...故右大将家の御帰依浅からざりし相模国の大日堂がひどく荒れはててゐるやうですから即刻修理させるやうお取計ひ下さい...
太宰治 「右大臣実朝」
...その橋の出来た時に故右大将家が供養に出むかれ橋をお渡りになつて...
太宰治 「右大臣実朝」
...故右大将家幕府御創業このかた三十年...
太宰治 「右大臣実朝」
...十八日、戊戌、相州広元朝臣を招請して仰せられて云ふ、将軍家大将に任ずる事、内々思食し立つと云々、右大将家は、官位の事宣下の毎度、之を固辞し給ふ、是佳運を後胤に及ばしめ給はんが為なり、而るに今御年齢未だ成立に満たず、壮年にして御昇進、太だ以て早速なり、御家人等亦京都に候せずして、面々に顕要の官班に補任すること、頗る過分と謂ひつ可きか、尤も歎息する所なり、下官愚昧短慮を以て、縦ひ傾け申すと雖も、還つて其責を蒙る可し、貴殿盍ぞ之を申されざる哉と云々、広元朝臣答申して云ふ、日来此の事を思ひて、丹府を悩ますと雖も、右大将家の御時は、事に於て下問有り、当時は其儀無きの間、独り腸を断つて、微言を出すに及ばす、今密談に預ること、尤も以て大幸たり、凡そ本文の訓する所、臣は己を量りて職を受くと云々、今先君の遺跡を継ぎ給ふ計なり、当代に於ては、指せる勲功無し、而るに啻に諸国を管領し給ふのみに匪ず、中納言中将に昇り給ふ、摂関の御息子に非ずば、凡人に於ては、此儀有る可からず、争か嬰害積殃の両篇を遁れ給はんか、早く御使として、愚存の趣を申し試む可しと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...左大将家御直衣始なり...
太宰治 「右大臣実朝」
...右大将家(うだいしょうけ)には...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...その噂とともに右大将家は病気になって...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...六郎は平生(いつも)のように右大将家の寝所の周囲を見廻(みまわ)っていた...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...もし右大将家としたなれば...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...それにしても右大将家が...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...どうも右大将家ではない...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...右大将家でないとすると...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...畠山六郎は御台(みだい)の詞(ことば)によって右大将家をあやめないことを知って安心したものの...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...その日になって右大将家が病気が重くなったので...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...内記は山荘の中のことをよく知った右大将家の人から聞いていたので...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...山荘では大将家からの使いが平生よりもたびたび来ることでも不安が覚えられる浮舟の君であった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...――供には、冷泉少将家房、伊達(だて)ノ蔵人行朝、三河前司(ぜんじ)親朝、そのほか数千の弓箭(きゅうせん)が、列の先も霞(かす)むばかり流れて行った...
吉川英治 「私本太平記」
...鳳凰(ほうおう)のような右少将家康(うしょうしょういえやす)...
吉川英治 「神州天馬侠」
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