...病気で薨去することが多いです...
...彼女の祖父は先月薨去しました...
...残念ながら、彼は事故で薨去したそうです...
...突然の薨去に、家族は嘆き悲しんでいる...
...長生きしてほしいと思いますが、いつ薨去するか分かりません...
...小松内大臣の薨去によりて我事成れりと抃舞したる...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...鐘冴ゆる第六天をもどりけり今日の新聞は徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公の薨去(こうきょ)を報じています...
高浜虚子 「俳句の作りよう」
...御年四十三にて薨去あり...
高山樗牛 「瀧口入道」
...御薨去の哀傷の余りに...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿八日、乙巳、相模国相漠河の橋数ヶ間朽ち損ず、修理を加へらる可きの由、義村之を申す、相州、広元朝臣、善信の如き群議有り、去る建久九年、重成法師之を新造して供養を遂ぐるの日、結縁の為に、故将軍家渡御、還路に及びて御落馬有り、幾程を経ずして薨じ給ひ畢んぬ、重成法師又殃に逢ふ、旁吉事に非ず、今更強ち再興有らずと雖も、何事の有らんやの趣、一同するの旨、御前に申すの処、仰せて云ふ、故将軍の薨去は、武家の権柄を執ること二十年、官位を極めしめ給ふ後の御事なり、重成法師は、己の不義に依りて、天譴を蒙るか、全く橋建立の過に非ず、此上は一切不吉と称す可からず、彼橋有ること、二所御参詣の要路として、民庶往反の煩無し、其利一に非ず、顛倒せざる以前に、早く修復を加ふ可きの旨、仰出さると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...朝香宮(あさかのみや)妃殿下の薨去(こうきょ)が報ぜられた...
寺田寅彦 「柿の種」
...加藤首相痼疾(こしつ)急変して薨去(こうきょ)...
寺田寅彦 「震災日記より」
...そのうち家茂将軍は薨去せられるし...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
......
仁科芳雄 「NIELS BOHR」
...それに加えて公保の薨去となって後は...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...されば宗祇もその殊遇に感じ、将軍薨去の後、延徳二年三月に、故将軍すなわち常徳院殿のため、四要品を摺写し、十人ほどに勧誘して、和歌を詠ぜしめ、これを講じたことがあって、その時には実隆もその経の裏に歌を書いてやったとのことだ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...女御は悲観をしたままで病気になり薨去(こうきょ)したが...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...女王は十四日に薨去(こうきょ)したのであって...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...少林城(わかばやしじょう)において御薨去(ごこうきょ)なされ候(そろ)...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...地方で薨去せられたという沙汰も聞えた...
吉川英治 「三国志」
...薨去(こうきょ)の報(し)らせを...
吉川英治 「日本名婦伝」
...朝鮮陣の半(なか)ば、太閤もまた、六十三を一期(ご)に、薨去した...
吉川英治 「日本名婦伝」
...今昔物語に就いて『今昔物語』は宇治大納言と呼ばれた源隆國(承暦四年齡七十四で薨去)の所編といふことになつてゐる...
和田萬吉 「父兄の方々に」
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