...安貞元年三月にも大地震があって...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...翌安貞二年正月二十五日の暁...
中里介山 「法然行伝」
...安貞二年九月九日...
中里介山 「法然行伝」
...安貞二年の冬肥後国往生院で四十八日の念仏を修した時に...
中里介山 「法然行伝」
...前田安貞(あんてい)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...翌日の客中より重出者を除けば、「東安、銑三郎、高山、」「孫太郎、顕太郎、安貞」がある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...元民は「九人扶持、准、皆川元民、三十七、」玄昌は「八人扶持、准、成田玄昌、二十六、」玄高は門人「成田竜玄次男玄高、」養竹は「十人扶持、御足八人扶持、医、森養竹、六十四、」養真は「五十俵、森養真、三十五、」養玄は「十三人扶持、書教授試補、岡西養玄改待蔵、三十一、」泰安は「十人扶持、御足十人扶持、医、鼓泰安、五十九、」菊庵は「十人扶持、御足五人扶持、医、鼓菊庵、五十四、」立造(りふざう)は「十人扶持、御足三人扶持、執、松尾立造、三十九、」玄察は「十人扶持、御足三人扶持、補、谷本玄察、四十、」金左衛門は「百四十石八十俵、内、藤田金左衛門、三十五、」若くは「百三十石、御宮掛、大林金左衛門、四十七、」洞谷は「十三人扶持、吉田洞谷、四十二、」理安(りあん)は「八人扶持、准、村上理庵、四十三、」策(さく)は「九人扶持、御足三人扶持、准、市岡策、四十二、」恒三は「九人扶持、桑田恒庵改恒介、六十、」若くは其子、雄之介は「五十俵、市令、内田雄之介、四十五、」祐道は「医、横田祐道、」勘兵衛は「十八俵、渡辺勘兵衛、三十一、」東安は「十八人扶持、医、三好東安、四十九、」銑三郎は「五十俵、大森銑三郎、三十、」高山(たかやま)は「二百二十石、高山郷作、三十一、」孫太郎は「五十俵、三富孫太郎、二十八、」顕太郎は門人「町医師、柳井顕太郎、」安貞は「二十俵二人扶持、前田安貞、三十二、」成安は「十二石二人扶持、医、三好成安、二十三、」全八郎は「十四石三人扶持、御料理人頭、上原全八郎、五十七、」貞白は「十人扶持、御足四人扶持、補、石川貞白、五十九、」平蔵は「村片平蔵、二十七」であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...安貞の頃(一二二七)...
柳田国男 「海上の道」
...『古今著聞集』の安貞年間の記事を始めに...
柳田国男 「海上の道」
...この耄及愚翁(もうぎゅうぐおう)本は奥書きに安貞(あんてい)二(一二二八)年の年号があるものであって...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...たとい耄及愚翁本が安貞二年のものに相違ないとしても...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...奥書きのゆえをもって安貞二年にも『枕草紙』は春曙抄本のごとき構造を持っていたと断定することの危険は...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...少くとも安貞二年奥書本を読んだことのない人と解釈しなければならない...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...また安貞二年奥書本をも見ていないことを標榜(ひょうぼう)しているのであるから...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...(イ)伝能因所持本の系統(前掲注2の表を参照)(ロ)安貞二年奥書き本の系統(ハ)前田家本(鎌倉中期以前のもの)の系統(ニ)堺(さかい)本(元亀(げんき)元年の奥書きあり...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...(一)(二)の方法からして伝能因所持本及び安貞二年奥書き本などが生まれ...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...池田氏は安貞二年奥書き本によってこの長さの記事を探し...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...安貞二年奥書き本(三巻本)は二種に類別せられる...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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