例文・使い方一覧でみる「山裾」の意味


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...山裾には野生動物が生息している...   山裾には野生動物が生息しているの読み方

...田舎の家は山裾に建つことが多い...   田舎の家は山裾に建つことが多いの読み方

...登山の際は山裾から登ると楽である...   登山の際は山裾から登ると楽であるの読み方

...この町は山裾に位置しているため、景色が素晴らしい...   この町は山裾に位置しているため、景色が素晴らしいの読み方

...会場は山裾にある広い公園で行われる予定です...   会場は山裾にある広い公園で行われる予定ですの読み方

...山裾(やますそ)に石の小さい門があって...   山裾に石の小さい門があっての読み方
太宰治 「パンドラの匣」

...山裾の静かな御堂である...   山裾の静かな御堂であるの読み方
種田山頭火 「行乞記」

...カルノ鉱からぬき出された白光の原素が無限に裂けてゆくちからのなかで飢えた沙漠がなみうつ沃野(よくや)にかえられくだかれた山裾を輝く運河が通い人工の太陽のもと 極北の不毛の地にもきららかな黄金の都市がつくられるのをゆめみる...   カルノ鉱からぬき出された白光の原素が無限に裂けてゆくちからのなかで飢えた沙漠がなみうつ沃野にかえられくだかれた山裾を輝く運河が通い人工の太陽のもと 極北の不毛の地にもきららかな黄金の都市がつくられるのをゆめみるの読み方
峠三吉 「原爆詩集」

