...私は延宝集に関する本を読んでいる...
...先生が延宝集の句を教えてくれた...
...延宝集の中に、我が身を省みる句があった...
...古典文学の中で、延宝集は有名な詩歌集である...
...延宝集には、多くの著名な歌人の句が収録されている...
...これじつに西暦千六百七十三年(わが延宝元年...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...その後さらに延宝四年から貞享四年に至る間に...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...それは粗相をした延宝で...
薄田泣菫 「茶話」
...延宝六年板『古今役者物語(ここんやくしゃものがたり)』等の評判記には皆当時俳優の肖像を挿入(そうにゅう)せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...于時延宝七年季冬朔日 伊達十九代左少将藤原朝臣綱村(花押)とあるに依り...
穂積陳重 「法窓夜話」
...漢語は延宝(えんぽう)...
正岡子規 「俳人蕪村」
...時勢の進歩俄(にわか)に速度を加へて、今の十年は昔の百年に当り、三日見ざれば刮目(かつもく)して待つこの時、趣味において品格において句法においておのおの一歩を進めたる談林が、更に一歩を進むるがために豈(あに)三十年の日子(にっし)を俟(ま)つべきや、談林勃興後十年ならずして、談林は既に衰へ、人々新を競ひ奇を争ふの極、日進月歩、文運復興の機運は漸く熟せり、延宝の末年、其角、杉風が作りし句合の如き、なほ滑稽を離るる能はざりしも、言語の遊戯に属する滑稽は早く跡を斂(おさ)めて、趣味の上の滑稽を主とするを見る...
正岡子規 「古池の句の弁」
...その頃これをカモシシと呼んだその名がわずかに程ヶ谷辺に延宝年間まで残り在(い)たのだ...
南方熊楠 「十二支考」
...江戸三吟(延宝六年)の中に次の句を見い出す事はせめてもの心遣りであろう...
武者金吉 「地震なまず」
...」鎌倉時代の暦にある地震虫延宝四年は西暦一六七六年であるから...
武者金吉 「地震なまず」
...延宝五年(西暦一六七七)十月九日陸奥から尾張にかけての海岸に津浪が寄せた時...
武者金吉 「地震なまず」
...延宝二年六月十六日に五十四歳で歿したとしてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...延宝中の江戸鑑小姓組番頭中に「伊沢主水正...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...封を除かれた内藤氏は延宝八年六月二十七日に死を賜はつた内藤和泉守忠勝である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...延宝七年に亡くなつてゐた...
森鴎外 「椙原品」
...後延宝五年正月に綱村と改名した...
森鴎外 「椙原品」
...延宝(えんぽう)七年(一六七九)の四月...
柳田国男 「海上の道」
...延宝二年に(寛文十三年は改元延宝元年にあたる)――弟子観海が亡師春山の肖像を描(えが)いたのが...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
便利!手書き漢字入力検索