...楊(やなぎ)の木4・26(夕)摂津の大物(だいもつ)が浦(うら)に片葉(かたは)の蘆(あし)しか生(で)きないといふ伝説は古い蘆刈の物語に載つてゐる...
薄田泣菫 「茶話」
...寛永四年十月には、山城、大和、河内、摂津、紀伊、土佐、讃岐、伊予、阿波、伊勢、尾張、美濃、近江、遠江、三河、相模、駿河、甲斐、伊豆、豊後の諸国にわたって大地震があって、人畜の死傷するもの無数...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...安政には既に元年六月十五日になって、山城、大和、河内、和泉、摂津、近江、丹波、紀伊、尾張、伊賀、伊勢、越前の諸国にわたって大きな地震があった...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...殿が摂生(せっせい)をお守りなされて一年でも多く長寿を保って下さる方が私もうれしい...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...天地荘厳、摂取不捨...
種田山頭火 「其中日記」
...大正十二年八月摂政宮殿下御登臨之処といふ記念碑が建てられてある...
種田山頭火 「旅日記」
...その楽しさが神の摂理のあらわれであるから...
永井隆 「この子を残して」
...原子爆弾が浦上に落ちたのは大きなみ摂理である...
永井隆 「長崎の鐘」
...神功皇后の摂政の時代に...
蜷川新 「天皇」
...神功皇后の摂政が...
蜷川新 「天皇」
...故に摂州行は必ずというではないけれど...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...履歴性行等蕪村は摂津(せっつ)浪花(なにわ)に近き毛馬塘(けまづつみ)の片ほとりに幼時を送りしことその「春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)」に見ゆ...
正岡子規 「俳人蕪村」
...あの衝当(つきあたり)にあるのが摂津国屋の墓でございます...
森鴎外 「細木香以」
...摂理は運命をうまく御(ぎょ)して行く...
柳宗悦 「地方の民藝」
...矢代は夕食を千鶴子と一緒に摂って...
横光利一 「旅愁」
...かねて摂津、和泉からこの地方へ潜入していた笠置、赤坂の残党もかなり交じっていたのである...
吉川英治 「私本太平記」
...「摂津(せっつ)の荒木どのと組して...
吉川英治 「新書太閤記」
...摂関家や親王方などにお近づきを得なければ立身は成りません...
吉川英治 「平の将門」
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