...責(せ)めて布川から布佐への本利根の渡しだけは...
江見水蔭 「死剣と生縄」
...今日布佐行繪卷となつて芥川家にあるものが...
小穴隆一 「二つの繪」
...布佐行繪卷は昭和三年に七月二十一日から七日間...
小穴隆一 「二つの繪」
...それから布佐女を訪ふ...
種田山頭火 「一草庵日記」
...午後は柿の会第二回句会を開催する、来会者は六名――一洵、月村、柳女、布佐女、和蕾、無水――だけだつたが、親しみのある会合であつた、夕方一先づ散会、一洵無水和蕾の三君は居残つて、朱鱗洞の句碑建設について相談した...
種田山頭火 「松山日記」
...同道で布佐女さんを見舞ふ...
種田山頭火 「松山日記」
...市駅で連中といつしよになる、十時の汽車で田ノ窪へ、そこから一里ばかり歩いて拝志の小山邸へ、同行は一洵、月邨、三土思夫妻、布佐女、栗田姉妹、――男四人の女四人で、賑やかであつた、田舎はよいなあと思ひながら野を行き川を渡つた、皿ヶ峰は特殊の上形をひろげてゐた、重信川はすつかり涸れてゐた...
種田山頭火 「松山日記」
...千葉県の布川と布佐の間を流れる大利根に橋がかかつた...
野口雨情 「小川芋銭先生と私」
...とりあえず布佐へ移ったのが...
柳田国男 「故郷七十年」
...布佐の方ではあまり喧しくいわないのに...
柳田国男 「故郷七十年」
...私がおキクに会ったのは、彼女が北条に帰って来て、やがて小野市の近在に養女に貰われてゆくまでの間しばらく同居した一時だけで、その後婿をとり、一度は子を、二度目は孫をつれて、下総の布佐や、東京の次兄宅にも訪ねて来たことはあったらしいが、私はとうとう一度も会う機会がなかった...
柳田国男 「故郷七十年」
...布佐の町長を勤めたこともあった...
柳田国男 「故郷七十年」
...まるで布佐町長の兄の便利みたいな長い橋が...
柳田国男 「故郷七十年」
...私共のおった布佐の近所がずいぶん繁華になった...
柳田国男 「故郷七十年」
...千葉県布佐に移住した...
柳田国男 「故郷七十年」
...布佐から歩き出し...
柳田国男 「故郷七十年」
...利根の汽船に乗って布佐に帰った...
柳田国男 「故郷七十年」
...布佐の私どもの神主は...
柳田国男 「故郷七十年」
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