...官軍の東下に引続(ひきつづ)き奥羽の戦争(せんそう)に付き横浜外人中に一方ならぬ恐惶(きょうこう)を起したるその次第(しだい)は...
石河幹明 「瘠我慢の説」
...次(つい)で官軍の東下のごとき...
石河幹明 「瘠我慢の説」
...先刻より気づこうていた霧は、果然包囲攻撃してくる、まるで手のつけようはない、打っても突(つ)ついても、音もなければ手応(てごた)えもない、折角(せっかく)自然の大観に接しようとしたがこの始末、そこで櫓(やぐら)に登り中食をしながら附近を見る、櫓柱は朽ちて央(なか)ば以上形なし、東下の石小屋は、屋根が壊れていて天套(テント)でもなければ宿れそうもない、たまたま霧の間から横尾谷の大雪渓と、岳川谷(たけがわだに)の千仞(せんじん)の底より南方に尾を走らしているのが、瞬間的に光るのを見た...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...曩昔(そのかみ)の東下りの御板輿(おんいたごし)を白き柩車(きうしや)に乗り換へて...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...家康の東下を待って...
中里介山 「大菩薩峠」
...会津征伐に加わるために東下すると聞いたが...
中里介山 「大菩薩峠」
...三郎自身はこの時の東下直前に朝廷に向って...
服部之総 「尊攘戦略史」
...将軍上洛等の勅書を奉じた長州侯の東下――をもって...
服部之総 「尊攘戦略史」
...この格子を開けるたび誰か親戚のわかい女のひとでもやつて来てゐて赤い鼻緒や黒塗りの東下駄でも脱いであると分るたび...
正岡容 「異版 浅草燈籠」
...すぐそこからバスで伊東下田行が出かかっているのだが熱川の宿はどこがよいのか知らない...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...本来ならば、この東下は、放ち囚人(任意の出頭)ということになっている...
吉川英治 「私本太平記」
...関東下向の旅についた...
吉川英治 「私本太平記」
...同時に東下(とうげ)する諸将たちへも...
吉川英治 「私本太平記」
...東下(とうげ)をあえてしたことは確かとみゆる」「不忠不逞な臣」「断乎たる御処分な降(くだ)されねばあいなるまい」公卿口の姦(かしま)しさ...
吉川英治 「私本太平記」
...十人二十人の徒党で「――足利の宰相が御東下の端に」と...
吉川英治 「私本太平記」
...輔佐(ほさ)には、顕家の弟、顕信(あきのぶ)を陸奥(むつ)の鎮守府将軍にのぼせ、また、結城(ゆうき)宗広をも付き添わせて、ここに、東下の軍勢が、再編成されたのだった...
吉川英治 「私本太平記」
...――翌早暁から三万の兵馬はまた淀の河流にそって蜿蜒(えんえん)と東下した...
吉川英治 「新書太閤記」
...巴の東下説(盛衰記などにある美濃路へ落ちて鎌倉へ行ったという説)は信じられない...
吉川英治 「随筆 新平家」
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