...興津(おきつ)……東海道の興津に...
泉鏡花 「浮舟」
...その一組が当河野家へ来揃うと、この時だけは道子と共に、一族残らず、乳母小間使と子守を交ぜて、ざっと五十人ばかりの人数で、両親(ふたおや)がついて、かねてこれがために、清水港(みなと)に、三保に近く、田子の浦、久能山、江尻はもとより、興津(おきつ)、清見(きよみ)寺などへ、ぶらりと散歩が出来ようという地を選んだ、宏大な別荘の設(もうけ)が有って、例年必ずそこへ避暑する...
泉鏡花 「婦系図」
...手前のところでは興津鯛を用いますので』と...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...晩年に在っても興津移転問題の如きはその最も露骨なるものであって...
高浜虚子 「子規居士と余」
......
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...興津(おきつ)の題目堂で変な男と別れてから...
中里介山 「大菩薩峠」
...ある時は駿河の興津(おきつ)に現われたなんぞと噂(うわさ)には出たが...
中里介山 「大菩薩峠」
...興津から修善寺へ数日遊ばれた...
中谷宇吉郎 「『団栗』のことなど」
...ついでに興津(おきつ)まで行こうかと相談した時...
夏目漱石 「行人」
...「叔母さん興津鯛(おきつだい)御嫌(おきらい)...
夏目漱石 「彼岸過迄」
...大海のほとりにあれば夜の寄らん趣ならず闇襲ひくる十二年の早春興津の水口屋に宿つてゐた時の作...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...同日の日記に「興津彌五右衛門を艸して中央公論に寄す」とあって...
宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
...豊前国興津に参り候...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...沖津を興津と相改め候(そろ)様(よう)御沙汰(ごさた)有之候...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...行幸前に役人になって長崎へ往った興津であるから...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...東海道ならば由比(ゆい)・蒲原(かんばら)・興津(おきつ)の山々...
柳田国男 「雪国の春」
...佐夜の中山合戦駿河の高橋縄手(興津附近)箱根越の山いくさ相模川渡河戦片瀬...
吉川英治 「私本太平記」
...冬田中あらはに白き道ゆけばゆくての濱にあがる浪見ゆ(五首静浦附近)田につづく濱松原のまばらなる松のならびは冬さびて見ゆ桃畑を庭としつづく海人(あま)が村冬枯れはてて浪ただきこゆ門ごとにだいだい熟れし海人が家の背戸にましろき冬の浪かな冬さびし靜浦の濱にうち出でて仰げる富士は眞白妙なりうねり合ふ浪相打てる冬の日の入江のうへの富士の高山(二首静浦より三津へ)浪の穗や音に出でつつ冬の海のうねりに乘りて散りて眞白き舟ひとつありて漕ぐ見ゆ松山のこなたの入江藍の深きに(四首江の浦)奥ひろき入江に寄する夕潮はながれさびしき瀬をなせるなり大船の蔭にならびてとまりせる小舟小舟に夕げむり立つ砂の上にならび靜けき冬の濱の釣舟どちは寂びて眞白き富士川の鐵橋を過ぎて岩淵蒲原由比の海岸、興津の清見寺、さらに江尻から降りて三保の松原に到るあたりのことを書くべきであらうが、蒲原由比は東海道線を通るひとの誰人もがよく知つてゐる處であらうし、三保にもさほど私は興味を持たぬ...
若山牧水 「樹木とその葉」
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