...小早川家中の血気の侍が八人...
中里介山 「大菩薩峠」
...教頭の小早川先生が報告をなすった後に...
夢野久作 「少女地獄」
...小早川隆景は安芸(あき)へ...
吉川英治 「黒田如水」
...小早川などにもきびしく面詰(めんきつ)するしかない」などといっていた...
吉川英治 「黒田如水」
...金吾中納言秀秋の小早川家へ仕えているという噂だけが聞えていた...
吉川英治 「剣の四君子」
...小早川隆景(こばやかわたかかげ)らの輩出を見るのであった...
吉川英治 「私本太平記」
...智略縦横の人小早川隆景(たかかげ)...
吉川英治 「新書太閤記」
...小早川の精鋭が播州を席巻(せっけん)し...
吉川英治 「新書太閤記」
...さらに、一年を籠城し、ことしこそは、毛利輝元(てるもと)自身も、吉川、小早川も、西ノ宮附近に上陸し、大挙、信長を圧して来るかと見えたが――依然、その包囲は、示威恫喝(じいどうかつ)にとどまっていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...この山には小早川隆景(たかかげ)の旌旗(せいき)が無数に見出された...
吉川英治 「新書太閤記」
...ともあれ今朝もう一度、吉川、小早川の両将へ、貴僧より切にお扱いを励まれてみぬか...
吉川英治 「新書太閤記」
...吉川、小早川の援軍が、彼方(かなた)の山々に到着して、その旗幟(はたのぼり)をここから望んだときは、全城の士民はみな蘇生(そせい)の思いを抱いて、「もう大丈夫」と、一日中、歓呼したものだった...
吉川英治 「新書太閤記」
...小早川という三家鼎立(さんけていりつ)から成る大勢力が...
吉川英治 「新書太閤記」
...小早川隆景から、このたびの大捷を賀して来た書にたいして、秀吉が、柳ヶ瀬戦況の報に事よせて、この際、毛利家の将来の向背(こうはい)を、しかと、その旗幟(きし)に明らかにすべきことを――思いきったことばをもって促(うなが)している――私信とはいえ、重大な書面なのであった...
吉川英治 「新書太閤記」
...――しかも京の大変が、吉川(きっかわ)、小早川の陣へ、ちらとでも聞えたが最後、山つなみの押すように、毛利方は勢いを得て、こちらの浮足を衝(つ)いて来ることも、目に見えている...
吉川英治 「茶漬三略」
...吉川、小早川の敵方へ、信長の死が伝わったのは、わずかそれから数時間の後――同日の午下がり頃だったと、後で聞いた事だった...
吉川英治 「茶漬三略」
...小早川の軍と敵の井伊や本多勢と...
吉川英治 「宮本武蔵」
...小早川隆景に説いて伊予の開拓を始めるとか...
和辻哲郎 「鎖国」
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