...病気で薨去することが多いです...
...彼女の祖父は先月薨去しました...
...残念ながら、彼は事故で薨去したそうです...
...突然の薨去に、家族は嘆き悲しんでいる...
...長生きしてほしいと思いますが、いつ薨去するか分かりません...
...先年侯井上が薨去(こうきょ)した時...
内田魯庵 「四十年前」
...井侯の薨去当時、井侯の逸聞が伝えられるに方って、文壇の或る新人は井侯が団十郎を愛して常にお伴(とも)につれて歩いたというを慊(あきた)らず思い、団十郎が井侯をお伴(とも)にしないまでも切(せ)めては対等に交際して侯伯のお伴(とも)を栄としない見識があって欲しかったといった...
内田魯庵 「四十年前」
...井侯薨去当時、故侯(ここう)の欧化政策は滑稽の思出草(おもいでぐさ)となったが、あらゆる旧物を破壊して根底から新文明を創造しようとした井侯の徹底的政策の小気味よさは事毎に八方へ気兼(きがね)して※咀逡巡(しそしゅんじゅん)する今の政治家には見られない...
内田魯庵 「四十年前」
...御年四十三にて薨去あり...
高山樗牛 「瀧口入道」
...西経百三十三度四分北緯三十二度六分桑港(サンフランシスコ)ヲ隔(へだ)タル海上八百三哩(マイル)ノ洋上ニ於テ薨去(こうきょ)遊バサル...
橘外男 「ナリン殿下への回想」
...ナリン殿下薨去ノ趣前掲通牒ノ如(ごと)クナレドモ...
橘外男 「ナリン殿下への回想」
...加藤首相痼疾(こしつ)急変して薨去(こうきょ)...
寺田寅彦 「震災日記より」
......
仁科芳雄 「NIELS BOHR」
...義尚将軍薨去につき土岐右京太夫が斎藤越後守を従えて四月入洛し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...されば宗祇もその殊遇に感じ、将軍薨去の後、延徳二年三月に、故将軍すなわち常徳院殿のため、四要品を摺写し、十人ほどに勧誘して、和歌を詠ぜしめ、これを講じたことがあって、その時には実隆もその経の裏に歌を書いてやったとのことだ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...先王ステファン五世の薨去の間もなく起こりうる政変といえば...
久生十蘭 「墓地展望亭」
...この時分に太政大臣が薨去(こうきょ)した...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...八日には忽(たちま)ち薨去(こうきょ)の公報が発せられ...
森鴎外 「渋江抽斎」
...推古天皇の三十年二月二十二日に聖徳太子が薨去(こうきょ)あらせられたので...
矢田津世子 「※[#「やまいだれ+句」、第4水準2-81-44]女抄録」
...「魏王の薨去(こうきょ)が伝わって...
吉川英治 「三国志」
...薨去(こうきょ)の当夜まで...
吉川英治 「私本太平記」
...薨去(こうきょ)の報(し)らせを...
吉川英治 「日本名婦伝」
...今昔物語に就いて『今昔物語』は宇治大納言と呼ばれた源隆國(承暦四年齡七十四で薨去)の所編といふことになつてゐる...
和田萬吉 「父兄の方々に」
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