...遠い山裾の道を走つてゐた...   遠い山裾の道を走つてゐたの読み方
徳田秋聲 「芭蕉と歯朶」

...ある山裾(やますそ)に...   ある山裾にの読み方
豊島与志雄 「天狗笑」

...山菅のそがひに向かば劔太刀身はへだてねど言は遠けむ春雨ほろ/\と落葉こぼるゝゆずり葉の赤き木ぬれに春雨ぞふる春の夜の枕のともし消しもあへずうつら/\にいねてきく雨春雨の露おきむすぶ梅の木に日のさすほどの面白き朝あふぎ見る眉毛にかゝる春雨にかさゝしわたる月人をとこ常陸國下妻に古刹あり光明寺といふ、門外に一株の菩提樹あり、傳へいふ宗祖親鸞の手植せし所と、蓋し稀に見る所の老木なり、院主余に徴するに菩提樹の歌を以てす、乃ち作れる歌七首天竺の國にありといふ菩提樹ををつゝに見れば佛念ほゆ善き人のその掌にうけのまば甘くぞあらむ菩提樹の露世の中をあらみこちたみ嘆く人にふりかゝるらむ菩提樹の華菩提樹のむくさく華の香を嗅げば頑固人もなごむべらなり菩提樹の小枝が諸葉のさや/\に鳴るをし聞かば罪も消ぬべしこゝにして見るが珍しき菩提樹の木根立ち古りぬ幾代へぬらむうつそみの人のためにと菩提樹をこゝに植ゑけむ人のたふとき一月二十日、きのふより夜へかけて降りつゞきたる雨のやみたるにつとめておき出でゝ見れば筑波の山には初雪のふりかゝりたればよめる歌六首(録三首)おぼゝしく曇れるそらの雨やみて筑波の山に雪ふれり見ゆよもすがら雨の寒けくふりしかば嶺の上には雪ぞふりけるをのうへにはだらに降れる雪なればこゝのあたりはうべ降らずけりつくしむかし我がしば/\過ぎし大形の小松が下はつくしもえけりつく/\しもえももえずも大形の小松が下に行きてかも見むつくしつむ方も知らえず大形に行きてを見なむ昔見しかば二月五日筑波山に登る、ふりおける雪ふかゝりければ足の疲れはなはだしくおぼえぬ、その夜のほどによみける歌九首足曳の山をわたるに惱ましみい行かじものを山がおもしろ柞葉のはゝそのしばのしば/\も立ちは休らふ山の八十坂蘖(ひこばえ)のたぐひて行かむ人なしにひとり越ゆれば惱ましき坂さや/\に利鎌さしふるしもと木のなよ/\しもよ山路越ゆれば草枕旅ゆきなれし吾なれど山坂越せばいたし足うらはつくば嶺にこりたく(ぶな)のもゆるなす思ひかねつゝ足はなやみぬ肉むらの引かゆがごとも思ほえて脛のふくれのいたましき宵桑の木の木ぬれをはかる青蟲のかゞめて居ればいたき足かも小衾のなごやが下にさぬらくのすが/\しもよ足疲れゝば三月十四日、妹とし子あすは嫁がむといふに、夕より雨のいたくふりいでたればさきはひのよしとふ宵の春雨はあすさへ降れどよしといふ雨春雨に梅が散りしく朝庭に別れむものかこの夜過ぎなば宵すぐるほどに雨やみてまどかなる月いづあすはよき日と思はれければしば/\も裝ひ衣ぬぎかへむあすの夜寒くありこすなゆめなほ思ひつゞけゝる柞葉の母が目かれてあすさらばゆかむ少女をまもれ佐保神夜をこめてあけの衣は裁ちぬひし少女が去なば淋しけむかも四月十七日、雨ふる、うらの藪のなかへ入りてみるにの木の芽いやながにもえ出でたり、亡師のもとへとし/″\におくりけるものを、いまはそれもすべなくなりぬ朝さらずつぐみなくなる我が藪のの木みればもえにけるかも春雨の日まねくふればたらの木のもえてほうけぬ入りも見ぬとにたらの木のもゆらくしるく我が藪の辛夷の花は散りすぎにけりしもと刈るわが竹藪のたらの木は伐らずぞおきしもえば折るべく春雨に濡れつゝたらは折らめどもをりきと告げむ人のあらなく藁つゝみたらの木の芽はおくらまく心はいまは空しきろかもめでぬべき人もあらぬに徒にもえぞ立ちぬるそのたらの木ををらゆればすなはちもゆるたらの芽のまたも逢ふべき人にあらなくに春雨のしき降る藪のたらの木のいたくぞ念ふそのなき人を『馬醉木』に題する歌并短歌うちなびく春の野もせに、とりよろふしどみの木と、馬醉木とをありとあらずと、非ずとは人はいへども、ありと思ふしどみが花は、いつしばの落葉がしたに、ふし芝のかれふがなかに、馬の蹄ふりはふりとも、利鎌もて刈りは刈りとも、しかすがにしゞににほひて、うらもなく吾めづる木の、まぐはしみ吾みる木ぞ、しどみの木あはれ、短歌春の野にさかりににほふしどみの木あしびと否と我はおやじと春の野にい行かむ人しいつくしきしどみの花は翳してを見らめ雉子なく春野のしどみ刺しどみおほにな觸りそその刺しどみわが知れる三浦氏は眞宗の僧なるが、五月の初に男子をうみければ喜びによみて送りし歌一首栗山や佛の寺の、小垣外に麥をまき、土かふや麥の穗の、いちじろくほにいでまくの、はしきかもその子、蕨眞が女の子を生みけるとおぼしくて左千夫が歌をよみけるを見てよみける歌一首いもの子が蠶室(こむろ)をたて、壁に塗る埴谷の山の、松がさ小がさ、はしきやし小松がうれに、なり/\てつらになるちふ、まつ笠小笠、冬十二月水戸に赴く、途に佛頂山を望みて作歌并反歌石工槌とりもちて、刻みける佛の山は、楯なはる山の穗の上に、いなだきの秀でたる山ぞ、その山の山もとにして、諸木々の木末しぬぎて、そゝり立つうちの矛杉、太枝の五百枝ひろごり、あたりには茅も生ひせず、しげりける樹にはありしを、まがつみのおすひしものか、なる神の轟くはしに、久方の天の火下り、たゞ裂きに太幹裂きて、その幹のうつろも燒けば、いつしかも枯れてはありけれ、天が下にいくらもあらじを、杣人の斧うちふりて、太綱かけ伐りきといへば、見まく欲り思ひて行くとも、再びもそこに見らめや、そこもへば佛の山を、枯山にいま我見つる、こゝだ淋しも、(明治三十四年作)反歌とこしへに山は立てども生けるもの杉にしあれば枯れにけるかも再び佛頂山を望みて作歌一首石刻む佛の山は青菅のしげき茂峯(しげを)に雲たちわたる(明治三十五年六月作)靈藥之歌并短歌八十綱をもそろに懸けし、神代にかい引き寄せけむ、伊豆の海の沖邊はろかに、七つまでなみ居る嶋の、中つ邊に宜しみ立てる、にひ嶋に住みてある人の、痛付ける妹をあともひ、船泊つる下田の浦に、しく/\に打ち寄る浪の、おとに聞く藥師たづねて、京都邊に上りにしかど、すべなみと告らえにければ、いくばくも生けらぬ命、同じくは家に死なむと、うつせ貝空しき行きを、しづく玉おもひ沈みて、なげきのみありし間に、いさり火の仄にだにも、人言に聞きにけるかも、まがなしき妹がためには、しましくもためらひ居れやと、釣船に白帆は揚げて、たゞ渉り波路ちわきて、うむ麻の總の國邊の、樹隱りの我家に來り、藥えて歸りにしかば、しなへのみありける妹が、七日まで日はも經なくに、斧とりて分け入る山の、杉の木の皮剥ぐ如く、枕つく小衾去りて、忽ちに病は癒えぬ、かくのごとはやきしるしの、世の中にまたもあらめや、天の隈とほつ祖より、うつそみの人の命を、救へりしかずは知らえず、しか故に年のは毎に、かぶら菜はこゝだも作る、世の人おもひて、(明治三十四年作)短歌人のすることにはあれどもこきだくに蕪作るも世の人のため余が家祕法を以て藥を製す、蕪菁を作りて之が料に充つ故に末節之に及ぶなりまつがさ集(一)七月廿六日、左千夫君百穗君と共に雨を冒して筑波山に向ふ、越えて廿八日予之を予が家に招く、途に騰波の湖を渉り大木より下妻といふ所を過ぐるに鉢植のうつくしきをおきたる家あり、さし覗きて見れば針の師匠の住む家にて少女どもあまたならび居たれば戯れに作りたる歌一首槻の木の大木の岡の、ひた岡に小豆をまき、小豆なす赤ら少女を、立ち返りよくも見なくに、けだしくも心あるごと、人見けらずや、予が家に盜人の入りたる穴をもとの如くふたがずありしを左千夫君の見とがめければよみける歌一首はしきやし騰波の淡海の、水くまりの穿江があすれば、葦邊にや穴をつくり、蟹こそそこにはひそめ、鯰こそそこにはひそめ、ひそめど手をさし入れて、掻き探りとるとふものを、盜人のきたち窺ひ、かくのごと壁はゑりしか、すむやけく去にけるもの故、とりがてにあたらしきかも、穴はもあれども、二十九日、けふは歸らむといふ左千夫君をおくりて椚林の中をさかゐといふ所へ行く、ひた急ぐ程に左千夫君のおくれがちに喘ぐさまなれば、戯れてよめる歌赤駒の沓掛過ぎて、楢の木の生子を行けば、萱村に鳴くやよしきり、よしきりの止まず口叩き、足惱むとひこずる君を、見るがわぶしさ、左千夫君予より重きこと七八貫目、予が先立ちて行くごとにいつも我は七八貫目の荷を負ひたるが如し、君にはそれ程の荷を負はしめなばいくばくもえ行じと、左千夫君の旅行くとだにいへば日にいくたびとなくいひ戯るゝをきゝてよめる歌赤駒の荷をときさけて、七秤八秤もちて、おひ持ちて我をい行けと、ひた走せに走せても行かむを、から臼なすふとしき君が、ほゝたぶら秤にかけ、しりたぶら秤にかけ、七はかり八はかりかけ、切りそけて我に負はしめ、負はしめもいざ、七月短歌會那須の野の萱原過ぎてたどりゆく山の檜の木に蝉のなくかも豆小豆しげる畑の桐の木に蜩なくもあした涼しみ露あまの川棚引きわたる眞下には糸瓜の尻に露したゞるも芋の葉ゆこぼれて落つる白露のころゝころゝにのなく青壺集わすれ草といふ草の根を正岡先生のもとへ贈るとてよみける歌并短歌久方の雨のさみだれ、おぼゝしくいや日に降れば、常臥にやまひこやせる、君が身にいたもさやれか、つねには似てもあらずと、玉梓の知らせのきたれ、葦垣のみだれて思へど、投左のとほくしあれば、せむ術もそこに有らねど、はしきやし君が心の、慰もることもあらむと、吾おくるこれの球根は、春邊はしげき諸葉の、跡もなく枯れてはあれども、鑛は鎔くる夏にし、くれなゐの花の蕾の、一日に一尺に生ひ、二日に二尺に延び、時じくに匂ひぞ出づる、忘れ居しごと、(明治三十四年夏作)短歌病をし忘れて君が思はむとこの忘草にほふべらなり常陸國霞が浦に舟を泛べてよみける歌八首(舊作)葦の邊を榜ぎたみ行けば思ほゆる妹と相見の埼近づきぬ携へて相見の埼の村松の待つらむ母に家苞もがも沖つ邊にい行きかへらふ蜑舟はわかさぎ捕らし秋たけぬれば白波のひまなく寄する行方(なめがた)の三埼に立てる離れ松あはれいさり舟白帆つらなめ榜ぐなべに味村騷ぎ沖に立つ見ゆかすみが浦岸の秋田に田刈る子や沖榜ぐ蜑が妹にしあるらしさゝら荻あしの穗わたる秋風に蜑が家居に網干せり見ゆ草枕旅にしあれば舟うけてことのなぐさに榜ぎめぐり見つ明治三十五年十一月十八日、筑波山に登りてよめる歌二首狹衣の小筑波嶺ろのたをりには萱ぞ生ひたる苫のふき萱筑波嶺をいや珍らしみ刈れゝどもまた生の萱のまたも來て見む筑波山を望みてをり/\によみける歌五首おくて田の稻刈るころゆ夕されば筑波の山のむらさきに見ゆ夕さればむらさき匂ふ筑波嶺のしづくの田居に雁鳴き渡る蜀黍の穗ぬれに見ゆる筑波嶺ゆ棚引き渡る秋の白雲稻の穗のしづくの田居の夜空には筑波嶺越えて天の川ながる筑波嶺に降りおける雪は陽炎の夕さりくればむらさきに見ゆまつがさ集(二)梧桐の梢おもしろく見えたれば青桐のむらなる莢のさや/\に照れるこよひの月の涼しさまた庭のうちに榧の樹あり、過ぎしころは夜ごとに梟の鳴きつときけばふくろふの宵々なきし榧の樹のうつろもさやに照る月夜かもおなじく庭のうちなる樟の木の葉のきら/\とかゞやきたるを主の女の刀自のいとうつくしきものと稱ふれば我が刀自にかはりてよみける秋の夜の月夜の照れば樟の木のしげき諸葉に黄金かゞやく一日小雨、庭上に梅の落葉せるを見てよめる歌四首秋風のはつかに吹けばいちはやく梅の落葉はあさにけに散るあさにけに落葉しせれば我が庭のすゞろに淋し梅の木の秋あさゝらず立ち掃く庭に散りしける梅の落葉に秋の雨ふる我が庭の梅の落葉に降る雨の寒き夕にこほろぎのなく渡邊盛衞君は予が同窓の友なり、出でゝ商船學校に學び汽船兵庫丸の三等運轉士たり、本年六月十四日遠洋航海の途次同乘の船員數名と共に小笠原群島母島の測量に從事し颶風に遭ひて遂に悲慘の死を致す、八月三十日舊友知人相會して追悼の式を擧げ聊か其幽魂を弔ふ、予も亦席に列る、乃ち爲めに短歌八首を詠ず、録六首丈夫は船乘せむと海界の母が島邊にゆきて還らず小夜泣きに泣く兒はごくむ垂乳根の母が島邊は悲しきろかもちゝの實の父島見むと母島の荒き浪間にかづきけらしもはごくもる母も居なくに母島の甚振(いたぶる)浪に臥せるやなぞ鱶の寄る母が島邊に往きしかば歸りこむ日の限り知らなく秋されば佛をまつるみそ萩の花もさかずや荒海の島まつがさ集(三)七月二十五日、大阪桃山にあそぶひた丘に桃の木しげる桃山はたかつの宮のそのあとどころ二十六日、四天王寺の塔に上る刻楷(きざはし)を足讀み片讀みのぼり行く足うらのしもゆ風吹ききたる押照る難波の海ゆふきおくる風の涼しきこの塔の上二十七日、泉布觀後庭あふちの枝も動かず暑き日の庭にこぼるゝ白萩の花油蝉しきなく庭のあをしばに散りこぼれたる白萩の花二十八日、安倍野を過ぐうねなみに藍刈り干せる津の國の安倍野を行けば暑しこの日は和泉國に陵を拜がむと舳の松といふところを行くに、芒のさわ/\と靡きたるを見てよめる大ふねの舳の松の野の穗芒は陵のへに靡びきあへるかも百舌鳥の耳原の中の陵といふを拜みて和泉は百舌鳥の耳原耳原の陵のうへにしげる杉の木すこし隔たりたるみなみの陵といふを拜みまつるに、松の木のおひしげりたればうなねつき額づきみればひた丘の木の下萱のさやけくもあるかおなじく北の陵へまかる途にて向井野の稗は穗に出づ草枕旅の日ごろのいや暑けきに北の陵にて物部の建つる楯井の陵にまつると作れその菽も稗も舳の松より海原をうちわたす雲の立ちければ雨ないたくもちてなよせそ茅淳(ちぬ)の海や淡路の島に立てる白雲住吉の松林を磯の方にうちいでゝよめる住吉の磯こす波の夕の鷺とびわたれ村松がうれゆ三十日、西京なる東山のあたりを行くとて清閑寺の陵にいたるみちすがらよみけるさびしらに蝉鳴く山の小坂には松葉ぞ散れるその青松葉三十一日、比叡山のいたゞきにのぼりて湖のあなたに田上山を望むに、折柄山のうへなる空に雲のむら/\とうかび居たれば比叡の嶺ゆ振放みれば近江のや田上山は雲に日かげる息吹の山をいや遙にみて天霧ふ息吹の山は蒼雲のそくへにあれどたゞにみつるかも極めてのどかなる湖のうへに舟のあまた泛びたるをみて近江の海八十の湊に泛く船の移りも行かず漕ぐとは思へど丹波の山々かくれて夕立の過ぎたるに辛崎のあたりくらくなりたれば鞍馬嶺ゆゆふだつ雨の過ぎしかばいまか降るらし滋賀の唐崎八月一日、嵐山に遊ぶ、大悲閣途上さや/\に水行くなべに山坂の竹の落葉を踏めば涼しも二日、ひるすぐるほどに奈良につく、ありといふ鹿のみえざるに、訝しみて人にとへば山に入りけむといへば春日野の茅原を暑み森深くこもりにけらし鹿のみえこぬ春日山しげきがもとを涼しみと鹿の臥すらむ行きてかも見む嫩草山にのぼるに萩のやうなるものゝおびたゞしくおひたるが、さゝやかなる白きはなのさかりにさきたるを、捨てがたく思へば麓なるあられ酒うる家の主にきくに、草萩といふといへばみれど飽かぬ嫩草山にゆふ霧のほの/″\にほふくさ萩の花三日、大和國たふの峰にやどりて梟のなくをきゝてよめるゆふ月のひかり乏しみ樹のくれの倉梯山にふくろふのなく四日、初瀬へ行くに艾うる家のならびたればこもりくの初瀬のみちは艾なす暑けくまさる倚る木もなしに三輪山へいたる途にて味酒三輪のやしろに手向けせむ臭木の花は翳してを行かな三輪の檜原のあとゝいふを、山守にみちびかれてよみける櫛御玉(くしみたま)大物主の知らしめす三輸の檜原は荒れにけるかも耳なしの山をのぞむ、木立のいやしげきに梔の木のおほきといへば耳なしの山のくちなし樹がくりにさく日のころは過ぎにけらしも五日、橿原の宮に詣づ葦原や八百湧きのぼる滿潮の高知りいます神の大宮やしろの庭のかたほとりに、かたばかりなる葦原あり、そこに水汲む井のありければよめる橿原の神の宮居の齋庭には葦ぞおひたる御井の眞清水橿原の宮のはふりは葦分に御井は汲むらむ神のまに/\橘寺より飛鳥へ行くみちのかたへに逝囘の丘といふにのぼりてたびゝとの逝囘(ゆきき)の丘の小畠には煙草の花はさきにけるかも八日、大阪より伊勢へこえむと木津川のほとりを過ぎてやま桑の木津のはや瀬ののぼり舟つな手かけ曳く帆はあげたれど伊勢路にいりてよめる日をへつつ伊勢の宮路に粟の穗の垂れたる見れば秋にしあるらし九日、志摩の國より熊野へわたる船にのりてよめる加布良古の三崎の小門をすぎくれば志摩の浦囘に浪立ち騒ぐ麥崎のあられ松原そがひみにきの國やまに船はへむかふ十日、よべ一夜は船にねて、ひる近きに勝浦といふところへつく、船のなかより那智の瀧をみる、かくばかりなる瀧の海よりみゆる、よそにはたぐひもなかるべし三輪崎の輪崎をすぎてたちむかふ那智の檜山の瀧の白木綿那智の山