...腰越浦に馳せ来るの処...
太宰治 「右大臣実朝」
...かねて打合せて置いたとほりに横山馬允時兼さまの三千余騎が腰越浦に馳せ参じて和田さまの陣に加はりましたが...
太宰治 「右大臣実朝」
...横山馬允時兼さまの率ゐる三千余騎が腰越浦に駈けつけてまゐりまして...
太宰治 「右大臣実朝」
...黒々とした腰越あたりの山の端から...
豊島与志雄 「人間繁栄」
...竜神街道や蟻腰越(ありこしご)えをする馬子(まご)駕丁(かごかき)と...
中里介山 「大菩薩峠」
...腰越あたりの奴等はそこらの馬を捉へちや萱を背負はしたとか...
長塚節 「才丸行き」
...その時鎌倉の方から一台の自動車が来て腰越へ向つて去つた...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...二 駿河安倍(あべ)郡腰越(こしごえ)村の山中にて...
柳田国男 「山の人生」
...腰越から中に入ることを許されなかった...
柳田国男 「雪国の春」
...「腰越の五斗」「宗玄の庵室」「日向島」「薄雪三人笑」など...
山本笑月 「明治世相百話」
...腰越口から極楽寺坂を経て...
吉川英治 「私本太平記」
...――すぐ腰越から七里ヶ浜を駈けて...
吉川英治 「私本太平記」
...右翼軍が迫った腰越...
吉川英治 「私本太平記」
...また越後党の一ノ井、烏山(からすやま)、羽川などの諸隊をひきいて片瀬、腰越を迂回し、極楽寺坂へついて出る」「ならば、それがしに代らせてください」「いやここには足利若御料もおる...
吉川英治 「私本太平記」
...義貞に代ってここにおれ」あぶない戦法ではあるが、腰越までの間は、低い独立した小山群であり、またそれを縫う谷(やつ)つづきだった...
吉川英治 「私本太平記」
...腰越状その物の文章も...
吉川英治 「随筆 新平家」
...腰越といえば夏のカーニバルや海水浴で今は聞こえているが...
吉川英治 「随筆 新平家」
...腰越(こしごえ)にて阻(はば)められ...
吉川英治 「日本名婦伝」
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