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寺田寅彦 「映画時代」
...この枳殻誤って足にかけたれば取りかえてよと云う人の情もうれし...
寺田寅彦 「東上記」
...枳殼(からたち)の生籬の刺で...
豊島与志雄 「反抗」
...一万八千坪の御薬園の中、茯苓(ぶくりょう)、肉桂(にっけい)、枳穀(きこく)、山査子(さんざし)、呉茱萸(ごしゅゆ)、川(せんきゅう)、知母(ちぼ)、人参(にんじん)、茴香(ういきょう)、天門冬(てんもんとう)、芥子(からし)、イモント、フナハラ、ジキタリス――幾百千種とも数知れぬ薬草の繁る中を、八幡(やわた)知らずにさ迷い歩いた末、わずかの灯(あかり)を見付けて、真っ黒な建物の中へスルリと滑り込んでしまいました...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...枳殼垣(からたちがき)へ引つ掛けたのを見ると...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...」森枳園の阿部家に帰参したのは五月である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...枳園先生の本草は紙上の学問ではなかつたから...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」枳園養竹は棠軒の来りしが故に福山に帰ることを許された...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...二月二十三日が森枳園の吉野へ立つ前日だと云つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それゆゑに枳園は劇を評する語を藉(か)り来つて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...以上は枳園尺牘(せきどく)の註脚である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その三十六森枳園(きえん)は大磯で医業が流行するようになって...
森鴎外 「渋江抽斎」
...そこで五百は幾たびか枳園と論争したそうである...
森鴎外 「渋江抽斎」
...嘉永元年に至って枳園は躋寿館(せいじゅかん)の一事業たる『千金方(せんきんほう)』校刻(こうこく)を手伝うべき内命を贏(か)ち得た...
森鴎外 「渋江抽斎」
...森枳園が記述に与(あずか)ったことは既にいえるが如くである...
森鴎外 「渋江抽斎」
...抽斎が枳園と共に...
森鴎外 「渋江抽斎」
...抽斎は森枳園と同じく...
森鴎外 「渋江抽斎」
...無頓着(むとんじゃく)な枳園とは...
森鴎外 「渋江抽斎」
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