をわけて瀧の上にいたりみるに谷ふかくして、はろかに熊野の海をのぞむ丹敷戸畔丹敷の浦はいさなとる船も泛ばず浪のよる見ゆ谷ふかみもろ木はあれど杉がうれを眞下に見れば畏きろかもやどりの庭よりは谷を隔てゝまのあたりに瀧のみゆるに、月の冴えたる夜なりければふくるまでいも寢ずてよみける眞熊野の熊野の浦ゆてる月のひかり滿ち渡る那智の瀧山みれど飽かぬ那智の瀧山ゆきめぐり月夜にみたり惜しけくもあらず眞熊野や那智の垂水の白木綿のいや白木綿と月照り渡るひとみなの見まくの欲れる那智山の瀧見るがへに月にあへるかもこのみゆる那智の山邊にいほるとも月の照る夜はつねにあらめやも十一日、つとめて本宮へこえむと、大雲取峠といふをわたるに暑さはげしくしてたへがたければ、しば/\水をむすびて喉をうるほす虎杖のおどろが下をゆく水の多藝津速瀬をむすびてのみつ眞熊野の山のたむけの多藝津瀬に霑れ霑れさける虎杖の花さらに小雲取峠といふにかゝる、木立稀なれば暑さいよいよきびしくして思ひのまゝにはえもすゝまず、汗おし拭ひてはやすらひやすらふ程に、羊齒のしげりたるを引きたぐりてみれば七尺八尺のながさなるを、珍らしく思ふまゝにをりて持て行くとてかゞなべて待つらむ母に眞熊野の羊齒の穗長を箸にきるかも十二日、熊野川へそゝぐきたやま川といふ川ののぼりに瀞(どろ)八丁といふをみむと竹筒といふところより山を越えて竹筒(たけと)のや樛の木山の谷深み瀬の音はすれど目にもみられず十三日、舟にて熊野川を下る熊野川八十瀬を越えてくだりゆく船の筵にさねて涼しも十四日、きのふ新宮より七里の松原を海に添ひて木(き)の下(もと)まで行かむと日くれぬれば花の窟といふところのほとりにやどりて、つとめておきいでゝ窟を拜む、とほくよりきたれる山の脚のにはかにこゝにたえたるさまにて、岩の峙ちたるに潮のよせきて穿ちけむと思はるゝ穴のところ/″\にあきたるめづらかなり、沖はぎたれば磯うつ浪もゆるやかなるを、窟にひゞくおとのとゞろ/\と鳴るさま凄まじきばかりなるに、あれたらむほどのこと思ひやらる、伊弉册神をこゝにはふりまつりけるよしいひつたへて、昔より蜑どもの花をさゝげてはいつきまつりけるところと聞きて鯖釣りに沖こぐ蜑もかしこみと花たむけしゆ負へるこの名か眞熊野の浦囘にさける筐(はこ)柳われもたむけむ花の窟に熊野より船にて志摩へかへると、夜はふねに寢てあけがたに鳥羽の港につきてそこより伊勢の海を三河の伊良胡が崎にいたる三河の伊良胡が崎はあまが住む庭のまなごに松の葉ぞ散る十六日、つとめて伊良胡が崎をめぐりてよめるいせの海をふきこす秋の初風は伊良胡が崎の松の樹を吹くしほさゐの伊良胡が崎の萱(わすれ)草なみのしぶきにぬれつゝぞさく十七日、駿河の磯邊をゆきくらして江尻までたどり行かむとてよめる清見潟三保のよけくを波ごしに見つゝを行かむ日のくれぬとに十八日、箱根の山をわたりてよめる箱根路を汗もしとゞに越えくれば肌冷かに雲とびわたるまつがさ集(四)西のみやこを見にまかりてまる山といふところにいきけり、芋棒となむいふいへに入りてひるげしたゝむる程に、あとよりきたる女どもの、さかり傾ぶきしよはひにも有らねば、はでやかなるさまに粧ひけるが、隣の間へいりたるを、暑き日のさかりとて隔ての葭戸は明け放ちたるまゝなりければ、京の女といふもの珍らしく思ひて見る程、怪しくも帶解きやり帷子なりけるが片へに脱ぎ捨てゝゆもじばかりになりてぞ酒汲みはじめける、はしたなき女どもの振舞かなと、興さめ果てゝむな苦しくぞおぼえしや、只管によき衣の汗ばみて汚れなむことを恐れけるとかや、後になりてぞ聞き侍りしからたちの荊棘(いばら)がもとにぬぎ掛くる蛇の衣にありといはなくに篠のめをさわたる蛇の衣ならばぬぎて捨てむにまたも着めやも比叡の山のいたゞきなる四明が嶽にのぼりて雨にあひ、草の茂りたる中を衣手しとゞに沾れて八瀬の里へ下らむと、祖師堂のほとりに出づ、杉深くたちこめたる谷をうしろに白木槿のやうなる花のさきたる樹あり、沙羅雙樹といふといふ、耳には馴れたれども目にはいまはじめてなり、まして花のさかりなれば珍らしきこと極りなし、暑さを冒してきたりけるしるしもこそありけれとてよみける比叡の嶺を雨過ぎしかばうるほへる杉生がもとの沙羅雙樹の花杉の樹のしみたつ比叡のたをり路に白くさきたる沙羅雙樹の花比叡の嶺にはじめて見たる沙羅の花木槿に似たる沙羅雙樹の花暑き日を萱別けなづみ此叡の嶺にこしくもしるく沙羅の花見つ倭には山はあれども三佛の沙羅の花さく比叡山我は八月四日、法隆寺を見に行く、田のほとりに、あらたに梨をうゑたるを見てよめるあまたゝび來むと我はもふ斑鳩(いかるが)の苗なる梨のなりもならずもはじめの月見の日なりけるが、ゆふまけて嫗の畑へ芋堀りに行きけるを、その家の下部なるものゝ、駒引き出して驅けめぐりける間に、いたくもあれいでゝ止むべくもあらずなりて、思ひもかけず主の嫗を蹄にかけゝれば、肉やぶれ骨挫けてやがていく程もなくて死にけり、人々悲しむこと限りなく、しばらくありて後そこへ幣たてきと、ありけることゞもつたへ云ふを聞きてよめる世の中にしれたる人の駒たくと過ちせしより悔いてかへらず垂乳根の母をゆるして芋堀りにかゝらむと知らば行かざめや行けやあら駒の蹄のふらくと知らませばやらめや人の母を思はず垂乳根の母が子芋を皿にもり見むと思ひし月にやもあらぬおもしろとめづる月夜を垂乳根の母をいたみて泣くか長夜を秋の夜のなが夜のくだち眞痛みに泣きけむ母をもりがてにけむあやまちを再びそこにあらせじと幣はもおくか駒の足(あ)の趾(と)に雜咏十六首しろたへの衣手寒き秋雨に庭の木犀香に聞え來も秋の田のわせ刈るあとの稻莖に煩しくのこるおもだかの花とき待ちて穗にたちそめしおくて田の花さくなべにわさ田刈り干す秋の日の日和よろこび打つ畑のくまみにさける唐藍の花我門の茶の木に這へる野老蔓(ところづら)秋かたまけていろづきにけりさら/\に梢散りくる垣内にはうども茗荷もいろづきにけりなぐはしき嫁菜の花はみちのへの茨がなかによろぼひにさくうねなみに作れる菊はおしなべて下葉枯れゝどいまさかりなり小春日の庭に竹ゆひ稻かけて見えずなりたる山茶花の花鋏刀(はさみ)持つ庭作り人きりそけて乏しくさける山茶花の花こぼれ藁こぼれし庭のあさ霜にはらゝに散れる山茶花の花つゆしもの末枯草の淺茅生に交りてさける紅蓼の花冷やけく茶の木の花にはれわたる空のそくへに見ゆる秋山馬塞垣に繩もて括る山吹のもみづる見れば春日おもほゆ筑波嶺ははれわたり見ゆ丘の邊の唐人草の枯れたつがうへに鬼怒川をあさ越えくれば桑の葉に降りおける霜の露にしたゞる佛の山を過ぎてよめる歌并短歌佛の山は常毛二州に跨る、阪路險悪、近時僅に車馬を通ず、往昔の世山麓に浪士あり、四郎左衞門と稱す、人を殺し財を掠むること算なし、一女あり母を失ふ、四郎左愛撫措かず、女長じて容姿温雅、擧止節有り、竊かに父の爲す所を憂ひ、しばしば泣いて諫むれども聽かず、一日秋雨蕭々黄昏に至りてやまず、女乃ち決然として起ちて裝を旅客に變じて過ぐ、四郎左悟らず、遙かに射て之を斃す、其走つて嚢中を檢せんとするに及びて哀痛悲慟禁ずること能はず、剃髪して佛門に歸し、あまねく海内の名刹を周遊し、還りて石佛を路傍に建つ、大さ丈許、今に在せり、後四郎左天命を全うして佛の山に歿す、而して涙痕つひに乾くに至らざりきと云ふよねをしね石田刈り干す、片庭の山裾村ゆ、下つ毛にこゆるみ坂の、たむけぢの佛の山に、去にし邊にありけることゝ、耳たえず我聞くことの、麓べに住みける人の、弓箭もち日にけに行けど、ほろゝ啼く雉子も射ず、萱わくる猪も射ずして、人くやと潛めるみちに、ちちのみの父が待つ子も、柞葉の母が待つ子も、たひらけく命全けく、こえ果つることもあらぬを、藁蓆しけこき小屋に、橿の實の獨りもり居る、處女子の藍染衣の、染糸のさめはつるまでに、うち嘆き訴へいへども、返り見る心もあらねば、眞悲しみ思ひ定めて、世の人のなげかふことを、我だにも死にてありせば、留む可きこともあらむと、父が行く佛の山を、草枕旅行く如く、たどり行き臥(こ)やせる時に、盜人に在りける父や、黄金にも玉にもまして、惜みける己が眞名子を、かゝらむと思ひもかけねば、叫びをらび心も空に、負征矢の碎るまでに、櫨弓の弦たつまでに、掻きなげく思ひつのりに、後つひに心おこして、建てにける佛の石の、朽ち果てぬためしの如く、うつそみのいまの世にして、この山を過ぎ行く人の、うれたみと聞きつぎゆけば、天地のながく久しく、かたり竭きめやも、短歌劔太刀しが心より痛矢串おのが眞名子の胸に立てつる...   