...縷々(るる)この意味の数千言を語ったのが...
泉鏡花 「唄立山心中一曲」
...当人達でなければ読んでいるに耐(た)えないような文句が縷々(るる)として続いていた...
海野十三 「赤外線男」
...縷々と村民の窮乏のさまを語って...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...また縷々と細民の生活を語りだした...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...鬼に就いて縷々千萬言を開陳できるのでもあらうが...
太宰治 「お伽草紙」
...縷々数千言を費やし...
登張竹風 「美的生活論とニイチエ」
...その節プランク先生は宴會において縷々マツクスウエルの功績を英語で述べられたが 先生の英語演説を聽いたのはこれが初めてであり また終りであつた...
長岡半太郎 「プランク先生の憶い出」
...珍しくも女※氏は縷々(るる)として悟浄に教えを垂れた...
中島敦 「悟浄出世」
...縷々(るる)として続ける...
中島敦 「狼疾記」
...一昨日(おととい)教師を番町に訪うて身の振方を依頼して来た趣を縷々(るる)咄(はな)し出したが...
二葉亭四迷 「浮雲」
...頭で縷々(るる)考えた筋書きと対立するが...
フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳 「ギルレイ」
...まことに思出は縷々として限りがない...
三好達治 「間花集」
...縷々(るる)の詫び言をくり返した...
吉川英治 「剣難女難」
...縷々(るる)と述べた...
吉川英治 「三国志」
...たとえば明智家の家中すら大部分は本能寺の朝まで、日向どのの胸の中は知らなかったではございませんか)と、縷々(るる)、弁証(べんしょう)して、巻は秀吉の手もとへ差し出したままとなったので、以後の伝来は不明になったものという...
吉川英治 「新書太閤記」
...もとよりそれはさいごの言で、それをいうまでには、「先頃から両軍のあいだに、和睦(わぼく)の内談がすすめられ、愚衲(ぐのう)がその折衝(せっしょう)に当って、数次、羽柴方と会見しておりましたが」と、そのいきさつを語り、またこの城の守将の一命を助けん、助け難し、とする両軍の面目問題が暗礁(あんしょう)となって、ついに行き悩んでしまった実情をも、事こまかに話した末、「ここは其許(そこもと)のお心一つで、毛利家の安泰も確約され、ふたつには、多くの城兵や無辜(むこ)の民も、つつがなく助け出されることになるのでな……」と、縷々(るる)、真心と熱弁をかけて、彼にそれを説いたものであった...
吉川英治 「新書太閤記」
...恨みじゃ……』縷々(るる)として...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...文八は縷々(るる)いいわけをいいはじめたが...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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