...されど多士済々(せいせい)たる日本文壇...
芥川龍之介 「骨董羹」
...多士済々(たしせいせい)たる硯友社は忽ち章魚(たこ)の足のように八方に勢力を伸ばし...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...多士済々の穂高には...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...琅洞を本拠として、多士済々、大体三つのグルウプに分れ、中でも一番勢力のあったのは岸田劉生及その友人門下生の一団であって、私も大体に於て岸田のグルウプであった...
高村光太郎 「ヒウザン会とパンの会」
...故に現内閣は、形式に於ては憲政党の内閣なりと雖も、其実質に於ては則ち、進歩自由両党の聯立内閣なりと謂はざる可からず、唯だ夫れ然り、此を以て大隈伯はたとひ現内閣の総理たるも、憲政党は未だ大隈伯を中心とせざるの事実あるに於て、現内閣は決して世人の予期したる如き理想的大隈内閣に非るは、復た言ふを俟たず、然らば理想的大隈内閣とは何ぞや名実共に大隈伯を首領としたる党与に依て組織せらるゝもの是れなり、蓋し伯も亦曾て此冀望を抱て多数の俊髦を糾合したること此に年あり其徒沼間守一、小野梓、藤田茂吉等諸氏は、既に故人に属すと雖も、尚ほ矢野文雄、島田三郎、犬養毅、尾崎行雄の四氏旧に仍て意気軒昂たるあり、加ふるに鳩山和夫、大石正巳、加藤高明等の如き、伯と深縁あるもの亦之れなきに非ざるが故に、其多士済々たる、以て優に理想的大隈内閣を組織するに余りあらむ然るに現内閣中純然たる大隈派と目す可きものは、僅に尾崎、大石の両氏あるに過ぎずして、其他の閣員は、皆大隈伯と政治上の経路を異にしたる人物なり、是れ豈世人の予期したる如き大隈内閣ならむや...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...済々(せいせい)として武蔵国を通ると...
中里介山 「法然行伝」
...弟子達軍兵済々として前後をかこみ...
中里介山 「法然行伝」
...昇進を賀する客が済々焉(せいせいえん)とやって来るけれども...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかし文部省は文教の府だけに済々たる学者の淵藪(えんそう)でもあれば...
牧野富太郎 「牧野富太郎自叙伝」
...実に多士済々(たしさいさい)といってよい...
吉川英治 「上杉謙信」
...多士済々、曹操の権威は、自(おのずか)ら八荒(こう)にふるった...
吉川英治 「三国志」
...多士済々(せいせい)たる予の麾下の士が眼に見えぬか」と...
吉川英治 「三国志」
...願わくば、どう多士済々か、どう人間らしいのがいるか、つまびらかに、その才能をうかがいたいものだが」と、何のおそれ気もなく云い放った...
吉川英治 「三国志」
...まさに多士済々の盛観であった...
吉川英治 「三国志」
...いよいよ多士済々(たしせいせい)だ...
吉川英治 「新書太閤記」
...多士済々(たしせいせい)だ...
吉川英治 「新書太閤記」
...多士済々(たしせいせい)といえる...
吉川英治 「新書太閤記」
...済々黌の井芹経平氏から遺物に贈られて持っているN氏の達磨図(だるまず)...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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