...上は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)から下(しも)は武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)に至る語彙(ごい)の豊富を誇っていたのもことごとく空威張(からいば)りになってしまう...
芥川龍之介 「文章」
...浮島に風光を賞し、潮來出島にあやめを看、鹿島、香取、息栖の三祠に詣で、大利根川の下流に浮んで銚子に下る船中、富士迎へ、筑波送る...
大町桂月 「常磐の山水」
...」徳富氏はにこりともしないで言つた...
薄田泣菫 「茶話」
...客観写生をおろそかにした人の俳句はたとい豊富な感情を裡(うち)に蔵していても...
高浜虚子 「俳句への道」
...富裕な貴族の別荘か山荘とでもいった風情に...
橘外男 「ウニデス潮流の彼方」
...なにしろ今から四十何年の昔のことでござりましてそのころは京や大阪の旧家などでは上女中(かみじょちゅう)には御守殿(ごしゅでん)風の姿をさせ礼儀作法は申すまでもござりませぬが物好きな主人になりますと遊芸などをならわせたものでござりますから、このやしきもいずれそういう物持の別荘なのであの琴をひいた女はこの家の御寮人(ごりょうにん)でござりましょう、しかしその人は座敷のいちばん奥の方にすわっておりまして生憎(あいにく)とすすきや萩のいけてあるかげのところに(かお)がかくれておりますのでわたくしどもの方からはその人柄が見えにくいのでござりました、父はどうかしてもっとよく見ようとしているらしく生垣に沿うてうろうろしながら場所をあっちこっち取りかえたりしましたけれどもどうしても生け花が邪魔になるような位置にあるのでござります、が、髪のかっこう、化粧の濃さ、着物の色あいなどから判じてまだそれほどの年の人とは思われないのでござりまして、殊(こと)にその声のかんじが若うござりました、だいぶん隔たっておりましたから何を話しているのやら意味はきき取れませなんだがその人のこえばかりがきわだってよく徹(とお)りまして、「そうかいなあ」とか「そうでっしゃろなあ」とか大阪言葉でいっている語尾だけが庭の方へこだましてまいりますので、はんなりとした、余情に富んだ、それでいてりんりんとひびきわたるようなこえでござりました、そしていくらか酔っているとみえましてあいまあいまにころころと笑いますのが花やかなうちに品があって無邪気にきこえます、「お父さん、あの人たちはお月見をして遊んでいるんですね」とそういってみますと「うん、そうらしいね」といって父はあいかわらずその垣根のところへ顔をつけております、「だけど、ここは誰の家なんでしょう、お父さんは知っているのですか」とわたくしはまたかさねてそういってみましたけれど今度は「ふむ」と申しましたきりすっかりそちらへ気を取られて熱心にのぞいているのでござります、それがいまから考えましてもよほど長い時間だったのでござりましてわたくしどもがそうしておりまするあいだに女中が蝋燭(ろうそく)のしんを剪(き)りに二度も三度も立っていきましたし、まだそのあとで舞いがもう一番ござりましたし、女あるじの人がひとりでうつくしいこえをはりあげて琴をひきながら唄(うた)をうたうのをききました、それからやがて宴会がすんでその人たちが座敷を引きあげてしまうまで見ておりましてかえりみちにはまたとぼとぼと堤の上をあるかせられたのでござります、尤(もっと)もこういう風に申しますとそんなおさない時分のことを非常にくわしくおぼえているようでござりますがじつは先刻も申し上げましたようなしだいでそのとしだけのことではないのでござります、そのあくる年もそのあくる年も十五夜の晩にはきっとあの堤をあるかせられてあの池のほとりの邸(やしき)の門前で立ちどまりますと琴や三味せんがきこえてまいります、すると父とわたくしとは塀を廻って生垣の方から庭をのぞくのでござります、座敷のありさまも毎年たいがい同じようでござりましていつもあの女あるじらしい人が芸人や腰元をあつめて月見の宴を催しながら興じているのでござりました、でござりますから最初のとしに見ましたこととその次々のとしに見ましたこととがややこしくなっておりますけれどもいつのとしでもだいたい只今(ただいま)お話したようなふうだったのでござります...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み...
谷崎潤一郎 「陰翳礼讃」
...富士春のところへでも行くか」「戯談(じょうだん)を――碌(ろく)なことを教えませんよ...
直木三十五 「南国太平記」
......
永井荷風 「自選 荷風百句」
...富岡に股火鉢(またひばち)をすゝめてくれた...
林芙美子 「浮雲」
...富岡の貧しさが、哀れでもあつたが、生活力のなくなつてゐる男へ対しての魅力は薄れかけて来た気がした...
林芙美子 「浮雲」
...日本の国は富まねばならぬ...
牧野富太郎 「牧野富太郎自叙伝」
...清港亭――戸部町 (義太夫)金石亭――神奈川 (同)若竹――若竹町 (講談)松福亭――寿町二丁目 (同)高橋亭――戸部町 (同)日吉亭――伊勢佐木町 (同)万竹亭――亀の橋 (浪花節)寿亭――賑町 (同)富松亭――同 (同)色川亭――野毛三丁目 (源氏節)どこもみな御多分に洩れなかった...
正岡容 「寄席」
...今児童の夜話に花咲爺というものよくこの福富長者の事に似たり...
南方熊楠 「十二支考」
...これは党員ではないが、ソヴェト同盟がプロレタリア・農民の国であり、社会主義の社会を建設してゆき、益々富み、階級のない社会とするためには、どういう風に働かなければならないかということを理解し、実践する婦人労働者を皆が選んで、職場でのあらゆることについての相談役、世話役、説明役となって貰うのである...
宮本百合子 「明るい工場」
...六十五年の豊富極まりない一生を閉じた...
宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
...重治さん夫婦は富士見の高原へゆき...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...この偉大な法律家は、健康において、富において、世評において、皇帝の信任において、花やぎ栄えていたのだから、ただただローマの国の哀れむべき状態に対する同情のほかには、自殺などする理由は少しもなかったのである...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
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