鹿山の尾根の二里も奥だが...
吉川英治 「宮本武蔵」
...鈴鹿山の山ふところの部落は...
吉川英治 「宮本武蔵」
...伊勢鈴鹿山の安濃郷(あのごう)に住んでいて...
吉川英治 「宮本武蔵」
...「――鈴鹿山の梅軒だな」「辻風典馬の弟よ」「あ...
吉川英治 「宮本武蔵」
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