...山側を躋(のぼ)り尽すと高原的の処となるが...
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」
...自分単独の力で人がまだ行っていない山へ登躋(とうせい)して...
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」
...人皆熈々として壽考の域に躋るは即福祉にして...
西周 「尚白箚記」
...躋寿館は此仁和寺本を影写して蔵することを得た...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...太宗は自らこれに叙して、「朕尊居億兆之上、常以百姓為心、念五気之或乖、恐一物之失所、不尽生理、朕甚憫焉、所以親閲方書、俾令撰集、溥天之下、各保遐年、同我生民、躋於寿域、今編勒成一百巻、命曰太平聖恵方、仍令彫刻印版、施華弟、凡爾生霊、宜知朕意」と云つてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...躋寿館再勤仕と六男の出生とは瑞英三十五歳の時の事である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此日榛軒門人の一人であつた塩田良三が躋寿館に於て医学出精の賞詞を受けた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...幕府は躋寿館に書を講ずるがために賞するので...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...榛軒は毎月一六の両日躋寿館に往いて書を講じた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此人は弘化甲辰に渋江抽斎と共に躋寿館講師に任ぜられ又これと共に将軍家慶に謁した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それに嘗て躋寿館にゐて落雷に逢つてからは...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...この年三月独美は躋寿館(せいじゅかん)で痘科を講ずることになって...
森鴎外 「渋江抽斎」
...素(もと)より躋寿館に勤仕する医者には...
森鴎外 「渋江抽斎」
...十二月十六日に弟柏軒が躋寿館(せいじゅかん)の講師にせられた...
森鴎外 「渋江抽斎」
...『医心方』が若年寄(わかどしより)遠藤但馬守胤統(たねのり)の手から躋寿館に交付せられたからであろう...
森鴎外 「渋江抽斎」
...これを躋寿館に蔵せしめたが...
森鴎外 「渋江抽斎」
...抽斎の心に懸けて死んだ躋寿館校刻の『医心方』は...
森鴎外 「渋江抽斎」
...漁村に代って躋寿館に往(ゆ)き...
森鴎外 「渋江抽斎」
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