山菅のそがひに向かば劔太刀身はへだてねど言は遠けむ春雨ほろ/\と落葉こぼるゝゆずり葉の赤き木ぬれに春雨ぞふる春の夜の枕のともし消しもあへずうつら/\にいねてきく雨春雨の露おきむすぶ梅の木に日のさすほどの面白き朝あふぎ見る眉毛にかゝる春雨にかさゝしわたる月人をとこ常陸國下妻に古刹あり光明寺といふ、門外に一株の菩提樹あり、傳へいふ宗祖親鸞の手植せし所と、蓋し稀に見る所の老木なり、院主余に徴するに菩提樹の歌を以てす、乃ち作れる歌七首天竺の國にありといふ菩提樹ををつゝに見れば佛念ほゆ善き人のその掌にうけのまば甘くぞあらむ菩提樹の露世の中をあらみこちたみ嘆く人にふりかゝるらむ菩提樹の華菩提樹のむくさく華の香を嗅げば頑固人もなごむべらなり菩提樹の小枝が諸葉のさや/\に鳴るをし聞かば罪も消ぬべしこゝにして見るが珍しき菩提樹の木根立ち古りぬ幾代へぬらむうつそみの人のためにと菩提樹をこゝに植ゑけむ人のたふとき一月二十日、きのふより夜へかけて降りつゞきたる雨のやみたるにつとめておき出でゝ見れば筑波の山には初雪のふりかゝりたればよめる歌六首おぼゝしく曇れるそらの雨やみて筑波の山に雪ふれり見ゆよもすがら雨の寒けくふりしかば嶺の上には雪ぞふりけるをのうへにはだらに降れる雪なればこゝのあたりはうべ降らずけりつくしむかし我がしば/\過ぎし大形の小松が下はつくしもえけりつく/\しもえももえずも大形の小松が下に行きてかも見むつくしつむ方も知らえず大形に行きてを見なむ昔見しかば二月五日筑波山に登る、ふりおける雪ふかゝりければ足の疲れはなはだしくおぼえぬ、その夜のほどによみける歌九首足曳の山をわたるに惱ましみい行かじものを山がおもしろ柞葉のはゝそのしばのしば/\も立ちは休らふ山の八十坂蘖のたぐひて行かむ人なしにひとり越ゆれば惱ましき坂さや/\に利鎌さしふるしもと木のなよ/\しもよ山路越ゆれば草枕旅ゆきなれし吾なれど山坂越せばいたし足うらはつくば嶺にこりたくのもゆるなす思ひかねつゝ足はなやみぬ肉むらの引かゆがごとも思ほえて脛のふくれのいたましき宵桑の木の木ぬれをはかる青蟲のかゞめて居ればいたき足かも小衾のなごやが下にさぬらくのすが/\しもよ足疲れゝば三月十四日、妹とし子あすは嫁がむといふに、夕より雨のいたくふりいでたればさきはひのよしとふ宵の春雨はあすさへ降れどよしといふ雨春雨に梅が散りしく朝庭に別れむものかこの夜過ぎなば宵すぐるほどに雨やみてまどかなる月いづあすはよき日と思はれければしば/\も裝ひ衣ぬぎかへむあすの夜寒くありこすなゆめなほ思ひつゞけゝる柞葉の母が目かれてあすさらばゆかむ少女をまもれ佐保神夜をこめてあけの衣は裁ちぬひし少女が去なば淋しけむかも四月十七日、雨ふる、うらの藪のなかへ入りてみるにの木の芽いやながにもえ出でたり、亡師のもとへとし/″\におくりけるものを、いまはそれもすべなくなりぬ朝さらずつぐみなくなる我が藪のの木みればもえにけるかも春雨の日まねくふればたらの木のもえてほうけぬ入りも見ぬとにたらの木のもゆらくしるく我が藪の辛夷の花は散りすぎにけりしもと刈るわが竹藪のたらの木は伐らずぞおきしもえば折るべく春雨に濡れつゝたらは折らめどもをりきと告げむ人のあらなく藁つゝみたらの木の芽はおくらまく心はいまは空しきろかもめでぬべき人もあらぬに徒にもえぞ立ちぬるそのたらの木ををらゆればすなはちもゆるたらの芽のまたも逢ふべき人にあらなくに春雨のしき降る藪のたらの木のいたくぞ念ふそのなき人を『馬醉木』に題する歌并短歌うちなびく春の野もせに、とりよろふしどみの木と、馬醉木とをありとあらずと、非ずとは人はいへども、ありと思ふしどみが花は、いつしばの落葉がしたに、ふし芝のかれふがなかに、馬の蹄ふりはふりとも、利鎌もて刈りは刈りとも、しかすがにしゞににほひて、うらもなく吾めづる木の、まぐはしみ吾みる木ぞ、しどみの木あはれ、短歌春の野にさかりににほふしどみの木あしびと否と我はおやじと春の野にい行かむ人しいつくしきしどみの花は翳してを見らめ雉子なく春野のしどみ刺しどみおほにな觸りそその刺しどみわが知れる三浦氏は眞宗の僧なるが、五月の初に男子をうみければ喜びによみて送りし歌一首栗山や佛の寺の、小垣外に麥をまき、土かふや麥の穗の、いちじろくほにいでまくの、はしきかもその子、蕨眞が女の子を生みけるとおぼしくて左千夫が歌をよみけるを見てよみける歌一首いもの子が蠶室をたて、壁に塗る埴谷の山の、松がさ小がさ、はしきやし小松がうれに、なり/\てつらになるちふ、まつ笠小笠、冬十二月水戸に赴く、途に佛頂山を望みて作歌并反歌石工槌とりもちて、刻みける佛の山は、楯なはる山の穗の上に、いなだきの秀でたる山ぞ、その山の山もとにして、諸木々の木末しぬぎて、そゝり立つうちの矛杉、太枝の五百枝ひろごり、あたりには茅も生ひせず、しげりける樹にはありしを、まがつみのおすひしものか、なる神の轟くはしに、久方の天の火下り、たゞ裂きに太幹裂きて、その幹のうつろも燒けば、いつしかも枯れてはありけれ、天が下にいくらもあらじを、杣人の斧うちふりて、太綱かけ伐りきといへば、見まく欲り思ひて行くとも、再びもそこに見らめや、そこもへば佛の山を、枯山にいま我見つる、こゝだ淋しも、反歌とこしへに山は立てども生けるもの杉にしあれば枯れにけるかも再び佛頂山を望みて作歌一首石刻む佛の山は青菅のしげき茂峯に雲たちわたる靈藥之歌并短歌八十綱をもそろに懸けし、神代にかい引き寄せけむ、伊豆の海の沖邊はろかに、七つまでなみ居る嶋の、中つ邊に宜しみ立てる、にひ嶋に住みてある人の、痛付ける妹をあともひ、船泊つる下田の浦に、しく/\に打ち寄る浪の、おとに聞く藥師たづねて、京都邊に上りにしかど、すべなみと告らえにければ、いくばくも生けらぬ命、同じくは家に死なむと、うつせ貝空しき行きを、しづく玉おもひ沈みて、なげきのみありし間に、いさり火の仄にだにも、人言に聞きにけるかも、まがなしき妹がためには、しましくもためらひ居れやと、釣船に白帆は揚げて、たゞ渉り波路ちわきて、うむ麻の總の國邊の、樹隱りの我家に來り、藥えて歸りにしかば、しなへのみありける妹が、七日まで日はも經なくに、斧とりて分け入る山の、杉の木の皮剥ぐ如く、枕つく小衾去りて、忽ちに病は癒えぬ、かくのごとはやきしるしの、世の中にまたもあらめや、天の隈とほつ祖より、うつそみの人の命を、救へりしかずは知らえず、しか故に年のは毎に、かぶら菜はこゝだも作る、世の人おもひて、短歌人のすることにはあれどもこきだくに蕪作るも世の人のため余が家祕法を以て藥を製す、蕪菁を作りて之が料に充つ故に末節之に及ぶなりまつがさ集七月廿六日、左千夫君百穗君と共に雨を冒して筑波山に向ふ、越えて廿八日予之を予が家に招く、途に騰波の湖を渉り大木より下妻といふ所を過ぐるに鉢植のうつくしきをおきたる家あり、さし覗きて見れば針の師匠の住む家にて少女どもあまたならび居たれば戯れに作りたる歌一首槻の木の大木の岡の、ひた岡に小豆をまき、小豆なす赤ら少女を、立ち返りよくも見なくに、けだしくも心あるごと、人見けらずや、予が家に盜人の入りたる穴をもとの如くふたがずありしを左千夫君の見とがめければよみける歌一首はしきやし騰波の淡海の、水くまりの穿江があすれば、葦邊にや穴をつくり、蟹こそそこにはひそめ、鯰こそそこにはひそめ、ひそめど手をさし入れて、掻き探りとるとふものを、盜人のきたち窺ひ、かくのごと壁はゑりしか、すむやけく去にけるもの故、とりがてにあたらしきかも、穴はもあれども、二十九日、けふは歸らむといふ左千夫君をおくりて椚林の中をさかゐといふ所へ行く、ひた急ぐ程に左千夫君のおくれがちに喘ぐさまなれば、戯れてよめる歌赤駒の沓掛過ぎて、楢の木の生子を行けば、萱村に鳴くやよしきり、よしきりの止まず口叩き、足惱むとひこずる君を、見るがわぶしさ、左千夫君予より重きこと七八貫目、予が先立ちて行くごとにいつも我は七八貫目の荷を負ひたるが如し、君にはそれ程の荷を負はしめなばいくばくもえ行じと、左千夫君の旅行くとだにいへば日にいくたびとなくいひ戯るゝをきゝてよめる歌赤駒の荷をときさけて、七秤八秤もちて、おひ持ちて我をい行けと、ひた走せに走せても行かむを、から臼なすふとしき君が、ほゝたぶら秤にかけ、しりたぶら秤にかけ、七はかり八はかりかけ、切りそけて我に負はしめ、負はしめもいざ、七月短歌會那須の野の萱原過ぎてたどりゆく山の檜の木に蝉のなくかも豆小豆しげる畑の桐の木に蜩なくもあした涼しみ露あまの川棚引きわたる眞下には糸瓜の尻に露したゞるも芋の葉ゆこぼれて落つる白露のころゝころゝにのなく青壺集わすれ草といふ草の根を正岡先生のもとへ贈るとてよみける歌并短歌久方の雨のさみだれ、おぼゝしくいや日に降れば、常臥にやまひこやせる、君が身にいたもさやれか、つねには似てもあらずと、玉梓の知らせのきたれ、葦垣のみだれて思へど、投左のとほくしあれば、せむ術もそこに有らねど、はしきやし君が心の、慰もることもあらむと、吾おくるこれの球根は、春邊はしげき諸葉の、跡もなく枯れてはあれども、鑛は鎔くる夏にし、くれなゐの花の蕾の、一日に一尺に生ひ、二日に二尺に延び、時じくに匂ひぞ出づる、忘れ居しごと、短歌病をし忘れて君が思はむとこの忘草にほふべらなり常陸國霞が浦に舟を泛べてよみける歌八首葦の邊を榜ぎたみ行けば思ほゆる妹と相見の埼近づきぬ携へて相見の埼の村松の待つらむ母に家苞もがも沖つ邊にい行きかへらふ蜑舟はわかさぎ捕らし秋たけぬれば白波のひまなく寄する行方の三埼に立てる離れ松あはれいさり舟白帆つらなめ榜ぐなべに味村騷ぎ沖に立つ見ゆかすみが浦岸の秋田に田刈る子や沖榜ぐ蜑が妹にしあるらしさゝら荻あしの穗わたる秋風に蜑が家居に網干せり見ゆ草枕旅にしあれば舟うけてことのなぐさに榜ぎめぐり見つ明治三十五年十一月十八日、筑波山に登りてよめる歌二首狹衣の小筑波嶺ろのたをりには萱ぞ生ひたる苫のふき萱筑波嶺をいや珍らしみ刈れゝどもまた生の萱のまたも來て見む筑波山を望みてをり/\によみける歌五首おくて田の稻刈るころゆ夕されば筑波の山のむらさきに見ゆ夕さればむらさき匂ふ筑波嶺のしづくの田居に雁鳴き渡る蜀黍の穗ぬれに見ゆる筑波嶺ゆ棚引き渡る秋の白雲稻の穗のしづくの田居の夜空には筑波嶺越えて天の川ながる筑波嶺に降りおける雪は陽炎の夕さりくればむらさきに見ゆまつがさ集梧桐の梢おもしろく見えたれば青桐のむらなる莢のさや/\に照れるこよひの月の涼しさまた庭のうちに榧の樹あり、過ぎしころは夜ごとに梟の鳴きつときけばふくろふの宵々なきし榧の樹のうつろもさやに照る月夜かもおなじく庭のうちなる樟の木の葉のきら/\とかゞやきたるを主の女の刀自のいとうつくしきものと稱ふれば我が刀自にかはりてよみける秋の夜の月夜の照れば樟の木のしげき諸葉に黄金かゞやく一日小雨、庭上に梅の落葉せるを見てよめる歌四首秋風のはつかに吹けばいちはやく梅の落葉はあさにけに散るあさにけに落葉しせれば我が庭のすゞろに淋し梅の木の秋あさゝらず立ち掃く庭に散りしける梅の落葉に秋の雨ふる我が庭の梅の落葉に降る雨の寒き夕にこほろぎのなく渡邊盛衞君は予が同窓の友なり、出でゝ商船學校に學び汽船兵庫丸の三等運轉士たり、本年六月十四日遠洋航海の途次同乘の船員數名と共に小笠原群島母島の測量に從事し颶風に遭ひて遂に悲慘の死を致す、八月三十日舊友知人相會して追悼の式を擧げ聊か其幽魂を弔ふ、予も亦席に列る、乃ち爲めに短歌八首を詠ず、録六首丈夫は船乘せむと海界の母が島邊にゆきて還らず小夜泣きに泣く兒はごくむ垂乳根の母が島邊は悲しきろかもちゝの實の父島見むと母島の荒き浪間にかづきけらしもはごくもる母も居なくに母島の甚振浪に臥せるやなぞ鱶の寄る母が島邊に往きしかば歸りこむ日の限り知らなく秋されば佛をまつるみそ萩の花もさかずや荒海の島まつがさ集七月二十五日、大阪桃山にあそぶひた丘に桃の木しげる桃山はたかつの宮のそのあとどころ二十六日、四天王寺の塔に上る刻楷を足讀み片讀みのぼり行く足うらのしもゆ風吹ききたる押照る難波の海ゆふきおくる風の涼しきこの塔の上二十七日、泉布觀後庭あふちの枝も動かず暑き日の庭にこぼるゝ白萩の花油蝉しきなく庭のあをしばに散りこぼれたる白萩の花二十八日、安倍野を過ぐうねなみに藍刈り干せる津の國の安倍野を行けば暑しこの日は和泉國に陵を拜がむと舳の松といふところを行くに、芒のさわ/\と靡きたるを見てよめる大ふねの舳の松の野の穗芒は陵のへに靡びきあへるかも百舌鳥の耳原の中の陵といふを拜みて和泉は百舌鳥の耳原耳原の陵のうへにしげる杉の木すこし隔たりたるみなみの陵といふを拜みまつるに、松の木のおひしげりたればうなねつき額づきみればひた丘の木の下萱のさやけくもあるかおなじく北の陵へまかる途にて向井野の稗は穗に出づ草枕旅の日ごろのいや暑けきに北の陵にて物部の建つる楯井の陵にまつると作れその菽も稗も舳の松より海原をうちわたす雲の立ちければ雨ないたくもちてなよせそ茅淳の海や淡路の島に立てる白雲住吉の松林を磯の方にうちいでゝよめる住吉の磯こす波の夕の鷺とびわたれ村松がうれゆ三十日、西京なる東山のあたりを行くとて清閑寺の陵にいたるみちすがらよみけるさびしらに蝉鳴く山の小坂には松葉ぞ散れるその青松葉三十一日、比叡山のいたゞきにのぼりて湖のあなたに田上山を望むに、折柄山のうへなる空に雲のむら/\とうかび居たれば比叡の嶺ゆ振放みれば近江のや田上山は雲に日かげる息吹の山をいや遙にみて天霧ふ息吹の山は蒼雲のそくへにあれどたゞにみつるかも極めてのどかなる湖のうへに舟のあまた泛びたるをみて近江の海八十の湊に泛く船の移りも行かず漕ぐとは思へど丹波の山々かくれて夕立の過ぎたるに辛崎のあたりくらくなりたれば鞍馬嶺ゆゆふだつ雨の過ぎしかばいまか降るらし滋賀の唐崎八月一日、嵐山に遊ぶ、大悲閣途上さや/\に水行くなべに山坂の竹の落葉を踏めば涼しも二日、ひるすぐるほどに奈良につく、ありといふ鹿のみえざるに、訝しみて人にとへば山に入りけむといへば春日野の茅原を暑み森深くこもりにけらし鹿のみえこぬ春日山しげきがもとを涼しみと鹿の臥すらむ行きてかも見む嫩草山にのぼるに萩のやうなるものゝおびたゞしくおひたるが、さゝやかなる白きはなのさかりにさきたるを、捨てがたく思へば麓なるあられ酒うる家の主にきくに、草萩といふといへばみれど飽かぬ嫩草山にゆふ霧のほの/″\にほふくさ萩の花三日、大和國たふの峰にやどりて梟のなくをきゝてよめるゆふ月のひかり乏しみ樹のくれの倉梯山にふくろふのなく四日、初瀬へ行くに艾うる家のならびたればこもりくの初瀬のみちは艾なす暑けくまさる倚る木もなしに三輪山へいたる途にて味酒三輪のやしろに手向けせむ臭木の花は翳してを行かな三輪の檜原のあとゝいふを、山守にみちびかれてよみける櫛御玉大物主の知らしめす三輸の檜原は荒れにけるかも耳なしの山をのぞむ、木立のいやしげきに梔の木のおほきといへば耳なしの山のくちなし樹がくりにさく日のころは過ぎにけらしも五日、橿原の宮に詣づ葦原や八百湧きのぼる滿潮の高知りいます神の大宮やしろの庭のかたほとりに、かたばかりなる葦原あり、そこに水汲む井のありければよめる橿原の神の宮居の齋庭には葦ぞおひたる御井の眞清水橿原の宮のはふりは葦分に御井は汲むらむ神のまに/\橘寺より飛鳥へ行くみちのかたへに逝囘の丘といふにのぼりてたびゝとの逝囘の丘の小畠には煙草の花はさきにけるかも八日、大阪より伊勢へこえむと木津川のほとりを過ぎてやま桑の木津のはや瀬ののぼり舟つな手かけ曳く帆はあげたれど伊勢路にいりてよめる日をへつつ伊勢の宮路に粟の穗の垂れたる見れば秋にしあるらし九日、志摩の國より熊野へわたる船にのりてよめる加布良古の三崎の小門をすぎくれば志摩の浦囘に浪立ち騒ぐ麥崎のあられ松原そがひみにきの國やまに船はへむかふ十日、よべ一夜は船にねて、ひる近きに勝浦といふところへつく、船のなかより那智の瀧をみる、かくばかりなる瀧の海よりみゆる、よそにはたぐひもなかるべし三輪崎の輪崎をすぎてたちむかふ那智の檜山の瀧の白木綿那智の山をわけて瀧の上にいたりみるに谷ふかくして、はろかに熊野の海をのぞむ丹敷戸畔丹敷の浦はいさなとる船も泛ばず浪のよる見ゆ谷ふかみもろ木はあれど杉がうれを眞下に見れば畏