...金十万円也年 月 日東京都渋谷区大和田町×××陳根頑 ※そして宛名は僕ら二人の連名になっています...
梅崎春生 「ボロ家の春秋」
...希くは之を諒せよ」と県会議員一同の連名で...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...上級生たちの大半の志望は軍医になっていますぐ出陣する事で、まことに当時の人の心は、単純とでも言おうか、生気溌剌(はつらつ)たるもので、学生たちは下宿で徹宵(てっしょう)、新兵器の発明に就(つ)いて議論をして、それもいま思うと噴(ふ)き出したくなるような、たとえば旧藩時代の鷹匠(たかじょう)に鷹の訓練をさせ、鷹の背中に爆裂弾をしばりつけて敵の火薬庫の屋根に舞い降りるようにするとか、または、砲丸に唐辛子(とうがらし)をつめ込んで之(これ)を敵陣の真上に於いて破裂させて全軍に目つぶしを喰わせるとか、どうも文明開化の学生にも似つかわしからざる原始的と言いたいくらいの珍妙な発明談に熱中して、そうしてこの唐辛子目つぶし弾の件は、医専の生徒二、三人の連名で、大本営に投書したとかいう話も聞いたが、さらに血の気の多い学生は、発明の議論も手ぬるしとして、深夜下宿の屋根に這(は)い上って、ラッパを吹いて、この軍隊ラッパがまたひどく仙台の学生間に流行して、輿論(よろん)は之を、うるさしやめろ、と怒るかと思えばまた一方に於いては、大いにやれ、ラッパ会を組織せよ、とおだてたり、とにかく開戦して未だ半箇年というに、国民の意気は既に敵を呑んで、どこかに陽気な可笑(おか)しみさえ漂っていて、そのころ周さんが「日本の愛国心は無邪気すぎる」と笑いながら言っていたが、そう言われても仕方の無いほど、当時は、学生ばかりでなく仙台市民こぞって邪心なく子供のように騒ぎまわっていた...
太宰治 「惜別」
...それを雪子と妙子との連名で贈ることにした...
谷崎潤一郎 「細雪」
...いつもするように一同で連名の絵葉書をかいた...
寺田寅彦 「ある日の経験」
...林は井戸對馬守と連名で...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...北海道開拓長官にあてて米仏両国人連名の...
服部之総 「黒田清隆の方針」
...家族と友人の連名になっていた...
久生十蘭 「ノア」
...兄弟三人の連名で上書した...
久生十蘭 「無月物語」
...三月からの連名を苦労して作る...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...スタッフの相談をきくと今夜発で伊東へロケとか言ってる、休養がほしいから、滝村に予定を変へ一日休ましてくれるよう、その代り今夜滝村をサービスすると話し、さう定り、上山と銀座へ出て、不二家で昼食し、本社へ寄り、那波と座員の月給問題につき研究、文ビルへ行き、六月の旅の、打合せ、配役決定、連名つくり...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...その代わり文芸部の先生方あまり名筆をふるいすぎては出演連名を「クリエーション」...
正岡容 「わが寄席青春録」
...快生連名の手紙であつたので...
正岡子規 「病牀六尺」
...董卓(とうたく)の旧臣で、その四大将といわれる李(りかく)、張済(ちょうさい)、郭(かくし)、樊稠(はんちゅう)などは、連名して、使者を長安に上せ、「伏して、赦(しゃ)を乞う」と、恭順を示した...
吉川英治 「三国志」
...しかし、名は、洩れなく覚えておる」「とくに、その連名を、そっとお聞かせいただけますまいか...
吉川英治 「私本太平記」
...その連名の中にも...
吉川英治 「新書太閤記」
...連名状へ眼を落した阿波守...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...八弥はやがて耀蔵と連名して...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??