...病気で薨去することが多いです...
...彼女の祖父は先月薨去しました...
...残念ながら、彼は事故で薨去したそうです...
...突然の薨去に、家族は嘆き悲しんでいる...
...長生きしてほしいと思いますが、いつ薨去するか分かりません...
...小松内府の薨去によりて...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...御薨去の哀傷の余りに...
太宰治 「右大臣実朝」
...その理由としては、どうもあまり、おとなげのない話でございますが、その橋には気味の悪い因縁があるのださうで、もともとその橋はあの稲毛の三郎重成入道さまが新造なされましたものださうで、その橋の出来た時に故右大将家が供養に出むかれ橋をお渡りになつて、それが例の建久九年の十二月、その供養がおすみになつてお帰りの途中で御落馬なされ、それがもとで御病床におつきになつて翌年の正治元年の正月に御年五十三でおなくなりになられたのはどなたもご存じの事でございませう、その因縁がある上に、橋の本願人の重成入道さまは、すぐ後に牧の方さま等と悪逆の陰謀をたくらみ、これまたかんばしからぬ死に方をなさいましたし、あれと言ひこれと言ひ、どうも不吉だ、あの橋には、まことにいやな怨霊がつきまとつてゐるといふ事が主なる理由で、修理見合せと衆議一決いたしまして、それを将軍家の御前に於いて披露いたしましたところが、将軍家はその時には、あのいつものお優しい御微笑もなさらず、一座の者に襟を正さしむるほどの厳粛なお態度で、それは違ひます、故将軍の薨去は、武家の権柄を執ること二十年、官位を極めしめ給うて後の御事にして謂はば天寿、それとも何か、あの橋のために奇々怪々の御災厄に逢ひあさましき御最期をとげられたとでも申すのか、まさかさうとも思はれませぬ、また重成法師の事などは論外、あのやうな愚かしき罪をなして殃に逢ふは当然、すなはち天罰、いづれも橋建立のためのわざはひではありませぬ、以後、不吉などといふ軽々しき言葉は一切用ゐぬやう、あの橋を修理すれば往来の旅人ども、どのやうに助かるかわかりませぬ、何事も多くの庶民のためといふ、この心掛けを失つてはならぬ、一刻も早く橋の修理に取りかかるやう、とそれまで例のなかつた幾分はげしいくらゐの御口調で、はつきり御申渡しになりました...
太宰治 「右大臣実朝」
...御台所厳閤の薨去に依りて...
太宰治 「右大臣実朝」
...西経百三十三度四分北緯三十二度六分桑港(サンフランシスコ)ヲ隔(へだ)タル海上八百三哩(マイル)ノ洋上ニ於テ薨去(こうきょ)遊バサル...
橘外男 「ナリン殿下への回想」
...ナリン殿下薨去ノ趣前掲通牒ノ如(ごと)クナレドモ...
橘外男 「ナリン殿下への回想」
...薨去(こうきょ)の年の夏...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...朝香宮(あさかのみや)妃殿下の薨去(こうきょ)が報ぜられた...
寺田寅彦 「柿の種」
...そのうち家茂将軍は薨去せられるし...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...鳥の薨去(こうきょ)を...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...三代將軍薨去の節諸侯近臣數人殉死したなど虚説といひ黒め能はぬ...
南方熊楠 「人柱の話」
...この時分に太政大臣が薨去(こうきょ)した...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...宮が薨去(こうきょ)になってあれきり見られぬことになったのは残念であると口々に話し合っていた時にも...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...お心細くお見えになるようになった御薨去(こうきょ)前になって...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...推古天皇の三十年二月二十二日に聖徳太子が薨去(こうきょ)あらせられたので...
矢田津世子 「※[#「やまいだれ+句」、第4水準2-81-44]女抄録」
...地方で薨去せられたという沙汰も聞えた...
吉川英治 「三国志」
...薨去(こうきょ)の当夜まで...
吉川英治 「私本太平記」
...薨去(こうきょ)の報(し)らせを...
吉川英治 「日本名婦伝」
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