きろかもやどりの庭よりは谷を隔てゝまのあたりに瀧のみゆるに、月の冴えたる夜なりければふくるまでいも寢ずてよみける眞熊野の熊野の浦ゆてる月のひかり滿ち渡る那智の瀧山みれど飽かぬ那智の瀧山ゆきめぐり月夜にみたり惜しけくもあらず眞熊野や那智の垂水の白木綿のいや白木綿と月照り渡るひとみなの見まくの欲れる那智山の瀧見るがへに月にあへるかもこのみゆる那智の山邊にいほるとも月の照る夜はつねにあらめやも十一日、つとめて本宮へこえむと、大雲取峠といふをわたるに暑さはげしくしてたへがたければ、しば/\水をむすびて喉をうるほす虎杖のおどろが下をゆく水の多藝津速瀬をむすびてのみつ眞熊野の山のたむけの多藝津瀬に霑れ霑れさける虎杖の花さらに小雲取峠といふにかゝる、木立稀なれば暑さいよいよきびしくして思ひのまゝにはえもすゝまず、汗おし拭ひてはやすらひやすらふ程に、羊齒のしげりたるを引きたぐりてみれば七尺八尺のながさなるを、珍らしく思ふまゝにをりて持て行くとてかゞなべて待つらむ母に眞熊野の羊齒の穗長を箸にきるかも十二日、熊野川へそゝぐきたやま川といふ川ののぼりに瀞八丁といふをみむと竹筒といふところより山を越えて竹筒のや樛の木山の谷深み瀬の音はすれど目にもみられず十三日、舟にて熊野川を下る熊野川八十瀬を越えてくだりゆく船の筵にさねて涼しも十四日、きのふ新宮より七里の松原を海に添ひて木の下まで行かむと日くれぬれば花の窟といふところのほとりにやどりて、つとめておきいでゝ窟を拜む、とほくよりきたれる山の脚のにはかにこゝにたえたるさまにて、岩の峙ちたるに潮のよせきて穿ちけむと思はるゝ穴のところ/″\にあきたるめづらかなり、沖はぎたれば磯うつ浪もゆるやかなるを、窟にひゞくおとのとゞろ/\と鳴るさま凄まじきばかりなるに、あれたらむほどのこと思ひやらる、伊弉册神をこゝにはふりまつりけるよしいひつたへて、昔より蜑どもの花をさゝげてはいつきまつりけるところと聞きて鯖釣りに沖こぐ蜑もかしこみと花たむけしゆ負へるこの名か眞熊野の浦囘にさける筐柳われもたむけむ花の窟に熊野より船にて志摩へかへると、夜はふねに寢てあけがたに鳥羽の港につきてそこより伊勢の海を三河の伊良胡が崎にいたる三河の伊良胡が崎はあまが住む庭のまなごに松の葉ぞ散る十六日、つとめて伊良胡が崎をめぐりてよめるいせの海をふきこす秋の初風は伊良胡が崎の松の樹を吹くしほさゐの伊良胡が崎の萱草なみのしぶきにぬれつゝぞさく十七日、駿河の磯邊をゆきくらして江尻までたどり行かむとてよめる清見潟三保のよけくを波ごしに見つゝを行かむ日のくれぬとに十八日、箱根の山をわたりてよめる箱根路を汗もしとゞに越えくれば肌冷かに雲とびわたるまつがさ集西のみやこを見にまかりてまる山といふところにいきけり、芋棒となむいふいへに入りてひるげしたゝむる程に、あとよりきたる女どもの、さかり傾ぶきしよはひにも有らねば、はでやかなるさまに粧ひけるが、隣の間へいりたるを、暑き日のさかりとて隔ての葭戸は明け放ちたるまゝなりければ、京の女といふもの珍らしく思ひて見る程、怪しくも帶解きやり帷子なりけるが片へに脱ぎ捨てゝゆもじばかりになりてぞ酒汲みはじめける、はしたなき女どもの振舞かなと、興さめ果てゝむな苦しくぞおぼえしや、只管によき衣の汗ばみて汚れなむことを恐れけるとかや、後になりてぞ聞き侍りしからたちの荊棘がもとにぬぎ掛くる蛇の衣にありといはなくに篠のめをさわたる蛇の衣ならばぬぎて捨てむにまたも着めやも比叡の山のいたゞきなる四明が嶽にのぼりて雨にあひ、草の茂りたる中を衣手しとゞに沾れて八瀬の里へ下らむと、祖師堂のほとりに出づ、杉深くたちこめたる谷をうしろに白木槿のやうなる花のさきたる樹あり、沙羅雙樹といふといふ、耳には馴れたれども目にはいまはじめてなり、まして花のさかりなれば珍らしきこと極りなし、暑さを冒してきたりけるしるしもこそありけれとてよみける比叡の嶺を雨過ぎしかばうるほへる杉生がもとの沙羅雙樹の花杉の樹のしみたつ比叡のたをり路に白くさきたる沙羅雙樹の花比叡の嶺にはじめて見たる沙羅の花木槿に似たる沙羅雙樹の花暑き日を萱別けなづみ此叡の嶺にこしくもしるく沙羅の花見つ倭には山はあれども三佛の沙羅の花さく比叡山我は八月四日、法隆寺を見に行く、田のほとりに、あらたに梨をうゑたるを見てよめるあまたゝび來むと我はもふ斑鳩の苗なる梨のなりもならずもはじめの月見の日なりけるが、ゆふまけて嫗の畑へ芋堀りに行きけるを、その家の下部なるものゝ、駒引き出して驅けめぐりける間に、いたくもあれいでゝ止むべくもあらずなりて、思ひもかけず主の嫗を蹄にかけゝれば、肉やぶれ骨挫けてやがていく程もなくて死にけり、人々悲しむこと限りなく、しばらくありて後そこへ幣たてきと、ありけることゞもつたへ云ふを聞きてよめる世の中にしれたる人の駒たくと過ちせしより悔いてかへらず垂乳根の母をゆるして芋堀りにかゝらむと知らば行かざめや行けやあら駒の蹄のふらくと知らませばやらめや人の母を思はず垂乳根の母が子芋を皿にもり見むと思ひし月にやもあらぬおもしろとめづる月夜を垂乳根の母をいたみて泣くか長夜を秋の夜のなが夜のくだち眞痛みに泣きけむ母をもりがてにけむあやまちを再びそこにあらせじと幣はもおくか駒の足の趾に雜咏十六首しろたへの衣手寒き秋雨に庭の木犀香に聞え來も秋の田のわせ刈るあとの稻莖に煩しくのこるおもだかの花とき待ちて穗にたちそめしおくて田の花さくなべにわさ田刈り干す秋の日の日和よろこび打つ畑のくまみにさける唐藍の花我門の茶の木に這へる野老蔓秋かたまけていろづきにけりさら/\に梢散りくる垣内にはうども茗荷もいろづきにけりなぐはしき嫁菜の花はみちのへの茨がなかによろぼひにさくうねなみに作れる菊はおしなべて下葉枯れゝどいまさかりなり小春日の庭に竹ゆひ稻かけて見えずなりたる山茶花の花鋏刀持つ庭作り人きりそけて乏しくさける山茶花の花こぼれ藁こぼれし庭のあさ霜にはらゝに散れる山茶花の花つゆしもの末枯草の淺茅生に交りてさける紅蓼の花冷やけく茶の木の花にはれわたる空のそくへに見ゆる秋山馬塞垣に繩もて括る山吹のもみづる見れば春日おもほゆ筑波嶺ははれわたり見ゆ丘の邊の唐人草の枯れたつがうへに鬼怒川をあさ越えくれば桑の葉に降りおける霜の露にしたゞる佛の山を過ぎてよめる歌并短歌佛の山は常毛二州に跨る、阪路險悪、近時僅に車馬を通ず、往昔の世山麓に浪士あり、四郎左衞門と稱す、人を殺し財を掠むること算なし、一女あり母を失ふ、四郎左愛撫措かず、女長じて容姿温雅、擧止節有り、竊かに父の爲す所を憂ひ、しばしば泣いて諫むれども聽かず、一日秋雨蕭々黄昏に至りてやまず、女乃ち決然として起ちて裝を旅客に變じて過ぐ、四郎左悟らず、遙かに射て之を斃す、其走つて嚢中を檢せんとするに及びて哀痛悲慟禁ずること能はず、剃髪して佛門に歸し、あまねく海内の名刹を周遊し、還りて石佛を路傍に建つ、大さ丈許、今に在せり、後四郎左天命を全うして佛の山に歿す、而して涙痕つひに乾くに至らざりきと云ふよねをしね石田刈り干す、片庭の山裾村ゆ、下つ毛にこゆるみ坂の、たむけぢの佛の山に、去にし邊にありけることゝ、耳たえず我聞くことの、麓べに住みける人の、弓箭もち日にけに行けど、ほろゝ啼く雉子も射ず、萱わくる猪も射ずして、人くやと潛めるみちに、ちちのみの父が待つ子も、柞葉の母が待つ子も、たひらけく命全けく、こえ果つることもあらぬを、藁蓆しけこき小屋に、橿の實の獨りもり居る、處女子の藍染衣の、染糸のさめはつるまでに、うち嘆き訴へいへども、返り見る心もあらねば、眞悲しみ思ひ定めて、世の人のなげかふことを、我だにも死にてありせば、留む可きこともあらむと、父が行く佛の山を、草枕旅行く如く、たどり行き臥やせる時に、盜人に在りける父や、黄金にも玉にもまして、惜みける己が眞名子を、かゝらむと思ひもかけねば、叫びをらび心も空に、負征矢の碎るまでに、櫨弓の弦たつまでに、掻きなげく思ひつのりに、後つひに心おこして、建てにける佛の石の、朽ち果てぬためしの如く、うつそみのいまの世にして、この山を過ぎ行く人の、うれたみと聞きつぎゆけば、天地のながく久しく、かたり竭きめやも、短歌劔太刀しが心より痛矢串おのが眞名子の胸に立てつるの読み方
長塚節 「長塚節歌集 上」

