...豊太閤が朝鮮半島に用いた勢力の余波は間もなく慶長十四年の琉球征伐となってあらわれました...
伊波普猷 「琉球史の趨勢」
...京都の桂離宮は小堀遠州が豊太閤(ほうたいかふ)に頼まれて...
薄田泣菫 「茶話」
...私は玄海のかゞやきの中に豊太閤の姿を見た...
種田山頭火 「行乞記」
...豊太閤の智嚢であり...
中里介山 「大菩薩峠」
...人もあろうに豊太閤の供養をしようというのだ...
中里介山 「大菩薩峠」
...主とも頼みきった同郷の先輩豊太閤歿後の大破局の到来を眼前に見ながら...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこは豊太閤及び加藤肥州の生れた故郷とかねて承っておりまするところから...
中里介山 「大菩薩峠」
...大通寺の建築が豊太閤の桃山城中の殿舎であったとすれば...
中里介山 「大菩薩峠」
...それは祖先の誰(たれ)某公が朝鮮役の功労で豊太閤(ほうたいこう)から貰ったという由緒付きのもの...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...その盛宴に学良も列してみて、支那全省にわたる要人達からの山のごとき、豪華な贈り物を見るに及んで、天下の諸侯がすでに、豊太閤歿後には、家康に靡(なび)いたありさまを彷彿させるものがあった...
河本大作 「私が張作霖を殺した」
...海外に豊太閤(ほうたいこう)なきに非ず...
福沢諭吉 「旧藩情」
...山路愛山の『後編豊太閤』二九一頁参照)...
南方熊楠 「十二支考」
...慶長頃本邦に家猪があった事は既述した通りだが、更に寺石正路君の『南国遺事』九一頁を見ると、慶長元年九月二十八日土佐国浦戸港にマニラよりメキシコに通う商船漂着し、修理おわって帰国に際し米五百石、豚百頭、鶏千疋を望みしに対し、豊太閤、増田長盛をして米千石、豚二百頭、鶏二千疋等を賜わらしめ、船人大悦びで帰国したとある...
南方熊楠 「十二支考」
...豊太閤(ほうたいこう)が朝鮮(ちょうせん)を攻めてから...
森鴎外 「佐橋甚五郎」
...豊太閤の金城をめぐる群星建築の一つ...
吉川英治 「日本名婦伝」
...人物を描けば、我々の目前に生きている人ではなくて、豊太閤である...
和辻哲郎 「院展遠望」
...洋画の行き方で豊太閤の顔を描き出すことは...
和辻哲郎 「院展遠望」
...京阪地方における豊太閤崇拝の根強さを見れば解るであろう...
和辻哲郎 「鎖国」
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