...まもなくおともどもに難波(なにわ)のお宮へご還幸(かんこう)になりました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...ある人は「南門殿還幸」を意味すると言っていたがそれはあまり当てにはならない...
寺田寅彦 「田園雑感」
...その日のうちに還幸されたのであるから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「また別の日に伺候いたしまして」還幸の鳳輦(ほうれん)をはなやかに百官の囲繞(いにょう)して行く光景が...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...天子が長安から還幸の途次...
吉川英治 「三国志」
...還幸の儀伎(ぎじょう)は甚だ賑わった...
吉川英治 「三国志」
...叡山ニ還幸(クワンカウ)...
吉川英治 「私本太平記」
...はや本土へ御還幸(ごかんこう)あったと読まれますが...
吉川英治 「私本太平記」
...「鎌倉は陥ちた!」「高時も自害とあれば」「いまは六波羅もなし、東国の府もほろび、全北条は、地から消えた」「しかも、還幸のご途上に、この吉報がとどくとは」「去年の三月には、みかどの隠岐遠流(おきおんる)を、人みな、ここでお見送りして悲しんだものだが」口々の昂奮はやまず、どよめきはいつまで醒(さ)めなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...宮だけは還幸の日にもお見えあらず...
吉川英治 「私本太平記」
...紅葉寺を出発――還幸は...
吉川英治 「私本太平記」
...みかど還幸(かんこう)の日となっても...
吉川英治 「私本太平記」
...とくに兄の一条頭(とう)ノ大夫(たゆう)行房は、隠岐配所(おきはいしょ)にまでお供をして、始終、帝とあの一ト頃の艱苦を共にした侍者(じしゃ)の一人でもあったから、還幸の後は、みかども、いちばい行房にはお目をかけられ、末の妹の勾当ノ内侍も後宮に入って、あまたな妃嬪(ひひん)のうちでさえかがやく寵幸(ちょうこう)を身一つにほこっていた...
吉川英治 「私本太平記」
...隠岐から都へ還幸(かんこう)となった曠(は)れの日に――高徳もまた宮と共に...
吉川英治 「私本太平記」
...「還幸は一時の策に過ぎん...
吉川英治 「私本太平記」
...還幸(かんこう)の人数は...
吉川英治 「私本太平記」
...都へ還幸の鳳輦(ほうれん)をすすめる...
吉川英治 「私本太平記」
...近く都門へ還幸あるにはちがいない――当然...
吉川英治 「私本太平記」
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