...マダムは笑から漸く脱して...
石川三四郎 「馬鈴薯からトマト迄」
...諸團體の決議に據る抗議等漸く旺んなるに當り...
石川啄木 「日本無政府主義者陰謀事件經過及び附帶現象」
...空漸く白みて、始めて鶯の啼き始むるを聞く...
大町桂月 「阿武隈川水源の仙境」
...思ひ切つて、蝸牛の這ふやうにして、漸く過ぐ...
大町桂月 「鹽原新七不思議」
...何秒かたつてから彼は漸く動くことが出來た...
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 佐藤緑葉訳 「醫師と旅行鞄の話」
...そして漸く座に就くと...
豊島与志雄 「叔父」
...秋夢の如く草花漸く鮮妍たり...
断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申 「断腸亭日乗」
...明治四十四年乘鞍岳を憶ふ落葉松の溪に鵙鳴く淺山ゆ見し乘鞍は天に遙かなりき鵙の聲透りて響く秋の空にとがりて白き乘鞍を見し我が攀ぢし草の低山木を絶えて乘鞍岳をつばらかにせりおほにして過ぎば過ぐべき遠山の乘鞍岳をかしこみ我が見し乘鞍と耳に聲響きかへり見て何ぞもいたく胸さわぎせしおもはぬに天に我が見し乘鞍は然かと人いはゞあらぬ山も猶くしびなる山は乘鞍かしこきろ山の姿は目にかにかくに乘鞍をまことにいへば只白く山の間に見し峰をそを我れはうるはしみ見し乘鞍は遠くして一目といへどながく矜らむ乘鞍はさやけく白し濁りたるなべてが空に只一つのみおろそかに仰げば低き蒼空を遙にせんと乘鞍は立てり乘鞍は一目我が見て一つのみ目にある姿我が目に我れ見つまなかひに俤消たずたふときもの山に乘鞍人にはたありや乘鞍は一目見しかばおごそかに年を深めてます/\思ほゆ明治四十五年喉頭結核といふ恐しき病ひにかゝりしに知らでありければ心にも止めざりしを打ち捨ておかば餘命は僅かに一年を保つに過ぎざるべしといへばさすがに心はいたくうち騷がれて生きも死にも天のまに/\と平らけく思ひたりしは常の時なりき我が命惜しと悲しといはまくを恥ぢて思ひしは皆昔なり往きかひのしげき街(ちまた)の人皆を冬木の如もさびしらに見つ我が心萎えてあれや街行く人の一人も病めりとも見ず知らなくてありなむものを一夜ゆゑ心はいまは昨日にも似ずかくのみに心はいたく思へれや目さめて見れば汗あえにけりしかといはゞ母嘆かむと思ひつゝたゞにいひやり母に知るべくなにしかも命悲しといはまくに答ふることは我は知らぬになうれひそと人はいへどもまたけくてあらばかあらむ我愁ひざれや人は我ははかなきものかひたすらに悲しといふもわがためにのみ病院の一室に年を迎へて我が命としほぎ草のさち草の日蔭(ひかげ)の蔓(かづら)ながくとをのる衰ふる我が顔さびしこゝにだにあけに映えよとあけの紙貼(は)る病中雜咏明治四拾四年十二月廿四日、ふと出でありくことありて此の日ばかり夜に入りて病室に歸り來れば、むすびし儘に派手なる袱紗のつゝみ一つ電燈のもとにおかれたり、怪みて解きみれば我が爲に心づくしの品は出できにたるに、赤きインキもて書かれし手紙も添へられつ、四たびまで立ち入りがてに病院の門を行き過して、けふ始めておとづれきといふに思ひ設けぬことなれば待たんやうもなく、今は悔ゆれども及ばずなりぬ、されどわれ生れて卅三年はじめて婦人の情味を解したるを覺えぬ、我は感謝の念に堪へず、其の人一たびは我と手を携ふべかりつるに悪性の病生じたれば我に引き止めむ力もなく、斯くて離れたるものゝ合ふべき機會は永久に失はれ果てぬ、其の夜はふくるまで思の限り長き手紙に筆執りて、生涯の願いま一たびおとづれ給ひてんやと書きつけゝるを、夜もすがら思は掻亂れて、明くれば痛き頭を抑へつゝ庭の寒き梢に目を放ちて四十雀なにさはいそぐこゝにある松が枝にはしばしだに居よ袱紗の地はつゆ草の花のいろなるを、人は鬼怒川のみなかみに我とおなじ西岸に棲めれば、想を故郷の秋に馳するに、なよ/\とせるつゆ草の馬の腹七たび過ぐれども根は絶えずなど俚言に聞きけることもいまはなか/\に懷しく鬼怒川の篠に交れる鴨跖草は刈る人なしに老ゆといはずやも鬼怒川の岸のつゆ草打ち浸りさゝやくことは我はきけども鴨跖草を岸に復た見ば我が思ふ人のあたりゆ持てりとを見むいまにして人はすべなし鴨跖草(つゆぐさ)の夕さく花を求むるが如つゆ草の花を思へばうなかぶし我には見えし其の人おもほゆからまるを否とたれかいふ鴨跖草の蔓だに絡め我はさびしゑ病みてあればともしきものかつゆ草は馬がはめども枯れなくといふに鴨跖草の種はあまたもこぼれども我がには生えずなにゝかはせむ既に五十日にも餘りぬれば我が病院生活も半を過ぎたらむと思ふに、待つ人の遂に來らねば徒らにおもひを焦すに過ぎず醫術の限を竭して後は病はいかに成り行くべきかと心もこゝろもとなくて、一月廿三日の夜いたく深くる程に筆とりて我が病いえなばうれし癒えて去なばいづべの方にあが人を待たむあまたゝび空しく門は過ぎゝとふ人はかへしぬ我が思止まず癒えぬべきたどきも知らず病みたれば悲しと來しに我は逢はぬにこゝにして來なば來なむと待つ人のこゝにも來ねばいつとてか見む霜柱庭に立てれば石踏みて來とさへいひてやりける人をいたづらに思ひたのめて人待つと氷は閉ぢて解けにけらずやさきはひを人は復た獲よさもあらばあれ我が泣く心拭ひあへなくにおほよそは心は嘗ていはなくに思ひ堪へねばいひにけるかも又庭にある山茶花のあはれにさきのこれるに僅に懷をやるとて打ち萎え我にも似たる山茶花の凍れる花は見る人もなし山茶花のわびしき花よ人われも生きの限りは思ひ嘆かむ山茶花は萎えていまは凍れども命なる間は豈散らめやも尚さま/″\におもひつゞけて我を思ふ母をおもへばいづべにかはぐゝもるべき人さへ思ほゆ我病めば母は嘆きぬ我が母のなげきは人にありこすなゆめ生命あらば見るよしもあらむしかすがに人やも母といはゞすべなし我がおもふ人はさきはへ世の中のなべての母は皆嘆けどもおもかげに母おもひ見れば人遂に母たりなむと思ひ悲しも我が母の肉(しゝ)のゆるびは嘆き故あを思ふ故にわれすべもなし一月廿六日、彼の袱紗ゆくりなく手にとることありしに、糸巻の型の染め抜かれたるが今更に目に映ればとこしへに解かむすべなし苧環(をだまき)のあまたはあれど手にもとれねばをだまきといへばすゞろに懷しき故郷の庭なる斗菜のうへにも及びぬればあまたゝび冬には逢へど枯れざりし庭の斗菜(をだまき)かれなくてあれな此の日、ひねもすに雨ふる、なにごとにも母のおもひ出でられて我さへにこのふる雨のわびしきにいかにかいます母は一人していさゝかのゆがめる障子引き立てゝなに見ておはす母が目に見ゆ張り換へむ障子もはらず來にければくらくぞあらむ母は目よわきにこゝにしてすゝびし障子懷へれば母よと我は喚ぶべくなりぬ斗菜を母と二人が見てし日は障子はいまだ白かりしかど病室の内に雨を聽き暮して明くればまだきに彼の山茶花のもとに思ひ煩ひてからくして低きが枝にのこれりし山茶花のはな散りにけるかも山茶花のはかなき花は雨故に土には散りて流されにけり山茶花のあけの空しく散る花を血にかも散ると思ひ我が見る山茶花はむなしくなりぬ我が病癒えむと告ぐる言も聞かなくに仔細に見るに葉の間に半開の蕾只一つすがりたるがいとほしくて山茶花よそをだに見むと思へるに散らなくあれな我が去ぬるまでに二月廿日といふに漸く病院を出づ、七十八日の間我を慰めし花は只一株の山茶花に過ぎざりけるを、けふを限りと復た更に其の傍に立ちて見るに、思はざる花の綻びたるがそれも彼方に一つ此方に一つと只二つのみに餘所にはふゝめる枝もなし、此の花遂に我がためにのみさきつくしけるにこそとさへ思ひいでられて我がおもふ人にあらなくに山茶花は一樹が枝に相隔りぬ山茶花の畢(つひ)なる花は枝ながら背きてさけり我は向けども山茶花のはなは見果てゝ去ぬらくに人は在處(ありど)も知るよしもなく此の如ありける花を世の中に一人ぞ思ふ其の遙けきも三月七日、暫しが程と郷にかへる、三日ばかりして歸りこんと出で行きて既に四月にもなりたれば、あたりはさながら忘れ去りたるやうなるを一日二日とある程にゆくりなく拗切(ちぎ)りてみつる蠶豆の青臭くして懷しきかも蠶豆はまだ短くして、たとへば土に落ちたる生石灰の石のやうなるが自ら水分をふくみてほとびつゝあるが如し、我も此より遠く西國の旅に赴かむとすれば蠶豆の柱の如き莖たゝばいづべに我は人おもひ居らむ病院より旅宿とありける間は夜具を干しくるゝ人もなかりけるを、ひと日母が手して竿に掛けさせければ我も日毎にかくしつゝ日に干せば日向臭しと母のいひし衾(ふすま)はうれし軟かにして日に疎き庭は土質悪しければ、冬の程には箒もあて難きに杉の大木聳え立ちたれば落葉もいたく亂れにけるをあまたあれば杉の落葉のいぶせきに梅の花白しそのいぶせきに杉の葉の梅の木にして懸れるを見つゝ佇むそのさゆらぐを掃かざりし杉の落葉を熊手もて掻かしめしかば心すがしき我がさとはかくしもありき庭にして落葉掻き集む梅さへ散るに三月十三日、朝のほど雨ふる外に立てどいくだもぬれぬ春雨を棕櫚の葉に聞く外に立ちしかば雨はやがて雪にかはりたれば寒さ身にしむに母と相對して火鉢に手を翳す桑の根の炭はいぶせし火を吹くと皮がはねつる吹かなくてあらむ病中雜咏(補遺)いたづきは癒えなむのぞみありぬべしいためる心いゆる時あれやま悲しき花は山茶花日にしてはいくたび見つる思ひかねては大正三年鍼の如く 