...彼等の巡業地は九州・四國・中國・近畿等可なり廣汎に渡つてゐるが...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...近畿地方の此の神社は皆尾張氏或は尾張氏と同じ系統の家の祖神であると決めてしまひました...
内藤湖南 「近畿地方に於ける神社」
...畿内近辺には小木が多いが信州辺へ行くとかなりの大木が見られる...
牧野富太郎 「植物記」
...近畿・東海にもぽつぽつとあるが...
柳田国男 「こども風土記」
...古く開けた近畿や中央部には...
柳田國男 「地名の研究」
...近畿(きんき)の情勢...
吉川英治 「黒田如水」
...程畿は髪を風に立てて...
吉川英治 「三国志」
...畿内(きない)洛中も...
吉川英治 「私本太平記」
...宮闕(きゆうけつ)の下(もと)のほか畿外(きぐわい)諸国の動乱はこれを追捕(つゐぶ)の任となし追捕は武士を以て任ずというのが朝廷の本則だった...
吉川英治 「私本太平記」
...近畿(きんき)の一大将に配すなど手順も万端できていた...
吉川英治 「私本太平記」
...山陰(さんいん)山陽(さんよう)五畿(き)東山(とうさん)の国々から...
吉川英治 「神州天馬侠」
...五畿内その他を併(あわ)せて...
吉川英治 「新書太閤記」
...しかも、軍旅は即日に発令されて、その月二十日にはもう江州坂本に勢ぞろいは催され、近畿、尾濃(びのう)の兵に、徳川家康の三河武士八千を加えて、およそ十万と称する軍勢が、鳰鳥(におどり)の渚(なぎさ)に遊ぶうららかな晩春四月の湖畔数里にわたって、雲霞(うんか)のごとく集まった...
吉川英治 「新書太閤記」
...そのほか畿内(きない)も...
吉川英治 「新書太閤記」
...近畿(きんき)の諸将はあらかた会し...
吉川英治 「新書太閤記」
...それまでは近畿のあたりを悠々(ゆるゆる)と...
吉川英治 「宮本武蔵」
...畿内でこのように善い教育を受けた人を見たことがない」とは側にいたフロイスの言葉である...
和辻哲郎 「鎖国」
...しかし久米邦武(くめくにたけ)氏(奈良朝史、四六ページ)によれば、京畿は二十二束、諸道は十五束である...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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