...興津(おきつ)……東海道の興津に...
泉鏡花 「浮舟」
...江尻も興津も直(じ)きそこだし...
泉鏡花 「婦系図」
...興津姫せはしなの夜や...
薄田泣菫 「泣菫詩抄」
...晩年に在っても興津移転問題の如きはその最も露骨なるものであって...
高浜虚子 「子規居士と余」
...江戸より船にてのぼりしに東海道の興津(おきつ)の沖を過ぎる時に一むらの黒雲虚空よりかの船をさして飛来る...
太宰治 「新釈諸国噺」
...興津(おきつ)の高(たか)さんは...
夏目漱石 「三四郎」
...約束(やくそく)の興津(おきつ)へ來(き)たとき彼(かれ)は一人(ひとり)でプラツトフオームへ降(お)りて...
夏目漱石 「門」
...私は興津(おきつ)行きの汽車に乗っている...
林芙美子 「新版 放浪記」
...大正元年十月の中央公論に「興津彌五右衛門の遺書」が載せられたのが第一作であった...
宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
...芸術家としての鴎外が興津彌五右衛門の境地にのみとどまり得ないで...
宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
...令子は興津行の汽車に乗った...
宮本百合子 「黒い驢馬と白い山羊」
...沖津を興津と相改め候(そろ)様(よう)御沙汰(ごさた)有之候...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...興津弥五右衛門景吉は高桐院(こうとういん)の墓に詣(もう)でて...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...此様(こんな)風な渚(なぎさ)も長く見て居る中(うち)にはもう珍らしく無くなつて東海道の興津辺(へん)を通る様な心持になつて居た...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...佐夜の中山合戦駿河の高橋縄手(興津附近)箱根越の山いくさ相模川渡河戦片瀬...
吉川英治 「私本太平記」
...興津(おきつ)の浜あたりに陣した時...
吉川英治 「源頼朝」
...今日は興津泊りの豫定であつたが...
若山牧水 「樹木とその葉」
...冬田中あらはに白き道ゆけばゆくての濱にあがる浪見ゆ(五首静浦附近)田につづく濱松原のまばらなる松のならびは冬さびて見ゆ桃畑を庭としつづく海人(あま)が村冬枯れはてて浪ただきこゆ門ごとにだいだい熟れし海人が家の背戸にましろき冬の浪かな冬さびし靜浦の濱にうち出でて仰げる富士は眞白妙なりうねり合ふ浪相打てる冬の日の入江のうへの富士の高山(二首静浦より三津へ)浪の穗や音に出でつつ冬の海のうねりに乘りて散りて眞白き舟ひとつありて漕ぐ見ゆ松山のこなたの入江藍の深きに(四首江の浦)奥ひろき入江に寄する夕潮はながれさびしき瀬をなせるなり大船の蔭にならびてとまりせる小舟小舟に夕げむり立つ砂の上にならび靜けき冬の濱の釣舟どちは寂びて眞白き富士川の鐵橋を過ぎて岩淵蒲原由比の海岸、興津の清見寺、さらに江尻から降りて三保の松原に到るあたりのことを書くべきであらうが、蒲原由比は東海道線を通るひとの誰人もがよく知つてゐる處であらうし、三保にもさほど私は興味を持たぬ...
若山牧水 「樹木とその葉」
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