其の一一秋海棠の畫に白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけりりんだうの畫に曳き入れて栗毛繋げどわかぬまで櫟林はいろづきにけり夜半ふとおどろきめざめて無花果に干したる足袋や忘れけむと心もとなき雨あわたゞし二上州入山の山中にて唐黍の花の梢にひとつづゝ蜻蛉(あきつ)をとめて夕さりにけり歸路うなかぶし獨し來ればまなかひに我が足袋白き冬の月かもたもとほり榛が林に見し月をそびらに負ひてかへり來われは博多所見しめやかに雨過ぎしかば市の灯はみながら涼し枇杷堆し肥後に入る球磨(くま)川の淺瀬をのぼる藁船は燭奴(つけぎ)の如き帆をみなあげて三山吹は折ればやさしき枝毎に裂きてもをかし草などの如西瓜割れば赤きがうれしゆがまへず二つに割れば矜らくもうれし菜豆(いんげん)はにほひかそけく膝にして白きが落つも莢をしむけばそこらくに藜をつみて茹でしかば咽喉こそばゆく春はいにけりおしなべて白膠木(ぬるで)の木の實鹽ふけば土は凍りて霜ふりにけり枳(けんぽなし)さびしき枝の葉は落ちて骨ばかりなる冬の霜かも楢の木の嫩葉は白し軟かに單衣の肌に日は透りけり芝栗の青きはあましかにかくに一つ二つは口もてぞむく松が枝にるりが竊に來て鳴くと庭しめやかに春雨はふり草臥を母とかたれば肩に乘る子猫もおもき春の宵かも移し植うと折れたる枝の錢菊はすにこちたし棄てまくも惜し藁の火に胡麻を熬るに似て子雀(こがらめ)の騷ぐ聲遠く霧晴れむとす洗ひ米かわきて白きさ筵に竊に椶櫚の花こぼれ居り楢の木の枯木の中に幹白き辛夷はなさき空蒼く濶し四落栗は一つもうれし思はぬにあまたもあれば尚更にうれし秋の日は枝々洩りて牛草のまばら/\は土のへに射す柿の樹に梯子掛けたれば藪越しに隣の庭の柚子黄み見ゆ雀鳴くあしたの霜の白きうへにしづかに落つる山茶花の花藁掛けし梢に照れる柚子の實のかたへは青く冬さりにけり倒れたる椎の木故に庭に射す冬の日廣くなりにけるかも梧桐の幹の青きに涙なすしづく流れて春雨ぞふる冬の日はつれなく入りぬさかさまに空の底ひに落ちつゝかあらむ桑の木の低きがうれに尾をゆりて鵙も鳴かねば冬さりにけり五病院の生活も既に久しく成りける程に四月廿七日、夜おそく手紙つきぬ、女の手なり春雨にぬれてとゞけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり五月六日、立ふぢ、きんせん、ひめじをんなどくさ/″\の花もて來てくれぬ、手紙の主なり、寂しき枕頭にとりもあへず藥壜さがしもてれば行春のしどろに草の花活けにけり草の花はやがて衰へゆけども、せめてはすき透りたる壜の水のあたらしきを欲すといさゝかも濁れる水をかへさせて冷たからむと手も觸れて見しいつの間にか、立ふぢは捨てられ、きんせんはぞろりとこぼれたるに、夏の草なればにや矢車のみひとりいつまでも心強げに見ゆれば朝ごとに一つ二つと減り行くに何が殘らむ矢車の花俛首れてわびしき花の斗菜(をだまき)は萎みてあせぬ矢車の花風邪引きて厭ひし窓もあけたればすなはちゆるゝ矢車の花快き夏來にけりといふが如まともに向ける矢車の花五月十日、復た草の花もて來てくれぬ、鐡砲百合とスウヰトピーなり、さきのは皆捨てさせて心もすが/\しきに、いつのまにか大きなる百合の蕾ひそかに綻びたるに心ぐき鐡砲百合か我が語るかたへに深く耳開き居り十一日の夜に入りはじめて百合のかをりの高きを聞く、此夜ものおもふことありけるに明日の疲れおそろしければ、好まざれども睡眠劑を服す、入院以來これにて二度目なりうつゝなきねむり藥の利きごゝろ百合の薫りにつゝまれにけり六病牀にひとりつれ/″\を慰めむと、柾(まさ)といふ紙を求めて四方の壁をいろどりしが壁に貼りしいたづら書の赤き紙に埃も見えて春行かむとす貧しき人々の住む家なれば、棟にあまた草生ひたれども嘗てとることもなきぞと見ゆるに窓の外は甍ばかりのわびしきに苦菜(にがな)ほうけて春行かむとす窓の硝子は朝ごとに拭へども、そともは手もとゞかねばいさゝかの曇りなれども晴るゝこともなし、春暮れむとして空さだまらず硝子戸の春の埃をあらはむと雨は頻りに打ち注ぎけり窓を壓して梧桐の木わだかまれり、はじめのほどに春雨になまめきわたる庭の内に愚かなりける梧桐の木かとよみおきけるが、今は梢のさやぎも著しく窓掛はおほにな引きそ梧桐の嫩葉の雨はしめやかに暮れぬ藁蒲團のかたへゆがみたるに身を横たふることも、餘りに日のかさなればその單調なるにたふべくもあらず、まして爽かなる夏の既に行きいたれゝば梧桐の夏をすがしみをり/\は疊の上にねまく欲りすも熱少したかけれどもたま/\出でありくこともありあかしやの花さく蔭の草むしろねなむと思ふ疲れごゝろに鍼の如く 