...ところが一条禅閤兼良は曠世の学者であったとはいいながら...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...題銘をば後成恩寺禅閤兼良に書いてもらったのである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...禅閤(ぜんこう)ととなえ...
吉川英治 「親鸞」
...前(さき)の摂政太政(せっしょうだいじょう)大臣であり関白の重職にまでなった禅閤兼実(かねざね)の住居(すまい)だけあって...
吉川英治 「親鸞」
...峰阿弥(みねあみ)という法師です」禅閤が...
吉川英治 「親鸞」
...上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方(おんかた)ほどな達人は先ずあるまいと下々(しもじも)の評でございまする」禅閤兼実(かねざね)はうなずいて...
吉川英治 「親鸞」
...物蔭から精悍(せいかん)な眼を光らせて走って来た天城四郎が今しも邸内に入ろうとする禅閤の法衣(ほうえ)の袂(たもと)をとらえて...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤がどうしても会えないならば...
吉川英治 「親鸞」
...五父の禅閤(ぜんこう)は...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤は、なぐさめる言葉もなく、腕をこまぬいてしまった...
吉川英治 「親鸞」
...お文状(ふみ)でございます――禅閤様へ」「わしへ」禅閤はふりむいて...
吉川英治 「親鸞」
...秋には婚儀を挙げさせるという禅閤(ぜんこう)のうごかない意志をみては...
吉川英治 「親鸞」
...「かの上人ならば」と、禅閤は、一縷(いちる)の望みを抱いて、今の大きな危機を、自分の信念と誠意をもって、未然に、打開できれば、それはただ吉水の門派や一箇の法然の幸いであるばかりでなく、社会不安の一掃であり、また、一般の法燈のためにもよろこぶことだと信じていた...
吉川英治 「親鸞」
...月輪禅閤(ぜんこう)であったにちがいない...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤は思わず太い息をもらした...
吉川英治 「親鸞」
...そう上人のすがたを想像していた月輪禅閤は...
吉川英治 「親鸞」
...舅(しゅうと)の月輪禅閤(ぜんこう)のどれほどな運動があったか知れないのである...
吉川英治 「親鸞」
...上人御流罪のまえに――またこの善信が配所に下される前に――たった一目でもお目にかかってゆきたいことです」禅閤は...
吉川英治 「親鸞」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??