...その中に『東鑑(あずまかがみ)』にあるような鎌倉以前の言葉の多く這入(はい)っているのに気が付き...
伊波普猷 「土塊石片録」
...東鑑(あづまかゞみ)を案(あんず)るに...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...淡路國名所圖會所載の「東鑑」の記事に依れば...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...此外にも中跡直といふあり、栗田氏の國造族類考に中跡直は舊事紀に天椹野命中跡直等祖とあり、中跡は和名鈔伊勢國河曲郡中跡(奈加止)郷、東鑑七に中跡庄、神名式に奈加等神社ある地に起れる氏なり、上に云る中臣伊勢連、中臣伊勢朝臣の中臣は即ち中跡にて、此に起れり、神名帳桑名郡中臣社あり、此氏神ならんとあり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...中には『東鑑(あずまかがみ)』などが例に引いてあるだけで...
夏目漱石 「道草」
...星野博士は其治承四年ヨリ文永三年ニ至ルマテ凡八十七年間鎌倉幕府ノ日記ナリ編者ノ姓名傳ハラサルモ其幕府ノ吏人ナルハ疑ナシと云はれたれども余は寧ろ林道春の東鑑考に東鏡未詳撰...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...(三月二十八日)『明星』所載落合氏の歌いざや子ら東鑑(あずまかがみ)にのせてある道はこの道はるのわか草この歌一読...
正岡子規 「墨汁一滴」
...『東鑑(あずまかがみ)』建久四年六月十八日故曾我十郎が妾(大磯の虎除髪せずといえども黒衣袈裟(けさ)を着す)箱根山の別当行実坊において仏事を修し(中略)すなわち今日出家を遂げ信濃国善光寺へ赴く時に年十九とある...
南方熊楠 「十二支考」
...『東鑑』は偽りなしだから『異本曾我物語』は啌(うそ)で寅歳生まれで虎と名づけたでなく寅時にでも生まれたのだろ...
南方熊楠 「十二支考」
...『東鑑』の朝比奈義秀(あさひなよしひで)など浜辺でワニを取った様子皆鮫でにあらず...
南方熊楠 「十二支考」
...『東鑑』文治元年義経都落ちの条に...
南方熊楠 「十二支考」
...『東鑑』〈文治二年八月十六日午の尅(こく)...
南方熊楠 「十二支考」
...日本にも『東鑑』に...
南方熊楠 「十二支考」
...吉田氏はまた『東鑑(あずまかがみ)』の桂井は枯井の形誤かと言われたが誤りとすればむしろ軽井の写し損じかも知れぬ...
柳田國男 「地名の研究」
...「栄花物語」「更級日記」「大和物語」「東鑑(吾妻鏡)」等々々...
吉川英治 「随筆 新平家」
...追討使ヲ相待……云々(東鑑)などの記載や...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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