...折助の前身には無頼漢(ぶらいかん)もあれば...
中里介山 「大菩薩峠」
...折助には渡り者が多い...
中里介山 「大菩薩峠」
...折助どもも少し怯(ひる)んだが...
中里介山 「大菩薩峠」
...多勢(たぜい)を恃む折助...
中里介山 「大菩薩峠」
...こうしてお角を取って押えた折助どもは...
中里介山 「大菩薩峠」
...それはいい心がけだ」折助はとうとう...
中里介山 「大菩薩峠」
...それは例の折助連(おりすけれん)であります...
中里介山 「大菩薩峠」
...また一人の折助が通りかかって...
中里介山 「大菩薩峠」
...お銀様は歯咬(はがみ)をして彼等を押し退けて避けようとすると、折助たちは、ゾロゾロと後をついて来るのであります...
中里介山 「大菩薩峠」
...飛んでもねえことをしやがる」折助どもをポカポカと殴り飛ばして...
中里介山 「大菩薩峠」
...こうして折助が芋を揉(も)むようにして噪いでいるのを...
中里介山 「大菩薩峠」
...そっちへ行った」折助が噪(さわ)ぎました...
中里介山 「大菩薩峠」
...「竹竿で足を打払(ぶっぱら)え」折助は物干竿(ものほしざお)を幾本も担ぎ出しました...
中里介山 「大菩薩峠」
...寒いなア」「滅法界(めっぽうかい)寒い」折助が五人ばかりかたまって来ました...
中里介山 「大菩薩峠」
...手の空(す)いた折助連中はその倶楽部(くらぶ)である八日市の酒場に陣取って...
中里介山 「大菩薩峠」
...彼等は折助式の反抗と復讐をすることに...
中里介山 「大菩薩峠」
...折助がこの席に着いた時分は、駒井能登守はもう着座していた後のことであって、折助は、桟敷下の蓆(むしろ)の上へ胡坐(あぐら)をかいて、人集(ひとだか)りの模様には頓着なく、まず酒樽の酒を片口(かたくち)へうつして、それを茶碗へさして廻り、そこから蒟蒻(こんにゃく)や油揚や芋の煮しめの経木皮包(きょうぎがわづつみ)を拡げ、冷(ひや)でその酒を飲み廻し、煮しめを摘みながら、おもむろに桟敷から桟敷、見物から見物を見廻すのであります...
中里介山 「大菩薩峠」
...そんなことは、道庵に聞かねえたって、もっと安直に聞けるところがありそうなものだが、聞かれて知らねえというのも業腹だから、後学のため教えてつかわそう、そもそも三ぴんというのは……」この時、道庵は手に持っていた青竹を橋の欄干のところへ静かに置き、懐中へ手を入れたと見ると、例の畳んだ奉書を取り出して物々しくおしいただき、それを繰りひろげて高らかに読み出しました――「そうれ、ツラツラおもんみるに、三一(さんぴん)とは三と一といふことなり、三は三なれども一はまたピンともいふ、ここに於て三両一人扶持(ぶち)をいただくやからをすべて三ピンとは申すなり、まつた、折助といふは、柳原河岸その他に於て、これらの連中が夜鷹の類を買ひて楽しむ時、玉代として銭の緡(さし)を半分に折りて差出すを習ひとするが故に、折助とは申すなり、それ中ごろの折助に二組の折助あり、一つを山の手組といひ、一つを田圃組(たんぼぐみ)といふ、その他にも折助は数々あれども、この二つの折助の最も勢力ある山の手組の背(うし)ろには、百万石の加賀様あり、田圃組の背ろには鍋島様が控へてゐる故とぞ申す、もとより御安直なる折助のことなれば、天下国家に望みをかける大望はなけれども、これら大名達の威光を肩に着て諸大名屋敷の味噌すり用人と結託し、人入れ稼業を一手に占めんとする企みのほど、恐るべしとも怖るべし、帰命頂礼(きみようちようらい)、穴賢(あなかしこ)」道庵が、枇杷島橋の上で、天も響けとこういって読み上げた勧進帳もどきを聞いて、「こいつが、こいつが」金十郎がいきり立つと、安直がしゃしゃり出て、「あんたはん、三ぴんや言いなはるが、三両だかて大金やさかい、一人扶持かて一年に均(なら)してみやはりまっせ、一石八斗二升五合になりまんがな、今時、諸式が上りはって、京大阪で上白(じょうはく)一桝(ひとます)が一貫と二十四文しますさかい、お金に換えたら十八両六貫三百六十八文になりまんがな、それにお給金三両足しますとな、たっぷり二十両がとこありまんがな、大金じゃがな、そないに三ぴん三ぴん言うとくれやすな、チャア」これを聞いて道庵が、さては、こいつ、阪者(さかもの)の出来損ないであったか、なるほどみみっちい! と感心していると、前面からのしかかった紺看板が、「ファッショ」「ファッショ」ファッショ、ファッショで道庵を揉(も)みくちゃにしようと試みる...
中里介山 「大菩薩峠」
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