...そう楽な行軍ではない...
梅崎春生 「狂い凧」
...あの軍艦は沈みはしないかしら」「さあ...
海野十三 「怪塔王」
...日本軍の占領地域に行ったのである...
高見順 「いやな感じ」
...軍隊だって生活ですからね...
太宰治 「未帰還の友に」
...君の憤怒の故によりアカイア全軍悉く亡ぶることの無きがため...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...軍秩を紊乱したり...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...即ち再軍備の方向に向うことによって...
中谷宇吉郎 「北国の春」
...独軍が宣戦の布告もせずに武力に訴えながらベルギーを通過してフランスに侵入した...
宮本百合子 「キュリー夫人」
...「こんなことがあったっけだ」春さんはかれらの讃辞から身を除けるように云った、「二年兵になった秋ぐち、三連隊でひどくたちの悪い風邪が流行(はや)った、なんとかインフルエンザっていったっけ、世間でもずいぶん流行ったが、肺炎を起こして死ぬ者がたくさん出た、なにしろこれが効くっていう薬がねえだから、病人の躯にもちこたえる力があるかどうかで勝負がきまる、っていうあんべえのもんだっただ」「注射してもだめだかい」「せえぜえ強心剤を打つくれえだっけだ」と春さんは答えた、「それはまあとにかく」と彼は話を脇へそらせまいとして続けた、「おらがいまでも覚えてることを話すべえ、まあ飲みながら聞いてくれ」「飲むこたあ忘れねえだよ」と運転手の一人が云った、「尤(もっと)もおらあビールよりもちゅうのほうがいいけどな」「その病気の兵隊の中に」と春さんは構わずに云った、「島田っていう初年兵がいただ、うちは慥か能登(のと)のほうだった、佐渡かもしれねえ、もう忘れちまっただが、相撲のように頑丈な躯をした男で」「その」といちばん若い運転手が訊いた、「うちが能登か佐渡だとすると、連隊区が違やあしねえかね」「寄留すればいいだよ、東京で寄留届けをしてあれば寄留地の連隊にへえることもできるだ」と春さんが説明した、「麻布(あざぶ)の三連隊ってえばおめえ、全国から入隊志願がわんさと集まったもんさ」「そうだ」と他の運転手の一人が云った、「三連隊ってえば名誉連隊だからな」「その島田ってえ初年兵は」と春さんはいそいでその話題からぬけ出した、「衛戍(えいじゅ)病院へへえるとまもなく重態になった、軍医はもうだめだからって、隊では親元へ電報を打つと、島田のおふくろと妹が駆けつけて来た」「まにあっただかい」「軍医はまにあうまいと云った、おらあ当番だったが、おらもこのようすじゃあまにあうめえと思っただ」と春さんが云った、「それがなんのおめえ、おふくろと妹が着くまっでちゃんと持ちこてえたし、それからも持ちこてえ続けただ」「すると、治っただな」「重態のまんまさ」と春さんは云った、「もうだめか、いま死ぬかっていう危篤状態でいて、それがいっかな死なねえだ」「肝煎(きもい)っちゃうな」「それどころの沙汰じゃねえさ、軍医は投げちまって寄りつきもしねえ、ほかにも患者は大勢あるってえのに、おらあ島田初年兵からはなれることができねえ」春さんは白い歯を見せ、肩をすくめて当惑の気持を示した、「――なぜかってえば、島田はいまにも死にそうな重態が続いているから、ときどき強心剤の注射をしなけりゃあなんねえし、息を引取るときに隊の者が付いていなかったとなれば、軍の責任問題になる勘定だべえさ、なせ」「そうだな」三人の中では年嵩(としかさ)らしい、二十八九になる運転手が、考えこんだような口ぶりで云った、「軍縮からこっち、赤の野郎がいばりけえってのさばってるし、軍としても、国民感情にゃあ気を病まねえばなんねえだからな、おらあ軍縮にゃあてんから反対なんだ、仮にもおめえ国家てえものがあるのによ」「それでもおらあまだいいほうだった」と春さんは話を引戻した、「おらにゃあ交代ってものがある、交代になれば休むこともできるが、気の毒なのはそのおふくろさんと妹だった、小さな痩(や)せたおふくろと、はたちくれえの、兄貴によく似た躯つきの固太りに肥えた妹とは、病人の枕許(まくらもと)に付きっきりで、弁当もそこで喰べるし、手洗いにゆくときのほかはいっときも側をはなれねえし、一睡もしなかったっけだ」「情愛だな」「情愛だ」と春さんが云った、「おらなんぞ軍務の看護兵だが、とてもあの二人のまねはできなかった、とにかく付きっきりで一睡もしねえし、代る代る病人に話しかけては泣いてるだ、おふくろも妹も眼をすっかり泣き腫らして、いよいよ死ぬらしいと聞くたんびに、二人で島田に抱きすがって泣きひいるだ」「それでも死なねえか」「それでも死なねえ」と春さんが云った、「よっぽど心臓が丈夫だったんだべえさ、軍医もこんな依怙地(えこじ)な心臓にゃあこれまでおめにかかったことがねえって、心臓がこんなに丈夫でもよし悪しだって云ってたっけだ」「専門家にゃあ専門家の意見があるだな」「そんな状態がまる三日続いただ」春さんはまた巧みに話題のそれるのを防いだ、「口で云うと三日だが、実際その場で当事者ともなれば、三日は五日にも十日にも半月にもつくだべさ、そのあいだちっとの隙もねえだ、ひょいとすると死にそうになる、二人が泣いて抱きすがると、いやまだだ、ほっとして助かるかもしれねえと思って、それはそれで嬉し泣きをするてえと、すぐにまたそら危ねえとなるってえあんべえさ」三人の運転手は黙ってビールを啜った...
山本周五郎 「青べか物語」
...武力ばかりでふくらもうとする軍は暴軍に化しやすい...
吉川英治 「三国志」
...軍を返そうとすれば...
吉川英治 「三国志」
...――かくて、帝の御車と、曹操の軍は、やがて許昌(きょしょう)の都門へ着いた...
吉川英治 「三国志」
...なお羽将軍の強馬精兵をも近づけぬほど...
吉川英治 「三国志」
...しかも精鋭をもって鳴る呉の徐盛軍(じょせいぐん)だったのである...
吉川英治 「三国志」
...すすんで乱軍の中を馳駆(ちく)するような猛将ぶりは彼にはなかったことである...
吉川英治 「私本太平記」
...甲軍の四百九人に対して...
吉川英治 「新書太閤記」
...将軍義昭(よしあき)の運命は...
吉川英治 「新書太閤記」
...かくの如く十字軍的観念によって教会の指導の下に西欧が一つの統一的世界として自覚されたということの最も巨大な記念碑はダンテ(1265―1321)の神曲であると云ってよい...
和辻哲郎 「鎖国」
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