例文・使い方一覧でみる「心敬」の意味


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...まことに、当時、御朝廷との御交通は、ただこの御方おひとりに依つてのみなされてゐたやうな御有様でございまして、建保三年の七月には、おそれおほくも仙洞御所より内々の御勅諚に依つて、仙洞歌合一巻が将軍家に下し送られ、将軍家もまた、そのとしには、京都の御所へ御進上仕るべき名馬の撰定に当つて、お役人の面々に、それぞれ逸物三匹づつを用意せしめ、御自身いやしき伯楽の如くお手づから馬の口の中まで綿密にお調べになつたくらゐで、建保五年の七月から八月にかけての仙洞御所の御悩の折には、すぐさまお見舞ひの使節を上洛せしめ、荒駒三百三十頭を献上いたし、また御修法を仰出され院の御悩御平癒を祈念なされるなど、その御朝廷に対し奉る恭順の御態度は、万民の手本とも申し上げたいほどで、鎌倉に御下向の御勅使をおもてなしなさるに当つても、誠心敬意を表し、莫大の贈物を捧げ、ひたすら忠君の御赤心を披瀝なされ、かの御母君尼御台所さまが、建保六年に二度目の熊野詣をなさつてそのついでに京都にもお立寄りになり、しばらく京に御滞在中、院の特別のお思召しにより尼御台さまを従三位に叙せしむべき由の宣下がその御旅亭に達し、さらに、かしこくも仙洞御所御直々の御対面をも賜ふべき由仰下され、その破格の御朝恩に感泣いたすべきところを尼御台さまは、田舎の薄汚い老尼でございます、竜顔に咫尺し奉るなど、とんでもない、どうかその儀はおゆるし下されと申して、京都の諸寺参拝のおつもりも何も打棄て、即時に鎌倉さして御発足になつたとか、そのやうな依怙地な不敬の御態度などに較べると、実の御母子でありながら、まさに雲泥の差がございまして、院も、このお若い将軍家の一途に素直な忠誠の念をおいつくしみ下され、官位の陞叙もすみやかに、建仁三年九月七日叙従五位下、任征夷大将軍、同十月二十四日任右兵衛佐、元久元年正月七日叙従五位上、三月六日任右近少将、同二年正月五日正五下、同二十九日任右中将、兼加賀介、建永元年二月二十二日叙従四下、承元々年正月五日従四上、同二年十二月九日正四下、同三年四月十日叙従三位、五月二十六日更任右中将、建暦元年正月五日正三位、同二年十二月十日従二位、建保元年二月二十七日正二位、このころから将軍家に於いても官位の御昇進を無邪気にお楽しみなされて除書をお待兼ねのあまり京都へ御催促なされる事さへございまして、同じく建保四年の六月二十日には、わづか御二十五歳のお若さを以て権中納言に任ぜられ、七月二十日には左近中将を兼ね、同六年正月十三日には任権大納言、三月六日にいたつて左近大将、十月九日、内大臣、十二月二日、右大臣...   まことに、当時、御朝廷との御交通は、ただこの御方おひとりに依つてのみなされてゐたやうな御有様でございまして、建保三年の七月には、おそれおほくも仙洞御所より内々の御勅諚に依つて、仙洞歌合一巻が将軍家に下し送られ、将軍家もまた、そのとしには、京都の御所へ御進上仕るべき名馬の撰定に当つて、お役人の面々に、それぞれ逸物三匹づつを用意せしめ、御自身いやしき伯楽の如くお手づから馬の口の中まで綿密にお調べになつたくらゐで、建保五年の七月から八月にかけての仙洞御所の御悩の折には、すぐさまお見舞ひの使節を上洛せしめ、荒駒三百三十頭を献上いたし、また御修法を仰出され院の御悩御平癒を祈念なされるなど、その御朝廷に対し奉る恭順の御態度は、万民の手本とも申し上げたいほどで、鎌倉に御下向の御勅使をおもてなしなさるに当つても、誠心敬意を表し、莫大の贈物を捧げ、ひたすら忠君の御赤心を披瀝なされ、かの御母君尼御台所さまが、建保六年に二度目の熊野詣をなさつてそのついでに京都にもお立寄りになり、しばらく京に御滞在中、院の特別のお思召しにより尼御台さまを従三位に叙せしむべき由の宣下がその御旅亭に達し、さらに、かしこくも仙洞御所御直々の御対面をも賜ふべき由仰下され、その破格の御朝恩に感泣いたすべきところを尼御台さまは、田舎の薄汚い老尼でございます、竜顔に咫尺し奉るなど、とんでもない、どうかその儀はおゆるし下されと申して、京都の諸寺参拝のおつもりも何も打棄て、即時に鎌倉さして御発足になつたとか、そのやうな依怙地な不敬の御態度などに較べると、実の御母子でありながら、まさに雲泥の差がございまして、院も、このお若い将軍家の一途に素直な忠誠の念をおいつくしみ下され、官位の陞叙もすみやかに、建仁三年九月七日叙従五位下、任征夷大将軍、同十月二十四日任右兵衛佐、元久元年正月七日叙従五位上、三月六日任右近少将、同二年正月五日正五下、同二十九日任右中将、兼加賀介、建永元年二月二十二日叙従四下、承元々年正月五日従四上、同二年十二月九日正四下、同三年四月十日叙従三位、五月二十六日更任右中将、建暦元年正月五日正三位、同二年十二月十日従二位、建保元年二月二十七日正二位、このころから将軍家に於いても官位の御昇進を無邪気にお楽しみなされて除書をお待兼ねのあまり京都へ御催促なされる事さへございまして、同じく建保四年の六月二十日には、わづか御二十五歳のお若さを以て権中納言に任ぜられ、七月二十日には左近中将を兼ね、同六年正月十三日には任権大納言、三月六日にいたつて左近大将、十月九日、内大臣、十二月二日、右大臣の読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...連歌に関する心敬(しんぎょう)の言葉からも判読される...   連歌に関する心敬の言葉からも判読されるの読み方
寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」

...芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこの三つのものを具備した点で心敬の理想を如実に実現したものである...   芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこの三つのものを具備した点で心敬の理想を如実に実現したものであるの読み方
寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」

...散る花の音聞く程の深山(みやま)かな      心敬深山の静かさを現さんとて花といふ美しき材料を用ゐたるは...   散る花の音聞く程の深山かな      心敬深山の静かさを現さんとて花といふ美しき材料を用ゐたるはの読み方
正岡子規 「俳句の初歩」

......   の読み方
正岡子規 「古池の句の弁」

...心敬の「さればこそ」の句の如きは鳥なき里の蝙蝠(こうもり)とやいはん...   心敬の「さればこそ」の句の如きは鳥なき里の蝙蝠とやいはんの読み方
正岡子規 「古池の句の弁」

......   の読み方
正岡子規 「古池の句の弁」

...内心敬意を払っていた...   内心敬意を払っていたの読み方
松本泰 「暴風雨に終わった一日」

...室町時代の中心は、応永(一三九四―一四二八)永享(一四二九―一四四一)のころであるが、それについて、連歌師心敬は、『ひとり言』の中でおもしろいことを言っている...   室町時代の中心は、応永永享のころであるが、それについて、連歌師心敬は、『ひとり言』の中でおもしろいことを言っているの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...心敬(しんけい)が応仁の乱を避けて武蔵野にやって来て...   心敬が応仁の乱を避けて武蔵野にやって来ての読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...連歌の名匠心敬に右のごとき言葉があることを知ったのも...   連歌の名匠心敬に右のごとき言葉があることを知ったのもの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...しかし心敬のあげた証拠だけを見ても...   しかし心敬のあげた証拠だけを見てもの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...心敬は猿楽の世阿弥(一三六三―一四四三)を無双不思議とほめているが...   心敬は猿楽の世阿弥を無双不思議とほめているがの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...また心敬は、絵かきの周文を、最第一、二、三百年の間に一人の人とほめている...   また心敬は、絵かきの周文を、最第一、二、三百年の間に一人の人とほめているの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...しかし彼の名はまだ心敬には聞こえていなかったかもしれぬ...   しかし彼の名はまだ心敬には聞こえていなかったかもしれぬの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

...心敬はこの人を、行儀、心地ともに独得の人としてほめている...   心敬はこの人を、行儀、心地ともに独得の人としてほめているの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

「心敬」の読みかた

「心敬」の書き方・書き順

いろんなフォントで「心敬」


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