其の二一五月二十二日夜、こゝろに苦惱やみがたきこと起りて眠遂におだやかならず小夜ふけてあいろもわかず悶ゆれば明日は疲れて復た眠るらむおそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜はよしといへば水には足はひたせどもいたづらにして小夜ふけにけりすべもなく髪をさすればさら/\と響きて耳は冴えにけるかもやはらかきくゝり枕の蕎麥殼も耳にはきしむ身じろぐたびにゆくりなく手もておもてを掩へればあな煩はし我が手なれども手紙のはしには必ず癒えよと人のいひこすことのしみ/″\とうれしけれどひたすらに病癒えなとおもへども悲しきときは飯減りにけり窓外を行く人を見るに、既に夏の衣にかへたるがおほし咳き入れば苦しかりけり暫くは襲ねて居らむ單衣欲しけど藁蒲團に身をいたはることも七十日にあまりたれど、自らいくばくも快きをおぼえず頬の肉落ちぬと人の驚くに落ちけるかもとさすりても見しいぶせきに明日は剃らなと思ひつゝ髭の剃杭のびにけるかも二物質上の損失はおほくは同情者の手によりて容易に補給せらるべきも、精神上の缺陷は同情者の手によりて凡て直ちに解決せらるべきものなるべからず、如何に深厚の同情と雖も其効果は概ね甚だ僅少なるべきなり、然れども其効果の僅少なるが爲めに遂に人間至高の價値を没却すべからずいさゝかのことなりながら痒きとき身にしみて人の爪ぞうれしき健康者は常に健康者の心を以て心となす、もとより然るべきなり、只羸弱の病者に莅む時といへどもいくばくも異る處なきが如きものあるを憾みとすることなきにあらずすこやかにありける人は心強し病みつゝあれば我は泣きけり三病院の一室にこもりける程は心に惱むことおほくいできて自らもまなこの窪めるを覺ゆるまでに成りたれば、いまは只よそに紛らさむことを求むる外にせむ術もなく、五月三十日といふに雨いたく降りてわびしかりけれどもおして歸郷す垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども小さなる蚊帳もこそよきしめやかに雨を聽きつゝやがて眠らむ蚊帳の外に蚊の聲きかずなりし時けうとく我は眠りたるらむ三十一日、こよひもはやくいねて廚なるながしのもとに二つ居て蛙鳴く夜を蚊帳釣りにけり鬼灯(ほゝづき)を口にふくみて鳴らすごと蛙はなくも夏の淺夜をなきかはす二つの蛙ひとつ止みひとつまた止みぬ我(あ)も眠くなりぬ短夜の淺きがほどになく蛙ちからなくしてやみにけらしも夜半月冴えて杉の梢にあり小夜ふけて厠に立てば懶げに蛙は遠し水足りぬらむ六月一日、あたりのもの凡ていまさらに目にめづらしければ出でありく麥刈ればうね間/\に打ちならび菽は生ひたり皆かゞまりて幼きものゝ仕業なるべし垣根なるうつ木の花は扱き集(つ)めてぞろりと土に棄てられにけり夕近くして雨意おほし雨蛙しきりに鳴きて遠方の茂りほの白く咽びたり見ゆいさゝかは花まだみゆる山吹の雨を含みて茂らひにけり二日、雨戸あくるおとに目さむおろそかに蚊帳を透かしてみえねどもしづく懶く外は雨なりきやがてしげくふりいづつく/″\と夏の緑は快き杉をみあげて雨の脚ながし泥のぬかり足駄の齒にわびしけれど心ゆくばかりのながめせんとてまたいでありく鉈豆のもの/\しくも擡げたるふた葉ひらきて雨はふりつぐ車前草(おほばこ)は畑のこみちに槍立てゝ雨のふる日は行きがてぬかも庭の枇杷ことしばかりはめづらしく果おほし枇杷の木にみじかき梯子かゝれどもとるとはかけじいまだ青きに雨をよろこぶこゝろを蕗の葉の雨をよろしみ立ちぬれて聽かなともへど身をいたはりぬ我が草苺を好むこと度を知らずともいひつべし、未だ甚だしく體力の衰へざりし程は一度に五合にのぼらざれば胸の爽かなるを覺えず、然かも日に幾たびとなくこれをくりかへして飽くこともなかりき、さるをことしは家を離れて久しくなりけるに市場に出でたるは嘗て手にだも觸れむとせざれば、日頃はさびしくあかしけるが、いまはうれしきは門の畑なりたらちねは笊もていゆく草苺赤きをつむがおもしろきとて幾度か雨にもいでゝ苺つむ母がおよびは爪紅をせり草苺洗ひもてれば紅解けて皿の底には水たまりけり三日微雨、人にあふこといできにたれば車に幌かけて出づ、鬼怒川をわたるみやこぐさ更紗染めたる草むしろしづかにぬれて霧雨ぞふる口をもて霧吹くよりもこまかなる雨に薊の花はぬれけり鬼怒川の土手の小草に交じりたる木賊の上に雨晴れむとす四日、晴れて俄に暑し、風邪引くことのおそろしくてためらひ居けるを、いまはなか/\に心も落ちゐたれば單衣になるとりいでゝ肌に冷たきたまゆらはひとへの衣つく/″\とうれしくつろぐと足を外に向けころぶせば裾より涼し只そよ/\とさやげども麥稈帽子とばぬ程みむなみ吹きて外はすが/\し暑きころになればいつとても痩せゆくが常ながら、ことしはまして胸のあたり骨あらはなれど、單衣の袂かぜにふくらみてけふは身の衰へをおぼえず、かゝることいくばくもえつゞくべきにあらざれど猶獨り心に快からずしもあらず單衣きてこゝろほがらになりにけり夏は必ず我れ死なざらむ鍼の如く 