...無関心に山裾を廻って...   無関心に山裾を廻っての読み方
野村胡堂 「銭形平次捕物控」

...山裾に遊牧民の天幕が三つばかり見える...   山裾に遊牧民の天幕が三つばかり見えるの読み方
久生十蘭 「新西遊記」

...夕映えの僅かな余光を浴びて頂きのあたりを黄金色に輝かせてゐたが山裾一帯は見渡す限り茫漠たる霞みの煙に閉されて...   夕映えの僅かな余光を浴びて頂きのあたりを黄金色に輝かせてゐたが山裾一帯は見渡す限り茫漠たる霞みの煙に閉されての読み方
牧野信一 「南風譜」

...山裾を回つて裏側の道へ向ふ時は恰度崖道が海の上へ向いてゐるやうなかたちになつて...   山裾を回つて裏側の道へ向ふ時は恰度崖道が海の上へ向いてゐるやうなかたちになつての読み方
牧野信一 「南風譜」

...山裾の方へ土をはねてから...   山裾の方へ土をはねてからの読み方
宮嶋資夫 「恨なき殺人」

...右側に迫っている山裾や谷や...   右側に迫っている山裾や谷やの読み方
山本周五郎 「若き日の摂津守」

...海岸側に在る山裾の石切場附近を調査の結果...   海岸側に在る山裾の石切場附近を調査の結果の読み方
夢野久作 「ドグラ・マグラ」

...深く彼方の遠い山裾まで続き...   深く彼方の遠い山裾まで続きの読み方
吉川英治 「三国志」

...ここは天目山の山裾という...   ここは天目山の山裾というの読み方
吉川英治 「新書太閤記」

...四明(しめい)ヶ嶽(だけ)の山裾(やますそ)へかくれてゆく...   四明ヶ嶽の山裾へかくれてゆくの読み方
吉川英治 「新書太閤記」

...退(の)かぬとあぶないぞ」山裾の間道は道がせまい...   退かぬとあぶないぞ」山裾の間道は道がせまいの読み方
吉川英治 「新書太閤記」

...いつも暗澹(あんたん)と樹々の風ばかりしている山裾のほうが...   いつも暗澹と樹々の風ばかりしている山裾のほうがの読み方
吉川英治 「親鸞」

「山裾」の読みかた

「山裾」の書き方・書き順

いろんなフォントで「山裾」

「山裾」の英語の意味


ランダム例文:
知謀   接種   意味ありげに  

チーズローリングと世界一硬いチーズ

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