...ところが一条禅閤兼良は曠世の学者であったとはいいながら...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...月輪禅閤(つきのわぜんこう)の奥に仕える万野(までの)と申すものでございますが...
吉川英治 「親鸞」
...お父君の禅閤様(ぜんこうさま)からのお墨...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤(ぜんこう)を初め...
吉川英治 「親鸞」
...主(あるじ)の禅閤とは骨肉の間がらではあるし...
吉川英治 「親鸞」
...上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方(おんかた)ほどな達人は先ずあるまいと下々(しもじも)の評でございまする」禅閤兼実(かねざね)はうなずいて...
吉川英治 「親鸞」
...五父の禅閤(ぜんこう)は...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤という一法体になってからは...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤は、なぐさめる言葉もなく、腕をこまぬいてしまった...
吉川英治 「親鸞」
...よよと泣いてしまいたいほどな感傷に禅閤ほどの人も子のためにはつつまれるのであった...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤は、絶えず、沈黙して、親戚たちの詰問を浴びているほかなかった...
吉川英治 「親鸞」
...――光明の道、易行往生(いぎょうおうじょう)の信をもって通った道を、どうして、暗澹(あんたん)たる悲嘆の泥濘(ぬかるみ)として踏まなければならないか、禅閤は、「……死にたい、もう、人の世がいやになった」牛車(くるま)の内で、つぶやいていた...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤はすぐ恥じた...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤はふたたび吉水へ出直した...
吉川英治 「親鸞」
...禅閤を初め月輪家の人々も...
吉川英治 「親鸞」
...舅(しゅうと)の月輪禅閤(ぜんこう)のどれほどな運動があったか知れないのである...
吉川英治 「親鸞」
...上人御流罪のまえに――またこの善信が配所に下される前に――たった一目でもお目にかかってゆきたいことです」禅閤は...
吉川英治 「親鸞」
...わが娘(こ)の聟ながらさすがと禅閤は思うのであった...
吉川英治 「親鸞」
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