其の三六月九日夜、下關の港にてうつら/\髪を刈らせて眠り居る足をつれなく蚊の螫しにけり鋏刀もつ髪刈人は蚊の居れどおのれ螫さえねば打たむともせず四日間の旅を經て十日といふに博多につく、十一日朝、千代の松原をありく夏帽の堅きが鍔に落ちふれて松葉は散りぬこのしづけきに十二日の中に瞼(まなぶた)とぢてこやれども蚊に螫され居し足もすべなく蚊の螫しゝ足を足もてさすりつゝあらぬことなどおもひつゞけし十四日脱ぎすてゝ臀のあたりがふくだみしちゞみの單衣ひとり疊みぬ此の夜いまさらに旅の疲れいできにけるかと覺えられてちまたには蚤とり粉など賣りありく淺夜をはやく蚊帳吊らせけり低く吊るのつり手の二隅は我がつりかへぬよひ/\毎に十七日、日ごろ雨の中を病院へかよひゐけるが此の日は殊にはげしく降りつるに、四日間の汽車の窓より見て到るところおなじく輕快にして目をよろこばせしもの只夥しき茅花のみなりけるをなつかしく思ひいづることありて稚松の群に交りて戯れし茅花も雨にしをれてあるらむはろ/″\に茅花おもほゆ水汲みて笊にまけたる此の雨の中に泣くとては瞼(まぶた)に當つる手のごとく茅花や撓むこのあめのふるに病室みな塞りたれば入院もなり難く、久保博士の心づくし暫くは空くして雨にぬれて通ふすみやけく人も癒えよと待つ時に夾竹桃は綻びにけり廿日、漸くいぶせき旅宿をいでゝ病院の一室に入る、二日三日の程にくさ/″\聞き知りて馴れ行く、病院の規模大なれば白衣の看護婦おびたゞしく行きかふ、皆かひ/″\しく立ちはたらくところ服裝のためなればか年齢の相違のごときも俄にはわかち難く、すべて男性的に化せられたるが如く見ゆれどもたま/\は絣のひとへ帶締めてをとめなりけるつゝましさあはれ廿四日夜、また不眠に陷るいづべゆか雨洩りたゆく聞え來てふけしく夜は沈みけるかも小松植ゑたる狹き庭をへだてゝ外科の病棟あり、痛し/\といふかなしき呻きの聲きこゆ夜もすがら訴へ泣く聲遠ぞきて明けづきぬらし雨衰へぬ廿五日、ベコニヤの花一枝をし換ふ、博士の手折られけるなり、白き一輪は同夫人のこれもベコニヤの赤きを活けもておくられけるなり、廿六日の朝看護婦のを外していにけるあとにおもはぬ花一つ散り居たり悉く縋りて垂れしベコニヤは散りての花もうつぶしにけりちるべくも見えなき花のベコニヤはの裾などふりにけらしもベコニヤの白きが一つ落ちにけり土に流れて涼しき朝を寢臺の下のくらきを拂ふこともなく看護婦のよひごとに釣りければ蚊帳の中に蚊おほくなりて、此の夜もうつらうつらとしてありけるほどふけゆくまゝに一しきり交々襲ひきたれるに驚くひそやかに蟄さむと止る蚊を打てば手の痺れ居る暫くは安し聲掛けて耳のあたりにとまる蚊を血を吸ふ故に打ち殺しけり七月一日、朝まだきにはじめて草履はきておりたつ、構内に稍ひろき松林あり、近く海をのぞむ月見草萎まぬ程と蛙鳴く聲をたづねて松の木の間を柵の外には畑ありて南瓜つくることおほし、我酷だこの花を愛す唯ひとり南瓜畑の花みつゝこゝろなく我は鼻ほりて居つ前後に人もなければ心も濶き松の林に白き浴衣きたりけることの故はなくして只矜りかにうれしく朝まだきまだ水つかぬ浴衣だに涼しきおもひ松の間を行く只一つ松の木の間に白きもの我を涼しと膝抱き居りころぶしてみれば梢は遙かなり松がさか動くその雀等は松蔭の蚊帳釣草にころぶしていさゝか痒き足のばしけりかくのごと頬すりつけてうなづけば蚊帳釣草も懷しきかも窓外ポプラーと夾竹桃とならびけり甍を越えてポプラーは高く四日深更、月すさまじく冴えたり硝子戸を透してに月さしぬあはれといひて起きて見にけり小夜ふけて竊に蚊帳にさす月を眠れる人は皆知らざらむさや/\にの殺げばゆるやかに月の光はゆれて涼しも目さめてさま/″\のことを思ふかゝるとき扁蒲畑(ゆふがほばた)に立ちなばとおもひてもみつ今は外に出でず七日よひ/\に必ずゆがむ白蚊帳に心落ちゐて眠るこのごろ白蚊帳に夾竹桃をおもひ寄せ只快くその夜ねむりき厭はしきはの中の蚊なりはかなくもよひ/\毎に蚊の居らぬなれかしとおもひ乞ひのむ鍼の如く 其の四一七月十七日、構内の松林をす、煤煙のためなればか、梢のいたく枯燥せるが如きをみる油蝉乏しく松に鳴く聲も暑きが故に嗄れにけらしもいづれの病棟にもみな看護婦どもの其詰所といふものゝ窓の北蔭にさゝやかなる箱庭の如きをつくりてくさ/″\の草の花など植ゑおけるが、夕毎に三四人づゝおりたちて砂なれば爪こまかなる熊手もて掃き清めなどす、十九日のことなり水打てば青鬼灯の袋にも滴りぬらむ黄昏にけりかゝる時女どもなればみな/\さゞめきあへるが、ひとり我がために撫子の手折りたるをくれたれば牛の乳をのみてほしたる壜ならですものもなき撫子の花此のをみなすべてのものゝ中に野にあるなでしこを第一に好めるよしいひければなでしこの交れる草は悉くやさしからむと我がおもひみし壜に活けたるまゝにしてなでしこの花はみながらさきかへて幾日へぬらむ水減りにけりなでしこはいまは果敢なき花なれど捨つと言にいへばいたましきかも二十日の夜ひとつには暑さたへがたくして夜もすがら眠らず、明方にいたりて蛙の聲を聞く快くめざめて聽けと鳴く蛙ねられぬ夜のあけにのみきくさわやかに鳴くなる蛙たとふれば豆を戸板に轉ばすがごと朝のうち必ず一しきりはげしく咳出づることありて苦しむ曉の水にひたりて鳴く蛙涼しからんとおもひ汗拭く二蚊帳釣草を折りて暑き日はこちたき草をいとはしみ蚊帳釣草を活けてみにけりこゝろよく汗の肌にすゞ吹けば蚊帳釣草の髭殺(そよ)ぎけり夜になれば我がためにのみは必ず看護婦の來てをつりてくるゝが例なり釣るとかやつり草を外に置くが務めなりける我は痩せにき燬くが如き日てりつゞけばすべての病室のつきそひの女ども只洗濯にいそがはし粥汁を袋に入れて糊とると絞るがごとく汗はにじめりおもひ待てども蝉の聲をきかず板のごと糊つけ衣夕まけて松に乾けど蝉も鳴かぬかも庭の松の蔭に午後に成れば朝顔の鉢をおくものあり、他の病室の患者の慰めなりといへどもひとの枕のほとり心づかざれば未だみしこともなく朝まだき涼しき程の朝顔は藍など濃くてあれなとぞおもふ僅に凌ぎよきは朝まだきのみなり蚤くひの趾などみつゝ水をもて肌拭くほどは涼しかりけり夕に汗を流さんと一杯の水を被りて糊つけし浴衣はうれし蚤くひのこちたき趾も洗はれにけり涼味漸く加はる松の木の疎らこぼるゝ暑き日に草皆硬く秋づきにけり三二十三日、久保博士の令妹より一莖の桔梗をおくらる、枕のほとり俄かに蘇生せるがごとしさゝやけきかぞの白紙爪折りて桔梗の花は包まれにけり桔梗の花ゆゑ紙はぬれにけり冷たき水の滴れるごと桶などに活けてありける桔梗(きちかう)をもたせりしかば紙はぬれけむ目をつぶりてみれば秋既に近し白埴の瓶に桔梗を活けしかば冴えたる秋は既にふゝめりしらはにの瓶にさやけき水吸ひて桔梗の花は引き締りみゆ桔梗を活けたる水を換へまくは肌は涼しき曉(あけ)にしあるべし我は氷を噛むことを好まざれど暑き日は氷を口にふくみつゝ桔梗は活けてみるべかるらし氷入れし冷たき水に汗拭きて桔梗の花を涼しとぞみしすべもなく汗は衣を透せどもききやうの花はみるにすがしき廿四日の夕なり、たま/\柵をいでゝ濱邊に行く、群れ居る人々と草履ぬぎて淺き波にひたる、空の際には暗紫色の霧のごときがたなびきたるに大なる日落ちかゝれり、凝視すれども眩からず、近くは雨をみざる兆なり抱かばやと没日のあけのゆゝしきに手圓(たなまど)さゝげ立ちにけるかも渚をとほく北にあたりて葦茂りて草もおひたれば行きて探りみんとおもへどこのあたり嘗てなでしこをみずといひにければおしなべて撫子欲しとみえもせぬ顔は憂へず皆たそがれぬ構内にレールを敷きたるは濱へゆくみちなり、雜草あまたしげりて月見草ところ/″\にむらがれり、一夜きり/″\すをきく石炭の屑捨つるみちの草村に秋はまだきの螽なくきり/″\すきかまく暫し臀据ゑて暮れきとばかり草もぬくめりきり/″\すきこゆる夜の月見草おぼつかなくも只ほのかなり白銀の鍼打つごとききり/″\す幾夜はへなば涼しかるらむ月見草けぶるが如くにほへれば松の木の間に月缺けて低し八月一日、病棟の蔭なる朝顔三日ばかりこのかた漸くに一つ二つとさきいづ嗽ひしてすなはちみれば朝顔の藍また殖えて涼しかりけり三日夕、整形外科の教室の蔭に手をたてゝおびたゞしく絡ませたるをはじめてみて知る、餘りに日に疎ければ朝顔の赤は萎まずむき捨てし瓜の皮など乾く夕日に四日あさがほの藍のうすきが唯一つ縋りてさびし小雨さへふり彼の垣根のもとに草履はきておりたつ朝顔のかきねに立てばひそやかに睫にほそき雨かゝりけり六日かつ/\も土を偃ひたる朝顔のさきぬといへば只白ばかり鍼の如く 其の五一八月十四日、退院朝顔は蔓もて偃へれおもはぬに榊の枝に赤き花一つ十六日朝、博多を立つ、日まだ高きに人吉に下車し林の温泉といふにやどる、暑さのはげしくなりてより身はいたく疲れにたりけるを俄かに長途にのぼりたることなれば只管に熱の出でんことをのみ恐れて手を當てゝ心もとなき腋草に冷たき汗はにじみ居にけり十八日、日向の小林より乘合馬車に身をすぼめて、まだ夜のほどに宮崎へこゝろざす草深き垣根にけぶる烏瓜(たまづさ)にいさゝか眠き夜は明けにけり霧島は馬の蹄にたてゝゆく埃のなかに遠ぞきにけり十九日、宮崎より南の方折生迫といふにいたる、青島目睫の間に横はりてうるはしけれど、此の日より驟雨いたりてやがて連日の時化に變りたれば、心落ち居る暇もなきに漁村のならはし食料の蓄もなければかくしつゝ我は痩せむと茶を掛けて硬(こは)き飯はむ豈うまからず酢をかけて咽喉こそばゆき芋殼の乏しき皿に箸つけにけり二十五日に入りて、雨は更に戸を打つこと劇しくして止むべきけしきもなし痺れたる手枕解きて外をみれば雨打ち亂し潮の霧飛ぶ噛みさ噛み疾風は潮をいぶく處(ど)に衣も疊もぬれにけるかも二十六日、漸くにして晴る、やどは松林のほとりにひとり離れて建てられたるが、道も庭も松葉散り敷きてあたりは狼藉たり木に絡む糸瓜の花は此の朝は萎えてさきぬ痛みたるらむおなじく松林のほとり、少し隔てゝ壁くづれ落ちてかつかつも住みなしたるあり、けさは殊に凄じきさまにしめりたる松葉を竈(くど)に焚くけぶり糸瓜の花にまつはりてけぬ二十七日、宮崎にのがる、明くれば大淀川のほとりをふ朝まだき涼しくわたる橋の上に霧島低く沈みたり見ゆ三十一日、内海の港より船に乘りて吹毛井といふところにつく、次の日は朝の程に鵜戸の窟にまうでゝ其の日ひと日は樓上にいねてやすらふ手枕に疊のあとのこちたきに幾時われは眠りたるらむ懶き身をおこしてやがて呆然として遠く目を放つうるはしき鵜戸(うど)の入江の懷にかへる舟かも沖に帆は滿つ渚にちかく檐を掩ひて一樹の松そばだちたるが、枕のほとりいつしか落葉のこぼれたるをみる松の葉を吹き込むかぜの涼しきに咽びてわれはさめにけらしも二日、油津の港へつきて更に飫肥にいたる、枕流亭にやどる、欄のもと僅に芋をつくりたるあり心を惹くころぶせば枕に響く淺川に芋洗ふ子もが月白くうけり四日、油津の港より乘りて外の浦といふところへわたる、漸くにして探しあてたるはわびしき宿なれども靜かなる入江もみえたれば、もとより戸は立てしめず、閾の際に枕したれば月はまどかにして蚊帳のうちをうかゞふ越しに雨のしぶきの冷たきに二たびめざめ明けにけるかも六日、波荒き海上を折生迫の漁村にもどる、此の夜おもひつゞくることありてふくるまで眠らず草に棄てし西瓜の種が隱(こも)りなく松虫きこゆ海の鳴る夜に八日、陰晴定めなき季節のならはし、雨をり/\はげしく障子を打つ横しぶく雨のしげきに戸を立てゝ今宵は虫はきこえざるらむ九日、再び時化になりたればまた宮崎にのがる、人のもとにて梨瓜といふを皿に盛りてすゝめらる、此の地方西瓜と共に瓜を産することおびたゞし瓜むくと幼き時ゆせしがごと竪さに割かば尚うまからむ十三日、漸く折生迫にもどれば同人の手紙などとゞきて居たるを一つ/\と披きみてはくりかへしつゝとこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のをらぶ夜は憂しむらぎもの心はもとな遮莫をとめのことは暫し語らず夜は苦しき眠りに落つるまで、虫の聲々あはれに懷しくこほろぎのしめらに鳴けば鬼灯の庭のくまみをおもひつゝ聽くこほろぎはひたすら物に怖れどもおのれ健かに草に居て鳴く十四日蝕ばみて鬼灯赤き草むらに朝は嗽ひの水すてにけり午に近くたま/\海岸をさまよふ草村にさける南瓜の花共に疲れてたゆきこほろぎの聲海もくまなく晴れたれば、あたりは只一時に目をひらきたるがごとし鯛とると舟が帆掛けて亂れゝば沖は俄かに濶くなりにけり豊後國へわたる船を待たむと此の日内海にいたりてやどる此の宵はこほろぎ近し廚なる笊の菜などに居てか鳴くらむ十八日、きのふ別府の港につきてけふは大分の郊外に石佛を探り汗ながしてかへれるに、夕近くなりて慌しく肌衣とりいだすこゝろよき刺身の皿の紫蘇の實に秋は俄かに冷えいでにけり二二十二日、博多なる千代の松原にもどりて、また日ごとに病院にかよふ此のごろは淺蜊々々と呼ぶ聲もすゞしく朝の嗽ひせりけり三十日、雨つめたし、百穗氏の秋海棠を描きたる葉書とりいだしてみる、庭にはじめてさけりとありうなだれし秋海棠にふる雨はいたくはふらず只白くあれないさゝかは肌はひゆとも單衣きて秋海棠はみるべかるらしゆくりなくも宿のせまき庭なる朝顔の垣をのぞきみて秋雨のひねもすふりて夕されば朝顔の花萎まざりけり十月一日、庭のあさがほけさは一つも花をつけず朝顔の垣はむなしき秋雨をわびつゝけふも復たいねてあらむ病院の門を入りて懷しきは、只頭の花のみなり頭は冷たき秋の日にはえていよ/\赤く冴えにけるかも十日、再び秋草のたよりいたる、萎えたるこゝろしばらくは慰む刈萱と秋海棠とまじりぬと未だはみねどかなひたるべしわびしくも痩せたる草の刈萱は秋海棠の雨ながらみむ日ごろは熱たかければ、日ねもす蒲團引き被りてのみ苦しみける程に、もとより入浴することもなかりけるが、たまたま十八日の朝まだき、まださくやらむと朝顔のあはれに小さくふゝみたる裏戸をあけていでゆく浴みして手拭ひゆる朝寒みまだ蕾なり其のあさがほは小さき蚊帳のうちに獨りさびしく身を横たふるは常のならはしにして、また我が好むところなるに、ましてこゝは藪蚊のおほきところなれば只いつまでも吊らせてありけるが幾夜さを蚊帳に別れてながき夜のほのかに愁し雨のふる夜は古蚊帳のひさしく吊りし綻びもなか/\いまは懷しみこそ三吸入室の窓のもとに、一坪ばかり庭の砂掻きよせて苗をしてありけるが、夏の日にも枯れず、秋もたけて漸く一尺餘りになりたればいまは日ごとに目につくやうになりけるを、十一月十一日、折から時雨の空掻きくもりて騷がしきにはら/\と松葉吹きこぼす狹庭には皆白菊の花さきにけり次の日、庭は熊手もてくまなく掻きはらはれたれど白菊のまばら/\はおもしろくこぼれ松葉を砂のへに敷く十四日、夜にいりて雨やまざれど俄かにおもひ立つことありて久保博士をおとなふしめやかに雨の淺夜を籠ながら山茶花の花こぼれ居にけり俄かに九度近くのぼりたる熱さむることもなく、三十日ばかりの間は只引きこもりてありければ、常は季節に疎しともおもはざりける身の山茶花の花をみることもはじめてなればいま更のごとく驚かれぬるに吸物にいさゝか泛けし柚子の皮の黄に染みたるも久しかりけり幾時なるらむ、めざめて雨のはげしきおとをきく松の葉は復たこぼるらし小夜ふけて廂に雨の當るをきけば十五日、ふとかの十坪に足らぬ裏の庭をみおろすに、そこにもわかき木の一もとはありてひそやかに下枝ばかりにひらきたる山茶花白くこぼれたり見ゆ山茶花はさけばすなはちこぼれつゝ幾ばく久にあらむとすらむ十六日、このごろ熱低くなりたれば、始めて人をたづねていづ、空晴れて快し不知火の國のさかひにうるはしき背振の山は暖かに見ゆひとの垣に添うてゆく山茶花はあまたも散れば土にして白きをみむに垣内(かきち)には立つ雀の好む木なれば必ずさへずりかはすをみる山茶花に雀はすだくときにだに姿うつくしくあれなとぞおもふわかき女のさげもてゆくものを手に持てる茶の木の枝に括られて黄に凝りたる草の花何十九日、復たいでありく、朱欒の青きがそここゝの店に置かれてまだ一つ二つは殘りたらむとおもふに、梢に垂れたるは皆既にいろづきたるにおどろく竿に釣りて朱欒(ざぼん)のうへの白足袋は乾きたるらし動きつゝみゆ二十二日、觀世音寺にまうでんと宰府より間道をつたふ稻扱くとすてたる藁に霜ふりて梢の柿は赤くなりにけり彼の蒼然たる古鐘をあふぐ、ことしはまだはじめてなり手を當てゝ鐘はたふとき冷たさに爪叩き聽く其のかそけきを住持は知れる人なり、かりのすまひにひとしき庫裏なれども猶ほ且かの縁のひろきを憾む朱欒植ゑて庭暖き冬の日の障子に足らずいまは傾きぬ二十五日、氣候激變してけさもはげしき北吹きてやまず、さゝやかなる店に蔬菜のうれのこりたるも哀れなりうるほへば只うつくしき人參の肌さへ寒くかわきけるかも二十六日、百穗氏の來状に接す、寒雲低く垂れて庭に落葉を焚くなどあり幾ばくの落葉にかあらむ掃きよせて竈(くど)には焚かず庭にして焚く落葉焚きて寒き一夜の曉は灰に霜置かむ庭の土白く二十九日、筑後國なる松崎といふところに人をたづぬることありて朝つとめて立つ、おもはぬ霜ふかくおりたるに此の如きは冬にいりてはじめてなりといふ芒の穗ほけたれば白しおしなべて霜は小笹にいたくふりにけり此の日或る禪寺の庭に立ちて枳(けんぽなし)ともしく庭に落ちたるをひらひてあれど咎めても聞かずたま/\は榾の楔をうちこみて樅の板挽く人もかへりみず十二月七日、程ちかく槭をおほく植ゑたるあり、けふは塀の外に散り敷ける落葉を掃きて、松葉のまじりたるまゝに火をつけて燒くそこらくにこぼれ松葉のかゝりゐる枯枝も寒し落葉焚く日はいさゝかの落葉が燒くるいぶり火に烟は白くひろごりにけり夜にいりて空俄に凄じくなりたれば、戸ははやく立てさせて時雨れ來るけはひ遙かなり焚き棄てし落葉の灰はかたまりぬべし八日松の葉を繩に括りて賣りありく聲さへ寒く雨はふりいでぬ朝まだき車ながらにぬれて行く菜は皆白き莖さむく見ゆ四大正三年六月八日、山崎をすぎて雨おほいに到る天霧(あまぎ)らふ吹田(すゐだ)茨木雨しぶき津の國遠く暮れにけるかも九日、三たび播州を過ぐ播磨野は朝すがしき淺霧の松の上なる白鷺の城同二年四月十五日夕、空には朝來の雨なごりもなく、汽車はこゝろよく伯耆の海岸に添ふて走るそがひには伯耆嶺白く晴れたればはらゝに泛ける隱岐の國見ゆ十七日、出雲の杵築にいたり大社に賽す、其の本殿の構造、簡易にして素朴なれどもしかもこれを仰ぐに、彼の大國主の天の瓊矛を杖いて草昧の民の上に君臨せる俤を只今目前にみるのおもひあり久方の天が下には言絶えて嘆きたふとび誰かあふがざらむ十九日、よべはおそく香住といふところにやどりて、應擧の大作をみむとつとめて大乘寺を訪ふ菜の花をそびらに立てる低山は櫟がしたに雪はだらなり...
長塚節 「長塚節歌集 下」
...漸く籠を空けて帰ろうとすると...
野村胡堂 「流行作家の死」
...彼は漸く兄に借金のことを話しかけてみた...
原民喜 「永遠のみどり」
...ハネ十時半、が、非常管制となり楽屋で三四十分待たされ、漸く帰る...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...漸くチョン五時すぎ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...――その当時はもう原始的な他界信仰から脱して人々は漸くわれわれと殆ど同じような生と死との観念をもちはじめていたのにちがいありません...
堀辰雄 「大和路・信濃路」
...漸く不意と吾に返つて...
牧野信一 「天狗洞食客記」
...俺達もこれで漸く吻(ほ)つとしたわけだよ...
牧野信一 「円卓子での話」
...大根や牛蒡(ごぼう)の頭と尾(しっぽ)まで万年スープの材料にする位だから払溜(はきだめ)へ入る者は全くの糟(かす)ばかりだよ」と滔々(とうとう)たる説明に小山も漸く納得し「僕の家でも早速この新式の火鉢を造らせよう」新工風万年スープ火鉢の図第六十二 手数台所の経済法は主人より聞得たり...
村井弦斎 「食道楽」
...漸く卓に向い一酌して...
吉川英治 「年譜」
...その事情を漸く理解し始めた明は...
和辻哲郎 「鎖国」
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