...此村持(もち)の山に笈掛岩(おひかけいは)といふ在(あり)...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...笈埃随筆では「この地は神跡だから仏具を忌むので...
寺田寅彦 「化け物の進化」
...拙者は我々同志の総代で笈川(おいかわ)と申す者だ...
中里介山 「大菩薩峠」
...千里笈(きゅう)を担(にの)うてここに集り...
福沢諭吉 「慶応義塾の記」
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正岡子規 「俳人蕪村」
...「笈摺草紙」を手に入れてから十年以上もたつてゐる今日に到つて...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...笈(おいずる)一つを担(にの)うて行かれたあとに...
室生犀星 「あじゃり」
...斎はこれを万笈堂(まんきふだう)に獲た...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此事が霞亭十八歳の時に於てせられた証は、渉筆に自ら「予年十八遊京師」と云ひ、又嵯峨樵歌(せうか)の首に載せてある五古に韓凹巷(かんあふこう)が、「発憤年十八、何必守弓箕、負笈不辞遠、就師欲孜々」と云ふに見て知られる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...但馬の城崎(きのさき)温泉の近くではなはだ有名なる玄武洞(げんぶどう)の玄武岩は『笈埃(きゅうあい)随筆』巻二の石匠の条には...
柳田國男 「地名の研究」
...おのおの『雲笈七籖(うんきゅうしちせん)』にでもあるような高尚な漢名を持っていた...
柳田国男 「山の人生」
...笈(おい)をおろし...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
...そして、笈が、一個の空箱となった後その奥に、ぺたんと貼ってある一枚の紙位牌が老人の眼を、はっと射た...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
...不動明王の像をまつった笈(おい)を背に諸国をあるく者が江戸時代にはあった...
吉川英治 「私本太平記」
...花や供物(くもつ)にかざられた笈摺(おいずる)と...
吉川英治 「神州天馬侠」
...笈や杖や、変りはてた甚七の姿を見て、「山伏となってか」と、元康の眼は、宥(いた)わるようであった...
吉川英治 「新書太閤記」
...笈(おい)を背にして旅支度をした生信房が...
吉川英治 「親鸞」
...笈(おい)ずるを負った文覚上人の姿をえがいてみる...
吉川英治 「随筆 新平家」
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