...永享年間(西暦一四二九―一四四一)の乱に武功をあらわして...
小泉八雲 田部隆次訳 「ろくろ首」
...永享二年の奥書のある世阿弥の「習道書」を見てもわかるやうに...
野上豊一郎 「演出」
...然らば此陸運はどうであつたかと云ふに、彼の北畠顯信が義良親王を奉じて、伊勢から海路陸奧に赴かむとした事によつても、鎌倉末足利の初に既に斯かる航路の開かれて居つたことが分るし、又日本海廻りの航路に就いては、永享文安の頃、奧州十三湊の豪族安倍康季が、後花園院の勅命によつて、若州小濱の羽賀寺を再建したといふ、羽賀寺縁起の記事、若州の武田氏が北海道に渡つたとの傳説等によりて、鎌倉以來依然として、絶えずあることを知る事が出來る...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...最古参者は父公保の時代永享十一年十八歳で三条西家へ奉公し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...『塩尻(しおじり)』巻三十に「或る記に曰く永享七年十二月天野民部少輔(あまのみんぶのしょう)遠幹その領内秋葉山で兎を狩獲信州の林某に依りて徳川殿に献ず...
南方熊楠 「十二支考」
...相模湾から発する大地震過去において相模湾から発現し、関東全域に被害を生じたと推定される大地震は、(一)弘仁九年、(二)永仁元年、(三)永享五年、(四)元禄十六年及び、(五)大正十二年の五回である...
武者金吉 「地震なまず」
...永享七年銘の鉄鉢(てつばち)...
吉川英治 「随筆 新平家」
...――ところが足利氏の幕府だった永享(えいきょう)から文明年間なんて...
吉川英治 「宮本武蔵」
...応永(一三九四―一四二八)永享(一四二九―一四四一)のころであるが...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...永享は室町時代の絶頂であり...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...応永永享時代の讃美を聞いたことはかつてなかった...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...永享四年には関白となっている...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...永享の時代を代表するに足りるであろう...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...永享の精神を代表したものであって...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...永享の精神から見れば...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...二 土一揆土一揆と呼ばれている民衆運動が、大きい社会的現象としてはっきり現われて来たのは、正長永享の頃、即ち一四二八年頃からである...
和辻哲郎 「鎖国」
...正長永享の頃に民衆の間から突然起って来た...
和辻哲郎 「鎖国」
...遂に正長永享の土一揆として爆発したのであった...
和辻哲郎 「鎖国」
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